令和5年12月26日(35)四国第52番札所 瀧雲山 護持院 太山寺➁ | お遍路 の記憶

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三の門横にある説明板

瀧雲山護持院太山寺

本堂(国宝)

四国霊場第52番札所、鎌倉時代(嘉元3年1.305年)に建て

られたもので、桁行七間(16.38m)梁間九間(20.91m)、

屋根入母屋造り、本瓦葺きで、木造建築では県下最大の堂々

たる建物である。その構えにふさわしく、木組は大きく、柱

はすべて円柱、手法は和様であるが、天竺様式や唐様式をと

り入れ鎌倉時代特有の雄大豪壮な建物である。柱間に多数使

われている蟇股の曲線は美しく、当時の名工の作品で稀にみ

る傑作である。厨子のある内陣が土壇であるのは日本でただ

一つと言われている。

二王門(国指定重要文化財)二ノ門

三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺、建築は和様であるが

柱はすべて円柱で、いずれも礎盤をそなえた唐様の手法がみ

られ、鎌倉時代の特徴を伝えている建物である。

十一面観音像(国指定重要文化財)

本堂の須弥壇に安置されている木造十一面観音の七体すべて

が重要文化財である。聖武天皇以降の歴代天皇勅納の仏像で

あり、これらの像はともに高さは145~149㎝前後の一木造

りで、細部には、それぞれ相違の点はあるが、全体の容姿は

ほぼ共通し、優美でよく均整がとれていて、藤原彫刻の特色

をよく表現した素晴らしい観音像である。聖武天皇勅納の像

は、50年に1回の御開帳である。

梵鐘(県指定有形文化財)

鋳銅製で、高さ116㎝、直径61㎝

永徳3年(1.383年)の刻銘がある。

鎌倉(吉野・南北朝)時代の名作である。

絹本著色・弘法大師像(県指定有形文化財)

縦113㎝・横118㎝絹本著色画像である。

鎌倉中期以前の優秀な作品である。

 

   一夜建立の伝説

   今から千四百年前、豊後の国(大分県)の炭焼小五郎のもとに奈良の

    三和神社のお告げによって都の久我大臣の娘、玉津姫が嫁いで来ました。

    夫婦は宝を見つけて大金持ちになりました。天皇より「長者」の号をいた

    だき真野長者と名を改めて難波(大阪府)の港に向かう途中、高浜沖で

    あらしにあいました。

    一心に「南無観世音菩薩」と唱えて祈ると瀧雲山(経ヶ森)山頂から、五色の

    御光がさし、ほどなく海がおだやかになり、無事船を岸に寄せることが

    出来ました。長者が山に登ってみると、草深い小さなお堂に十一面観

    音像が安置されていました。

    御利益をいただいたお礼にと思い本堂を建てることにしました。

    すぐに国に帰り、大工を集めて本堂の木取りをして船に積み、追い風を

    うけて豊後の臼杵から一晩で高浜にやって来ました。

    そして、山の中腹に、一夜のうちに本堂を建立したということで

    「一夜建立の御堂」と呼ばれています。

昭和62年5月

文化財を大切に

松山市教育委員会

瀧雲山護持院太山寺

こちらは、、御祈願のお申込みですね。

御祈願のお申込み

  (納経受付まで)

一、添護摩

  御祈願の上お札は郵送致します

  一、小護摩札 三千円

  一、中護摩札 五千円

  一、大護摩札 一万円

一、本護摩

  本堂にて御一緒に御祈願致します

  一、大護摩札 二万円以上

一、試験合格祈願 三千円

   御祈願の上お札は郵送致します

   先祖供養 御供養の日時をあらか

   水子供養 じめ決めてお来し下さい

 

本護摩を申し込めたら、、本堂に入れていただけるのですね。

さぁ、、本堂を見て行きましょう。

国宝の本堂です

本堂前に二基建つ燈籠

萬野汽船さんによる寄贈ですね

右側

僕と同じ年なんだな。

文字、、ばっかりになっちゃった💦

続く。