風早八十八ヶ所番外札所の杖大師が見えてきました。
続く。からです。
花へんろ四ヵ所霊場の第四番でもあります。
番外霊場 青面山 養護院
本尊 青面金剛
開基 廻玄法印
宗派 真言宗醍醐派
永禄年間(1558~1570)に修験道場として、北条市中西外に創建され、
当地方の祈祷寺となった。大正9年(1920)現在地に寺堂を落成。移転
している。寺伝によれば、遍路大師の夢想、縁起による杖、わらじ、数珠
などが伝えられ、「杖大師」の名で今日に至っている。
(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)
真言宗醍醐派 青面山養護院四國靈場番外札所
早風四國 㐧五十二番 お杖弘法大師
㐧四十九番 釈 迦 如 来
早風八十八ヶ所の49番と52番は、ここですね。
山門に掲げられる『除難招福』そして、注連縄
左、本堂。
右、大師堂。
境内には、仏様方が並ぶ。
山門の前に手水舎、、向こうに、屋根のある休憩所
荷物を置かせていただきました。
手水鉢
本堂
御本尊 青面金剛樣
そして、不動明王樣 釈迦如来樣 如意輪観音様
本堂前の常香炉
奉納された方々の気持ちが込められている。
横の、お杖大師のお堂へ
お大師様の話の残る巡礼地
『御杖弘法大師』
大師堂には、弘法大師様
不動明王樣 役行者様
大師堂前の常香炉
イロハ順です。
(↓2006年3月のお杖大師)
御堂が立て直される前のもの。
もっと写真を撮れば良かったな、、、御堂の様子は、、
以前の古い屋根瓦しかわからず、、。
山門の横は、ブロック塀だな。
(↓2008年12月の写真)
(↓2008年12月の写真)
この年の10月に本堂新築と記されている。
(↓2008年12月の写真)
新築された年(2008年)のお杖大師のお堂
(↓2008年12月の写真)
本堂側
ピカピカだった2008年
(↓2010年2月の写真)
同じ位置で写しているのが、、面白い(;^ω^)
(↓2010年2月の写真)
ぐるりと地元の方の気持ちの石碑が並ぶ。
(↓2006年時の由緒書き)
読みづらくて、、間違いがあるかもしれません、、
m(_ _)m
真言宗醍醐派青面山 養護院杖大師
御杖の由緒
予州松山風早浦北条町に亀治郎なる者有り。去る
文政八年乙酉八月二十一日遍路修業の僧。彼の門戸に立つ。
妻、喜んで寸志を放捨す。僧之を示す。爾来此の家の信
を受け旅院七度に及ぶ、感涙無限、教誠数言を報い示
す。今春正月ニ七日暁天、親しく夢想の教誠を蒙り感得
して五種の霊物を現わす。杖、念珠、真筆、赤札守、藁履二
足、此の御杖は其の一也。号今年変遍路四国霊場巡拝、
亀治郎を尋訪し具に件の因縁を聞き倍す大師の誓願を憶す。
其の文に曰く日々影向をかかさず信ある者に立っては幸を授く、即ち
彼を願し信に至り化益を為すものには遍路の形を現わし併せて
其の影向を見せ給う乎。曰く弘法大師の化現疑い無き者乎
仍に云う、尊崇して遍路大師を喝すべし、予、喜感の余り紺
地金襴地を以て袋を作り悲杖を納め函を作って之を寄付す
伏して一得をこいねがう悲杖は大悲心を発起し達に疾く化益を
受け祈願良計を為さしむるのみ。
文政九年丙戌八月吉辰 亀治郎真人に贈る
○○智積院第二座明星院法印 道本?○○寺誌す
同年九月 第一座に進み六波羅蜜寺に住す
今の説明書き
青面山 養護院(杖大師)
杖大師の照合について
文政8年(1825)8月25日風早郡北条の亀次郎なる者の門前に 遍路修行僧
が立ち、托鉢を乞う、妻は喜んで寸志を喜捨する、僧は喜び、この縁で、この家に
宿泊すること七度に及んだとわれます
翌、文政9年正月早々に、亀次郎の枕元に遍路僧が立ち、ありがたい仏の教え(訓)
と共に、杖、念珠、わらぞうり等五品を賜る夢をみました。この話を聞いた京都
東山の智積院明星法印は、四国巡礼の際、亀次郎宅を訪ね、この話をつぶさに聞き、
この夢に現れた僧こそ、遍路大師(弘法大師)であることを確信し、紺地金襴の袋に杖を
納め、箱に入れ「仏の慈愛」の杖として、養護院に奉納しました「この杖を拝み、願い
事をすれば、お杖は慈しみの心を発揮し願いをかなえて下さる」との願いから、
「お杖大師」の称号がうまれました。
合 掌
休憩場の横
昭和24年に建てられた石碑
奉修大施餓鬼為當山先師尊霊
大東亜戦々死病没者霊 當山信徒累代諸聖霊
有縁無縁貴賤霊等皆成佛道
m(_ _)m
裏面は、大正十五年と刻まれている。
(旧)北条市中西外に創建されたお寺が、大正9年(1920)
現在地に寺堂を落成。移転したとある。
その頃に、置かれたものなんだな。
杖大師碑名石建設費寄付者
名前の記載は「抽籤順」とのこと
籤引きで決めたんだな。
本堂横の寺坊
きれいにされているな。
納経の印は、自分で押す形となっていた。
心に頂いた。
続く。