令和6年4月20日(16)番外霊場 法佛山 遍照院 日輪寺⑧ | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

見返しのソテツの後ろに、遍路石

いにしえの、遍路人を導いた遍路石

今は境内の隅に。

見上げると、、鳥さんがいた。

続く。からです。

僕は、、何を記憶してきたのか。

貴重な時と、お金を沢山使って、四国の霊場、遍路道を歩いて、

何を学んできたのだろう。

頭のいい、心のきれいな人ならば、、もっと違う視点で、

『お遍路』をすることだろう。

凡凡人の三流な僕にできること、、それは何だろう。。

 

自分を、、そんな自分だと、、愚鈍なことを知って生きていくこと

なのだろう。

見て、、聞いて、、この身体で感じて、歩いて行くことなんだろう。

ことさらに自分を卑下する必要もないだろうが、素直に生きていきたい。

 

遍照院の東側の鐘楼門

門の向こう側に、2本の石柱

ちゃんと見ていなかった。

(+o+)

右は、、写真を見て、文字を調べて、、

どうにかわかりました。

『居卜高野之樹下』

高野山の樹の下を居場所と定め、、といった意味のようです。

お大師様は、高野山に今もおられます。

 

左なんですが。。全部写さず、さらに読めず、、(/ω\)

『〇光〇拜救萬民』、、、でしょうか

わからず、、屋根を見上げる、、

、、、なんたらは、高いところが好きなんだろうか、、。

古くなっているのか、針金で釣る様に固定されている。

外の方、、主棟の装飾は、、

雲に鶴のようです。

、、、雲に鶴なんだ、、と、口を開けて見て、感動する。

海側、、横面

入母屋の唐破風

そして、、屋根上の鬼瓦に鯱も見える。

境内側から見て、、

2本の石柱は、昭和38年11月聖日と刻まれています。

施主の方々に、総代の方々

お寺を守ってこられたんだ、、

  

また、、口を開けて、、上を見上げる。

、、、いいな。。

右側、、降り棟に隅棟もきれい。

左側の、、翼のような屋根。

主棟の装飾を、アップで見ると、、波に千鳥のようです。

千鳥が波間を飛ぶ姿が、世間や人生の波を越えることを例えたり、

共に飛ぶ様子が、夫婦円満や、波に負けずに家内安全の意味も

あるという。

『千鳥』が、『千を取る』ともされる。

とってもめでたい模様。

いろんな意味があるんだな、、、。

屋根下の姿、、2段なんだ、、とっても豪華な造り。

右側、、屋根下の垂木が、放射状に並ぶ、、、、、

左側、、角度をつけるのが難しい垂木の形状。。

美しい、、

2段目には、欄干も見える。

南側の上部キラキラ

中の梵鐘は、新しく見える。

花頭窓からの光が輝く

どうして、このようなデザインになったのだろう、、

機能と美しさ、、そして、、教え、、

いろんなものが、ここにも詰まっている。

鐘楼門横の石碑

當山 大師四十二歳御開基

諸?人 やくよけ

本尊 御自作弘法大師

卜居高野樹下 遊神兜率雲上

檢知處々遺迹 不闕日々影向

四國 五十四番 ○○○ 本寺 遍照院

田房友重先生之墓

先生通称藤兵衛伊豫野間郡人也性ヱ

書従学者至三百餘人天保十年丁亥九

月廿八日以病終壽六十二弟子等相謀

立墓碑聊寫報恩之㣲意云

天保の頃の学者先生だったのだろう、、

62人のお弟子さん達が、先生を偲び、墓碑を建てたとのこと。

こちらの墓は、、

中興  僲?秀僧正樣

宝篋印塔

若し有情あれば、此の塔に一本の線香・華を捧げて礼拝供養しなさい

、、、という。

極楽往生、成仏、死後の苦しみの救済、この世での現世利益や

あらゆる願いがかなえられる。

こちらは新しい墓石ですね

六十六部供養、、と廻国の行者様の御供養碑ですね

こちらは、、、

奉納 六十六部御礼、、と

隣には、中務茂兵衛様の 122度目為供養の道標が建てられていました。

可愛いワンちゃん

遍照院で、、気になった仏様

木の枝をお持ちなのかな、、、髭もありそう。。

そしてもう一つ、、気になったこと

山門の、、、

この石碑の裏面が、、

『月の輪公園』と

ここ??

遍照院から、、泊まらせてもらったシーガルさんが見える。

さぁ、、トイレをして、、出発の準備だ。

続く。