令和5年12月26日⑥軽之神社 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

年初めの大きな地震。

お亡くなりになられた御方の御冥福と

被災され方々に心からお見舞い申し上げます。

 

お遍路の続きを書きます。。

 

ここで亡くなられたのかは、定かではないが、

後の人々の気持ちによって、寄り添った二人。

山の裾から、この町を見つめる、、2人。

少し下ると、、神社に行けます。

続く。

からです。

この辺り、、友近さん多いな。

そういえば、あの、、面白い友近さん、

松山出身だったな。

比翼塚を下りてきて、池のほとりに来ました。

この辺りの地図がありました。

伊予の国、ここは松山~♪

その、、この辺りにいます。

軽之(かるの)神社・軽太子の塚

 允恭天皇の皇太子木梨軽太子と軽大郎女の兄弟を祀る。

 『古事記』によると、軽太子は同母の妹軽大郎女と許さ

れぬ恋におち、太子は伊予の湯に流された。姫は恋しくて

たまらず追いかけて来たが、二人はついに「自ら共に死に

たまひき」とある。『日本書紀』では、軽大郎女が先に流

されたとある。

 村の人たちは二人の霊を哀れんで神社を建て毎年四月

二八日に祭礼を行っている。

 軽太子と軽大郎女を祀った比翼塚がこの東の山裾にあり、

その側に二人の詠んだ歌を刻んだ歌碑が建てられている。

         松山市教育委員会

 『俳句の里 松山』

手水鉢が置かれていた。

戰捷紀念の碑も建てられていました。

横を回りこんで、御社の正面に来ました。

御社の右後ろの方が、比翼塚です。

正面の舞台?

蟇股の御紋

天井部分に神輿の担ぎ棒のようなものも見えています

許されぬ恋に、流された皇子様

妹君と共に自害されたという、、。

拝殿の蟇股

伊豫の松山の方々によって、祀られた皇子様と妹様の御社

池のほとりのお地蔵様

池に向かって、山に向かって、静かに座っておられた。

松山のお遍路さんの本で知った、還熊八幡神社と軽之神社

比翼塚。

この国で生きてこられた、人々の思いや歴史。

心に受け止めて、自分の一歩につなげる。

お遍路って、、?

生きていくこと。

寒くても、、

池の土手に咲くお花さん

木梨軽太子樣と軽大郎女樣のためにも咲いているようだった

野に咲く、美しく、可愛い命の花

神社から階段を降り、へんろ道に向かう。

還熊八幡神社から同じように道を歩いて来た、あの四人組

ここでも、「じゃんけんぽん!!」

ぱいなつぷる!!ちよこれいと!!

(#^.^#)

 

少しの時間だったけど、可愛い姿が見れた。

ありがとう。

 

池の土手を振り返る。

お地蔵様の御堂m(_ _)m

さぁ、、国道方向へ

寄り道して良かったな、、、。

いや、寄り道じゃない。

これが、僕の、、へんろ道なんだ。

続く。