令和5年6/11(65)一草庵④ | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

続く。からです。

初めて入らせてもらった一草庵。

あの、、山頭火先生の終の棲家。

ここでいらっしゃったんだな、、、。

今までも、何度か訪れたけど、、中に入って、畳の上で時を

過ごし、、

何かを味わう事が出来た。

やっぱり、本やテレビで見るだけとは違って、実際に体験で

きるのは、とっても素晴らしいことだな。

、、、お遍路と同じだな。

そうだ上差し

今までの、一草庵への写真も記録しよう。

(↓‎2006‎年‎3‎月‎17‎日)

(↓‎2006‎年‎3‎月‎17‎日)

初めて来た一草庵目

(↓‎2006‎年‎3‎月‎17‎日)

当時は、、俳句の人なんだな、、という、、

漠然としたイメージだった。

(↓‎2006‎年‎3‎月‎17‎日)

(↓‎2006‎年‎3‎月‎17‎日)

外から眺めて、、、先に進んだ。

 

(↓‎2008‎年‎12‎月‎12‎日)

再び訪れた。

(↓‎2008‎年‎12‎月‎12‎日)

(↓‎2008‎年‎12‎月‎12‎日)

『春風の鉢の子一つ』

(↓‎2008‎年‎12‎月‎12‎日)

修復工事中でした。

(↓‎2008‎年‎12‎月‎12‎日)

『鐵鉢の中へも霰』

採択を取る方が多いのだろうな、、

(↓‎2008‎年‎12‎月‎12‎日)

‎3度目

通り過ぎた時もあったが、一草庵へ向かうことにした

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

山頭火先生なら、、句が生まれる場面だろうか、、

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

2羽の鳥、、

山頭火先生が一草庵へ来た時に、新築だった護国神社

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

水の流れ、、、

見た目にも楽しませてくれる。。

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

到着までも、楽しみな旅。。

修復工事が終わって、どうなのか、、

旗もあって、気分が盛り上がる。

とってもきれいになっていた。

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

そうそう、、送電線の鉄塔が目印

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

休憩所と展示・掲示、トイレも設置されていて、

きれいになっていた。

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

自筆を写したであろう、石碑

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

濁れる水、、澄む、、

泥のなかに咲く、蓮の花のように、、だろうか。

その目、その耳、、その心で、

何を見つめ続けていたのだろう、、、。

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

山頭火先生の住んでいた当時の風景

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

後ろ姿の山頭火先生

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

大正14年3月~15年4月まで堂守をしていた熊本県・植木町

瑞泉寺味取観音

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

「其中庵」

昭和7年9月~昭和13年11月山口の小郡町

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

「風来居」

昭和13年11月~昭和14年9月山口市湯田温泉

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

愛用の煙管と煙草入れ

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

愛用の鉄鉢

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

一草庵に入る前に滞在していた道後の遍路宿「ちくぜん屋」

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

きれいに修復工事が終えられていた。

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

縁側より、覗かせていただいた。

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

火鉢だろうか

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

御位牌m(_ _)m

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

旅を共にしただろう、、網代笠

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

一草庵の横の御幸寺

一草庵は、お寺の隠宅だったと、、

(↓2010‎年‎2‎月‎16‎日)

繰り返し、、訪ねて重ねる、、その歩み。。

、、、僕、思いを句にできたらいいな。

きっかけを頂いた、一草庵だった。

続く。