令和6年4月20日(15)番外霊場 法佛山 遍照院 日輪寺⑦ | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

手水舎です。

海に向かって、清めるのですね。

切妻の屋根です。

菊間瓦の主棟鬼飾り

経の巻の足付きですね。

縣魚も見えます。

屋根下の組み物

向かい側の鬼瓦と縣魚

主棟の装飾瓦は、左右同じ阿吽の龍

ほぼ同じ

、、、同じだな。

中央部、、よく見たら、、少しだけ、、

剣の大きさや、龍の頭部の違い、、とか、、。

手水鉢『清漱』

天保年間の手水鉢のようです

九王村 石工 村田豊助、、と読めるようです。

願主

長野経通

木屋彌右衛門

萬屋、、、合っているのかな。。。

本堂右の、観音様

奉納施主 平成の塩出家當主とのこと

御紋が三つ葉葵ですね。

塩出史郎家の先祖居城覚書の碑

天文年中、塩出紀伊守忠重公

伊予国西條朔日市村秋吉船岡に江渕城を築く、、、、、と。

茲に、先祖御霊の安らかならんことを祈り 大観音像を奉納し

回向大菩提の誠を捧げ 共に諸願成就を祈願する者也  合掌。

m(_ _)m

この石碑は、、

奉寄進 専譽僧正四百年 頼瑜僧正七百年 御遠忌
 

川田聖定管長猊下 御親化法要嚴修記念

境内敷石一式 

菊間町 中村、、、

平成拾五年五月吉日

m(_ _)m

専誉僧正は、真言宗豊山派の第一祖。

頼瑜僧正は、鎌倉時代に根来で尽力された、真言宗のお坊様ですね、、

山門から見た正面

寺坊に、十三重塔

十三重塔の足元

先程の石碑の、、ですね。

川田聖定管長猊下 御親化法要嚴修

頼瑜僧正七百年御遠忌記念

維持平成拾五年五月廿三日

山門横のお大師様

後ろは菊間の港

厄除修行大師尊像』とのこと

祈 厄除開運

祈 家内安全

祈 心願成就

還暦に際し、自身と同期生一同のために尊像を建立

奉納し祈願す、、とあります。

平成20年、塩出家による奉納ですね。

m(_ _)m

こちらのそてつは

『みかへしのそてつ』ですね。

確かに、、見返してしまう、、。

ソテツの前には、歌の碑

ひたすらに 生き 雨降れど 風吹けど  蚊信

貸す力 ないが 人情 ほっとけず 三柳子

お寺に寄進された方々の碑

境内には、数多くの石碑が建つ

奉 弘法大師一千五十年

  釈迦如来二千八百五十年

  興教大師七百五十年  供羪塔

境内の北角のお地蔵様

台座に「毛小大姉」と刻まれている。

静かに座られている

足元両脇にも、仏様

m(_ _)m

祠の右脇にも仏様。

見返しのソテツの後ろに、遍路石

いにしえの、遍路人を導いた遍路石

今は境内の隅に。

見上げると、、鳥さんがいた。

続く。