”れ:歴史ある 古墳も多い 豊後大野”
↑豊後大野カルタ
こんばんは、事務局タカッチです!
一昨日、三重中学校にある「重政古墳(しげまさ-)」で今年も現地説明会開催!
▽重政古墳地図
昨年度の2次調査に続き、今年度は3次調査!
昨年度に引き続き、形状や築城年代の調査を進められたようです!
今回も現地説明会が行われましたので参加いたしましたm(__)m
▽今年もたくさんの方が参加!
調査は別府大学文化部の田中教授はじめ研究室のみなさまが実施。
古墳や調査の概要の説明から始まりました。
▽動画(※大半の画質・音質がかなり悪いです…申し訳ございませんm(__)m)
<古墳の概要>
・今から1600年前、古墳時代中期の作か。
・全長50m強。前方後円墳と見られる。
・古墳全体に葺石が敷かれている(石を纏っている)。
・壺型埴輪が出土された。
・大正時代の大分県史料ですでに重政古墳がリストアップされている。
・昭和期、この三重中学校グラウンド新設の際に発見された。
・先祖崇拝(墓参り)=平安期~→それまでは、墓は立てたらそのまま放置(恐れ多いものとして触れられなかった)→保存状態が悪い。
・江戸期~、切通道や田畑墓地への転用などで、一部崩された跡がある。
・7T(トレンチ)の途中部分まで:主に後円部分は盛り土、前方部分は切り土で築かれている。
・1600年も時間が経過すると、木の腐食などで自然と土が堆積する→古墳が土で覆われる。
頂いた資料にて…
▽豊後大野には前方後円墳が6つもある!
その理由は…過去記事にて!(笑)
▽調査区位置図
▽墳丘も模式図。敷石がたくさん敷き詰められていたようです。
全体説明後、グループに分かれ、各調査区域へ進みます。
今年は7T(トレンチ)~9Tを調査。
※トレンチ=調査のために掘削される鍵型の穴。
<7T>
前方部&後円部の境目(くびれ)を探すための調査。
このくびれがあるかどうかで形状決定→他の同類形状古墳などから、築かれた時代を推定するそうです。
あいにく、今回の調査でも、くびれを発見できなかったそうです…。
代わりに、壺型埴輪が出土!
▽壺型埴輪の出土箇所
▽出土物一覧
<8T>
前方部の端(周溝)を確認するための調査。
あいにく、一部葺石が流出しており、調査難航のようです。
<9T>
後円部の端(周溝)の調査。
こちらもあいにく後年の掘削・切通道の跡があり、調査難航。
<頂上部(祠・墓碑)>
・祠は金毘羅様で、結構新しい。
→2016年熊本地震で大きくずれる。
・墓碑は江戸初期(1600年代)のものか。
…と、以上が現地説明会の模様です。
研究室や主催者の皆様、ありがとうございましたm(__)m
こうした研究のおかげで、新しい事実が発見されます。
それが、地域の魅力にもつながります☆
この豊後大野の大野川流域で前方後円墳が6つも密集していることは、考古学でも興味深いことだそうです!
前方後円墳=それだけ身分や権力のあった者が存在していたということです。
そうした権力者が多くいるということは、それだけ昔から注目されていた土地だということ。
この豊後大野の場合、日向や肥後への交通の要衝だったと考えられております。
面白い発見がたくさんありますね~!
豊後大野でぜひ歴史を感じたり、人類の先輩のお墓参りをしたりしませんか??
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<大分県豊後大野市青年団なないろベース>
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