令和6年4月20日(9)番外霊場 法佛山 遍照院 日輪寺① | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

踏み切りだ\(^o^)/

山際は墓地になっているんだな。

『立岩踏切』を渡る。

続く。からです。

朝に、宿から出て、菊間駅に向かう前に通り過ぎた、

港前の四国霊場番外の遍照院に辿り着きました。

遍照院の住居の横を、元気に走り回るわんちゃん

踏切を山側から下ってきて、寺の東側の鐘楼門に到着。

8時55分。

朝に、前を過ぎた6時から、、、2時間55分だな。

セルフの写真

タイマーミス、、、失敗(/ω\)

鐘楼門、、前にスペース無く、角度上向きの写真カメラ

番外霊場 法佛山 遍照院

本尊 聖観世音菩薩

   開基本尊厄除弘法大師

開基 弘法大師

宗派 真言宗豊山派

略縁起によると、弘仁6年(815)、弘法大師が「諸人厄除のため聖地を

開き、聖観音を安置し、御自作の像を遺し給う。」とある。「厄除大師」

の別称があり、毎年節分には厄除けの護摩修業がとり行われるのは有名。

「新」第42番札所。

(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)

 

黒く光る、鐘を打たせていただく

祈、、日ノ本の平和

m(_ _)m

港側の、、

山門の方も、見せていただきます

『四国霊場 中札所 

  弘法大師やくよけ別願所 遍照院』

国道側、港側の山門

明治、、三十六年 閑院宮妃殿下、、、との石碑

菊間の瓦の産地

山門右側の仁王様じゃなくて、、鬼瓦

流石、、河原の産地だ。

左側

水で、清めさせてもらいます。

本堂

声を出さずに、『静拜』

弘法大師千百五拾年 興教大師八百五拾年 御遠忌記念

   厄除大師遍照院御縁起

當山は嵯峨天皇の御宇、弘仁6年(815)、真言宗の御開祖である

弘法大師42歳の御時、四國御巡錫の砌、法佛の故嶺に錫を留め茲に

不思議の霊瑞を御感見あらせられ一寺を御開創、聖観音像を刻し以

て本尊として安置、山号を法佛、寺号を日輪、院号を遍照と号す。

さらに、大師自ら42歳の厄除のため、又永く末代諸人厄除の誓いを

籠めて秘法を貽し、親ら御自身の尊像を刻まれ、開基本尊厄除大師

の御靈像として稀世不思議の勝益を施し給ふ旧刹なり。

     維時昭和63年戌辰歳10月吉日

               當山大丗四世現董瑞興謹書

お馬さんの瓦の飾の下に、お寺の説明。

815年 真言宗の開祖 弘法大師が自らの42歳の厄除けと人々の

厄除けのために、自身の御尊像をきざみ、ここに本尊として安置、

厄除けの秘法を残した寺。毎年2月3月は日本全国から多くの人が

厄除けに訪れます。

、、、失敗。

いがむ、、

歪む、、、、。

続く。