H16,4/21、9日目③(2004年)鶴から龍へ | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

↓古いノート記録の書き出し、最初の日のリンク。

ノートの記録があるので、参考に書いていきます。

20年も前の僕の言葉です、、、。

注:もちろんデータは古いです。

 

きれいな那賀川を渡る

水井橋を渡り切ったところで、待っていてくださる仏様。

のぼらせていただきます。

m(_ _)m

続く。からです。

那賀川を渡って、若杉谷川に沿って、登って行きます。

⑥と書いたところ、、

崖の岩穴、前にお大師様。

六角の東屋があります。

思い出の場所。

初めて歩いた、平成13年の遍路で、道の上り下りを考えず、

距離だけで、その日の計画をしていて、、

思ったように進めず、、脚は棒になり、、、気力は無くなり、

日が暮れました。

東屋を見つけ、、荷をおろし、、この日をあきらめました。

山間で、みるみる暗くなる中、ベンチに寝袋にくるまり、、

東屋の前のお大師様の石像に、、祈って過ごしたのでした。

山の中って、、真っ暗になるんですね。

ほんとうに怖かった。

頭もすっぽり寝袋に入れて、震えて過ごした夜。

苔むした、、お大師様

あの時は、、ありがとうございました。

一生懸命歩いたんだな。

それで、何がわかったんだろう。

わかったことは、、自分は何もわかっていないってこと。

辛抱強くないし、たいしたやつでもないってこと。

神仏のわかる器ではないってこと。

 

、、、ダメじゃん。

磨くけど、、ただの石だった。

 

思い出に浸るだけの男。

思い出の場所に戻る。

それでも、、

東屋から歩きだす。

何度となく見た車。

もう走ることのない車を見て、老いることを思う。

特別養護老人ホームで働いていた僕は、日々、お年寄りを

見ていた。

老いることは、自然なことなのに、僕は、、

否定的な考えを持ち、無理な笑顔で働いていた。

生きることって、、。

 

もう走らない車、、僕の行く末を重ねる。

鳥居と神様の御社

この時は、鳥居はまだ形を保っていたんだな。

倒れた御社に、、近くに寄れない

怯えながら前を通る。

 

僕のお遍路道の印象

カメラの向く先

残った写真。

 

ここに来て、ここを見て、何を思う。

 

ここを通る多くの人がいた。

祈る人々もいた。

 

そしてこの時、この風景。

 

きれいな場所ばっかりじゃないんだ。

山の坂を登り、開けた。

日が射し、嬉しかったのだろう。

どの辺りだろう、、引き延ばしてみた。

二十四丁の舟形道標が建てられている場所なんだ。

21番さんに到着。

鶴と龍に登った\(^o^)/

第21番札所 舎心山 太龍寺

本尊 虚空蔵菩薩(伝弘法大師作)

開基 弘法大師

宗派 真言宗高野派

本寺は、延暦12年(793)、桓武帝の勅願寺として建立された。

(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)

北ノ舎心殿

通り過ぎて、本堂に向かう。

結局、後で、登った。

鐘楼門を通り、本堂に向かう

門の向こうに、手水舎、手水鉢もある。

相輪橖  文化13年(1816)年

本堂です。