令和5年12月26日⑦七曲り遍路地蔵 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

年初めの大きな地震。

お亡くなりになられた御方の御冥福と

被災され方々に心からお見舞い申し上げます。

 

お遍路の続きを書きます。。

 

池の土手を振り返る。

お地蔵様の御堂m(_ _)m

さぁ、、国道方向へ

寄り道して良かったな、、、。

いや、寄り道じゃない。

これが、僕の、、へんろ道なんだ。

続く。

からです。

時間は、8時50分位です。

歩道の脇の小さなスペース目

お花を植えられていた。

お花さん おはよう(^^)/

とっても元気を頂ける。

町の防犯新聞

特殊詐欺に注意

自分だけは大丈夫は、、無い。

街角遍路、、自撮り(;^ω^)

国道196号に出ました。

お店も並ぶ。

早速、、見てしまう。

じゃない、撮ってしまう。💦

国道沿いの賑やかな道

うん

じろじろ見てばっかりなら、、

いっそ、食べちゃおう。

ごはん屋さんに入った。

釜炊きのご飯に、自慢の玉子焼きにネギを入れて

納豆に、みそ汁

550円也\(^o^)/

大満足

トイレにも行けた。

良し!!

歩こう!!!

③に向かう

今まで、寄らなかった蓮華寺へ行こう。

国道に沿った川に、鴨などの野鳥さんが泳いでいた

僕を見たら、飛んで逃げちゃう(/ω\)

自動車教習所だな、、

懐かしいな。

ダッシュボードに、消しゴムを立てられて、倒さないように

運転しなさいって、、

クラッチのタイミングも、車ごとに違ったり、、

もう、何年前だろう。

、、お遍路も、僕はまだまだ教習所中かもな、、。

ね?鳥さん

目史跡 七曲がり跡

説明があった、、( ..)φメモメモ

上空から見た写真

ほんと、くねくね道

七曲り街道

現在の姫原から鴨川にかけ北方から侵入する敵に備えて

七ヶ所の曲がった街道が時の城主加藤嘉明公によって作

られ幅6m、高さ3mの土手になっていました。

 しかし、この街道も軍事的には利用される事もなく江戸、

明治、大正、昭和と永らく平穏に利用され戦後の道路改修

工事によってその姿を消しました。

 当寺の街道の一部がこの地に僅か10m残るのみとなって

おります。

    永き日や 菜種つたひの 七曲り

    菜の花や 道者呼び合ふ 七曲り

               正岡子規

          平成28年潮見地区まちづくり協議会

                  作成の説明板より

私は【七曲り遍路地蔵】です

 この地が吉藤村と呼ばれていた時代、七曲り街道に面した

角田池の土手で、道行くお遍路さんの道中の安全と次の札所

まで「もうすぐですよ」と元気づけるために、村人の有志に

よって私が作られました。

 その後、時代の波にのまれ、点々と場所を移し、いつしか

52番札所の太山寺境内の片隅で50年近く過ごしました。

 この度株式会社門屋組敷地内の一部に仮住まいとして帰っ

てきました。

                   令和元年12月9日

 

 この度、株式会社門屋組本社社屋改築工事の完成に伴い、

株式会社門屋組さんの御尽力によりこの地に立派な祠を建て

て頂き、七曲り史跡の石碑と共に整備が完了しました。

 道行くお遍路さんの安全と地域の皆様の健康長寿を願い、

永く、永く皆様をお守りいたします。

                   令和5年10月吉日

                 七曲り遍路地蔵保存会

点々と、、移ってこられたお地蔵様

m(_ _)m

以前に、太山寺で会えたのだろうか、、

インターホンが付いていて、

建築会社が営業中なら、お茶のお接待をうけれるようです。

ありがとうございます。

大切にされているお地蔵様に会えた。

また会いに来たいな。

続く。