令和5年12月26日⑤比翼塚 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

まだまだ、地震が続く中、、

お亡くなりになられた御方の御冥福と

被災され方々に心からお見舞い申し上げます。

 

お遍路の続きを書きます。。

 

神様、、ありがとうございました

続く。

からです。

還熊八幡神社から、➁番の神社へ向かいます。

どうして行こうかと思ったのかは、、、

↓この本を見て、寄り道したくなったのです。

次の神社については、、

また、姫原1丁目の軽山の麓には、比翼塚・姫塚とて2基の

小型五輪塔があり、木梨軽大郎女および軽太子の墓であると

伝えられ、古代史へのロマンを掻き立てる。近くには、2人

の霊を祀った軽之神社もある。

       (おへんろさん 松山と遍路の民族 より)

とある。

還熊八幡神社から、歩き出しました。

家の前にも、歴史を感じる石塔m(_ _)m

国道196号じゃなく、一本内側を歩く。

地元の道、、、

案内の有る、国道沿いを1本内側

右に曲がる道や、、ジグザグ、、

、、、こっちでもいいけど、真っ直ぐ行こう、、。

「清水分団消防ポンプ蔵置所」

シャッターは、、地元の高校の美術部が描いた絵なんだな

さっき絵を見たので、、絵を見たら気になって、、

何だろうって

言葉だけより、絵があると、、見ちゃうよね

さっきの、還熊八幡神社で会った、4人組の子ども達が、

自分の先にいた。

この小学校の生徒さんかな。

ここから、、細い道。

迷って、、戻って、、歴史のあるロマンの場所へ、、

比翼塚・姫塚のある場所です。

比翼塚とは、愛し合って死んだ男女や心中した男女、仲の

よかった夫婦を一緒に葬った塚とのこと。

天皇様の皇子様と、その妹様の御塚の場所。

歌の碑が建てられています

万葉集 巻二 九十の

「君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」

です。

軽太郎女(衣通王)允恭天皇皇

『あなたが旅立ってからずいぶん長い日が経ってしまった。

 あの山道をたずねて迎えに行こうかな。もう待ってなど

 いられない。』という意味だそうです。

 

並んで「天飛ぶ鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は我が名問はさね」

とあります。

木梨軽太子、十九代允恭天皇の第一皇子の歌です。

 

御二人は、禁断の恋を貫き、命を絶ったというお話です、、。

同じ母から生まれた二人が、恋に落ちてしまったというのです。。。

静かな、、この、山の麓の地に眠る御二人、、。

(所説あり)

小さいながら、二つの五輪塔が並んでいます。

後の世に、2人について詠まれた歌

読めなくて、、すみません。

この石も、、何かを伝えているんだろう。

ここで亡くなられたのかは、定かではないが、

後の人々の気持ちによって、寄り添った二人。

山の裾から、この町を見つめる、、2人。

少し下ると、、神社に行けます。

続く。