令和5年12月27日(41)赤大師 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

優しそうな先生

伊予北条に向いて行く、、あし

からです。

道沿いのポスター「北条幼稚園」園児募集

その脇の、御不動様の御姿

久谷大師新四国の不動院奥之院とのこと

ここもお店だったんだろうな

玉井食料品店さん

椅子と時計を置いてくださっている

地元の地図。

ほんと、、海沿いの町

ピッタリ12時

自撮りをしてしまう。

12時57分の伊予北条駅発の電車に乗れそうだ。

ゆとりをもって帰ろう。

あっちこっち、きょろきょろ目

野球だな野球

愛媛県民球団 マンダリンパイレーツだな

みんな頑張れ~!!

⇓四国アイランドリーグのサイト

四国アイランドリーグplus 公式サイト (iblj.co.jp)

こちらは、、映画の宣伝

もしも、僕の彼女が妖怪ハンターだったら…という映画らしい

さっきの地図にあった椙野ガスさんの前を通る。

♨マークだ(*^_^*)

伊予北条の天然温泉シーバさん

伊予北条と言えば、、やっぱり鯛めし

この先分岐点

(先では、すぐに県道に合流する)

四国のみち道標

左ですね☜

県道さんと離れる。

や、、焼肉!!

焼肉の大西さん

老舗地元「肉の大西」が選んだ 愛媛県産の焼肉

愛媛牛 ホルモン 浜千鳥

これがまた うまいけん!!

宇和高原豚 笑顔 極旨カルビ しあわせ

 

昼の腹ペコ遍路は、、目を奪われる。

、、、僕だけか。

あかん あかん、、、、、

お遍路に来ているんだった。

焼肉屋さんの横は、赤大師様

写真や、初めてここを来た時は、ビックリしました。

愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』によると、

 旧街道を行く遍路道はこのあと新開で西側に県道をそれて150m

ほど進む。その途中、通称「赤地蔵さん」と呼ばれ親しまれている

地蔵堂の前を通る。近年は赤く塗られた大師座像も合祀するところ

から「赤大師」とも呼ばれているようである。お堂の背後に、小型

の中司茂兵衛88度目の道標がある。昭和62年(1987年)、当地か

ら東へ約500m、北条市辻の隅田川沿いの道と北条北中学校に通じ

る農道との交差地点にある水路に架けた石橋として発見され、現在

地に移されたという。文面で「國」の文字を欠くこと、村名を

「椋之村」と刻むことや刻字の表現様式、石材の質などから考える

と、当地方でみられる他の茂兵衛道標とは異質のもののようにも見

える。

と、記されている。

愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』には、さらに

ここにある道標のことや、昔のへんろ道についてなど、興味深い

話が記されている。

風早四国 番外九番 赤大師

お顔が白い仏様

そして、真っ赤な衣のお姿

 

   赤大師(赤地蔵さん)

 藩政時代に北条市上辻の庵(津地医王山薬師堂の煉瓦に

河野家の定紋・隅折敷縮波三)に祀られてあった地蔵尊を

どのようないきさつからか、松並木街道(現在の196号線)

脇に移し祀るようになった。里人は朝な夕なにお参りし、

もろもろの事を祈念、願のかなったお礼に"ベンガラ"で、

お地蔵さんを赤く化粧することがいつの間にか習わしとなった。

こうしたことから地蔵尊を「赤大師」「赤地蔵」と呼び、

供花は水々しく、線香の香りと煙は四六時中絶ゆることがない。

 その当時の松並木街道は、赤大師(赤地蔵)の境内前で

"二タ又道"になり、ニタ又道の所で八郎川が淵のようになっ

ていた。道不案内の旅人やお遍路さんが月明り道の光を頼り

にお地蔵さんの前まで来て、右にしようか…左にしようかと

迷いながらうかうかと行くうちに、ドンブリコと淵にはまり

込んで、底の泥沼に足を取られて、あくる朝に溺死体で発見

された人は数しれない。

しかし、里人の温かい信仰は、溺死した人、行き倒れの人た

ちを(大正13年当時のこの辺りは家もない)この荒れ地に死

体を手厚く埋葬し、無縁墓を建て、今なお、この供養はつづ

けられている。

                   平成26年11月吉日

                     赤大師保存会

願いのかなったお礼に、ベンガラでお化粧されたお大師様

大師様の後ろにも、、小さな仏様方

かつてこの辺りは、、家もなく、、荒れ地で、、

溺死や行き倒れの人がいたとのこと。

里人が弔ってくださった方の、墓石だろう

南無地蔵尊 南無大師遍照金剛

m(_ _)m

文字も、、よく読まず、、

場所も考えず、、今までこの地に足を踏み入れていた、、

仏様、、すみません。。

m(_ _)m

ここに、道標があります

☞八十八度目供養 周防大島郡椋之村

施主中務茂兵衛建之 明治十九年三月

句碑が建てられている

涼しさや 海から風の 赤大師、、だろうか

毛人、、と読める。

赤い、、赤い、お大師様

地元の保存会の方々が、守られている。

右の石灯籠

御水を、ありがとうございます。

霊場 赤大師

四国のみち 道標

さぁ、、駅に向かうぞ。

続く。