なかなか、、人には出会わないけど、
木々や花、鳥さん達が、歩く楽しみとなった。
朝8時の出会い
おはよう(^^)/
下りていこう。
続く。からです。
四国遍路の三信条の続きです。
四国遍路の三信条
一、摂取不捨の後誓願を信じ、同行二人の信仰に励みましょう。
一、何事も修行とこころえ、愚痴、妄言をつつしみましょう。
一、現世利益の霊験を信じ、八十八の煩悩の波を靜めましょう。
の、その二です。
弘法大師は、ご誕生の地縁につながる四国の山野を巡り修行をした。
そこで自らの理想の生き方を求められ、一人でも多くの人々にその
ことを伝えたいと祈った。そのために苦労を忍ばれた。そのことを
自覚したうえで四国遍路に臨みたい、それが「三信条」を掲げる理
由ともなっている。三信条は、弘法大師御入定1150年(昭和59年)
の大法会を控え『先達必携』の改訂に携わった当時の編纂委員が、
「高野山真言宗檀信徒必携」の三信条を参考として制定し、初めて
採用したものである。
二、俳人・芭蕉は、「旅は人生そのもの」という意味の言葉をのこ
している。四国遍路にも相通じる名言である。四国の山野は、晴雨、
寒暖、四季の変化、みなそれぞれ違う。日暮れて道に迷うこともある。
思いがけぬ助けで予想以上に道程がはかどることもある。
遍路は、身体の活動を通してひとつの目的を追求していく。この
追及は、日常すべての行動が「修行」というにふさわしい意義をもって
いる。順風にせよ、逆風にせよ、それを生かすも殺すも、対応する
人の考え、行動の仕方によって決まる。
ひとには、限りなくものをほしがる「貪り」、他人を傷つけ、自
らも損なう「瞋り」、ものごとの道理をわきまえない「癡さ」がつ
きまとう。仏教ではこれを「三毒」という。日常のちょっとした言
葉遣いや、ささやかな行動の端々に現れるものである。これらは目的
の達成に障害にこそなれ、決して益にはならないという信条である。
(四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)
南無大師遍照金剛m(_ _)m
6時半から歩いて来て、、ちょっとくたびれてきました。
休憩したいなと思ったら、池が見えてきました。
池の横の坂で、靴を脱ぎ、ごろ~んと寝ころぶ。
(≧◇≦)
「池のそばで寝ころんだ、、久しぶりの鶯の声、、
、、、空の雲、、天は高いなぁ、、、
鳥さんをよく見た、、いっぱい見た」と書いていた。
見上げたら、、鳥さんが身づくろい
可愛いな、、
脚も休められた。
歩き出そう。
寝ころんだ場所に、ありがとうと言って出発した。
この日は、、行く先々に導いてくれる小鳥さんがいた。
僕の、、先達様だ(*^_^*)
導きをありがとうございます。
小鳥さん、、次に来たお遍路さんも、よろしくお願いします。
川向こうの景色
川沿いに並ぶ木々、、何の木だろう
向こうは、みかんかな。
穏やかな道
ゆっくりとした時間が流れる。
ここは、、菊間町 長坂
菊間へ下っていく。
時間と同じように、自分の身体のリズムで流れる景色。
おばあさん、、
にゃんこさんに、ブラッシングと按摩をされていた。
道路の山側の壁
藤が広がっていた。
香りに包まれる。
杖を突き、脚を前に出す。
徳島、、高知、、愛媛も随分来た。
焼山寺も、鶴林寺・太龍寺、室戸岬、、足摺岬、、
久万高原町、、
泣いたり、笑ったり、、ここまで来た。
うまくいったり、、大失敗したり、、
何度来ても、新しい味わいがある。
歩きながら、、あの日の様子が思い出される。
国道196号まで1.5Kmだな
番外霊場の遍照院、菊間の駅も、1.5Km位。
遍照院から、次の札所53番延命寺までは14Km位
延命寺から今治まで3~4Km
数字を見ていたら、、しんどくなる。
行けない距離でもない。
、、、とにかく、歩くしかない。
この日、夜から雨予報。
菊間の遍照院から、海沿いを歩き、、ね、、ツツジさん?
ゆっくりでいいよね??
ツツジさんは、、「、、、。」
白い鷺さんと、突然見合い、
お互いにビックリ
でも、舞う美しい姿を見た。
ビックリさせて、、ごめんなさい。
曇り空、、
やっぱり夜は雨なんだな。
でも、いいこともある。
日差しが無くて、暑くないから、歩きやすい。
山の間から、海が見えます(*^_^*)
菊間の港だろう
このみち~は~ い~つか~きた~ み~ち~♪