令和6年4月20日(8)煩悩、、欲望 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

新しいみかんの苗木かな。

これからが楽しみだな、、年数を掛けて、大切に育てるんだな。
自然の恵みも受けて、、日々、手入れもして、、

振り返る。

ここを、、また通る日が来るだろうか。

続く。からです。

とっても楽しい日もある。

言えないほど辛い日もある。

日々の出来事と同じ、、

生きることは、山あり谷あり、、。

お遍路をすると、、学ばせてもらえる。

 

道を歩く。

いろんな道。

良い時もある、、嫌な時もあるんだ。

道を歩く、、それはお遍路。

『生きてくことが、、お遍路』

お遍路が、、素晴らしいって??????

もちろんそう!!

自分に問う

人生は素晴らしい??

 

いつわかる??

 

トライしたからわかるんだ。

あきらめたらつまらないんだ。

 

一歩一歩、、積み上げるんだ。

努力なしに、満足なんてないんだ。

簡単に、手に入れて、、わかるはずもないんだ。

どこにでもあるような道

いや、本四国、霊場の道。

歩き固められてきた歴史がある。

 

四国遍路の三信条

一、摂取不捨の後誓願を信じ、同行二人の信仰に励みましょう。

一、何事も修行とこころえ、愚痴、妄言をつつしみましょう。

一、現世利益の霊験を信じ、八十八の煩悩の波を靜めましょう。

の、その三です。

 三、「善因楽果」「悪因苦果」善行を積めば良い結果が実現する。

そのような動機で善因を積むために四国遍路をする人も多い。私た

ちの人生は絶え間なく沸き起こる欲望との戦いである。その欲望は

数限りなく、しかも拡大の一途をたどるのが常である。往々、この

欲望に挫折を感じ、また、陰に陽に他人を傷つけることさえある。

仏教では、このように制御調整をはずれた欲望を「煩悩」と呼んで、

斥すべきものとしている。

 五世紀半ばごろ、北インドで成立したとされる『具舎論』という

書に、「八十八使の見惑」と呼ばれる誤ったものの見方、考え方が

列挙されている。欲界・色界・無色界という「三界」において、人

間が関わるさまざまな生き方のなかで、貪り、瞋り、癡さという

「三毒」、さらにはおごり、疑い、といった障害を起こしやすいも

のの見方、受け取り方などを八十八並べ挙げている。これを霊場会

では「八十八」という四国霊場の数の根拠としている。

 「煩悩の波を靜める」という表現は、人間の欲望は決して排斥さ

れるべきものではなく、よりよく発揮されるように仕向けることこ

そ正しいあり方である、ことを意味している。正確には「煩悩と呼

ばれる状態の解消」であると理解すべきであろう。

           (四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)

カ~カ~🐧

自分と向き合うんだ~カ~🐧

 

子供の頃に思っていた、素直な心。

壁に耳あり、障子に目あり。

神仏は見ているし、当たり前の結末は、やってくる。

 

自分を否定することじゃない。

欲求も正しく生かして、歩いて行く。

 

大自然に導かれながら、、教えられながら、、

木々や緑、、川の流れ、、

日ノ本は、とっても美しい。

こんな国に生まれて、幸せだ。

お~っつ目

田植えの職人さん

美味しいお米をありがとう。

随分、、下ってきたなぁ

ポールにへんろみち保存協力会のシール

ありがとうございます。(*^_^*)

何を見た?

『藤』さんに見とれたんだろう

随分、、町になってきた。

峠から、下ってきたんだな。

瓦のふるさと公園の横を下りていく。

正面に、墓地が見える。

もうすぐ、遍照院だろう。

峠を下ってきた。

どうだったのだろう。

国道を真っ直ぐ行っても良かった。

、、、どちらでも良かったんだ。

自分で選び、この道を来た。

そして、何を学んだのだろう。

大切なことは、なんだろう、、、

なんでもない景色。

歩いた自分には、宝物キラキラ


わお(≧◇≦)
でっかい、、碇
流石、、海の町

国道が海沿いにあるのに、う回路の案内だ、、

国道が込み合うんだな。

踏み切りだ\(^o^)/

山際は墓地になっているんだな。

『立岩踏切』を渡る。

続く。