令和5年12月26日(34)四国第52番札所 瀧雲山 護持院 太山寺① | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

お地蔵様方が並ぶ、奥の地。

祈りの声が、聞こえそう。

少し重かった。。

『一字一石 祈願 供養』

願いを込めて、、大勢の方が書いていく。

そして祈っていく。

さぁ、、本堂に向かおう。

階段下の説明板

太 山 寺

 四国八十八か所の52番札所である。瀧雲山護持院と号し、

本尊は十一面観音菩薩である。

 この寺の開創説話に、炭焼き小五郎にちなむ伝承の「一夜

建立の御堂」がある。豊後国(大分県)の炭焼き小五郎が黄

金を発見して真野長者となった。あるとき、船で難波に向か

う途中、高浜沖で大嵐にあったが、瀧雲山(経が森)に光明

を見て助かった。翌日、山へ登ってみると、小さな草堂に十

一面観音が祀られていた。長者は霊験に報いるために、国に

帰り、財を船に積んできて、一夜で堂宇を建立したという話

である。この真野長者堂は、現在、本堂の左に祀られている。

 寺伝によると、この寺は、天平11(739)年、聖武天皇の

勅願により僧行基が開いたという。平安時代には、冷泉から

近衛までの歴代天皇が十一面観音像を奉納している。

 伊予の豪族河野氏は、嘉元3(1305)年と文明17(1485)

年に本堂、山門などの大修理を行った。その後松山城主加藤

嘉明、松平家歴代藩主の帰依を受け、今日に至っている。

               松山市教育委員会

急な階段をのぼって、、さぁ上へ

四天王が四方を守る、仁王門(三の門)です

足元に日本遺産の碑

日本遺産「四国遍路」四国霊場第52番札所太山寺

 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全

周する全長1.400Kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、

1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に

行われている。地域住民の温かい「お接待」を受けながら、

国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を

見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語る

ストーリーの1つとして、日本遺産に認定された。

 第52番札所の太山寺は、瀧雲山と号する真言宗寺院で、

本尊は十一面観音。用明2年(587)に豊後の富豪・真野

(まの)長者が瀬戸内海を航行中、暴風雨に遭遇するも、

観音の霊験によって危急を救われ、創建したと伝える。

ここで、、、手水舎が無いことに気付き、、

階段を戻った。

、、、、、💦

再び、、のぼる(;'∀')💦

第52番札所 瀧雲山 太山寺

本尊 十一面観世音菩薩(伝行基菩薩作)

開基 真野長者

宗派 真言宗智山派

用明天皇の御代に真野長者が創建、のち聖武天皇の勅願を

奉じて行基菩薩が本尊を安置その後、弘法大師も入山し、

胡摩ヶ森(護摩が森?)で護摩供を修せられた。登坂0.7

粁経ヶ森山頂には観世音菩薩像あり、石碑に「聖武帝埋経

の地」の銘のものがある。

(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)

鐘楼堂へ向かい、、

室町時代の梵鐘は、県指定有形文化財

お寺はお宝の宝庫

そして、、国宝の本堂へ

国宝の本堂は、嘉元3年(1305)鎌倉時代の御堂

太山寺本堂 一棟

              国 宝 ( 建 造 物 )

              昭和 31年 6月28日指定

 桁行七間、梁間九間、一重、入母屋造、二軒、本瓦葺で、

全国屈指の規模を誇る密教寺院本堂である。柱、梁などの

木組みも大きく豪放であるとともに、和様を基本にしながら

虹梁や挿肘木等には禅宗様や大仏様の手法が使われるなど、

三建築様式の融合した調和美がある。内陣が土壇になって

いるのは全国でも珍しく、蟇股の工作も鎌倉期を代表する

ものと評価されている。

 

木造十一面観音立像 一躯

木造十一面観音立像 六躯

            重 要 文 化 財   ( 彫 刻 )

            昭和32年 2月19日指定(一躯)

            昭和34年 3月27日指定(六躯)

 本堂内陣の須弥壇に安置されている木造十一面観音像七躯

は、寺伝によると聖武天皇が勅納の仏像で、厚い信仰の対象

となっている。像高150センチメートル前後で一木造である。

容姿は優美で調和のよくとれた藤原時代の秀作である。

                   松山市教育委員会

絹本著色弘法大師像 一幅

            愛媛県指定有形文化財(絵画)

            昭和 40年 4月 2日 指定

 右手に金剛杵を逆手でとり、左手は数珠をとって膝上に

置くという通例の像容である。建て113、横118センチ

メートルの絹本著色画像である。鎌倉中期以前の作。

 

太山寺の納札 三枚

            愛媛県指定有形民俗文化財

            昭和 42年 5月24日指定

 室町期の板札と17世紀中葉の板挟み2点で、四国遍路の

貴重な資料である。

 

太山寺算額

            愛媛県指定有形民俗文化財

            平成 16年 11月11日指定

 嘉永5(1852)年に、山崎昌龍(喜右衛門)門人の花山

金次郎の算題を松山城下の茶屋何某が施主方となって奉納。

外枠の外寸は、縦78.3、横99.3センチメートル

                 松山市教育委員会

階段で、本堂から一段上の大師堂へ

大師堂

蝋燭台、常香炉の上に、新しく屋根を付けてくださっていた。

屋根瓦が新しくなっているようだ。

↓2010年2月 大師堂

以前の瓦の様子が見られる。

お参りを終え、ゆっくり境内を見て行こう。

続く。