令和5年 2月7日(34)四国第45番札所 海岸山 岩屋寺① | お遍路 の記憶

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大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

「大乗妙典一字一石」の碑

そして、一丁を示す仏様

石碑の裏面、、

享保二十乙卯 天?六月念一日と

1735年、、、288年前のものですね。

「是より 岩谷山 一丁」

岩谷山とも呼ばれていたのかな。

上から、下りてきた人のためにも案内ですね

さぁ、荷物を置いて、お参りです。

続く。からです。

↓岩屋寺のホームページ

 

八丁坂をのぼって、上から下ってきたお遍路が、通る門が

町指定文化財の仁王門です。

岩屋寺のホームページの説明によると、、

寛政2年(1790)に兼鐘楼・洞阿弥陀遙拝所として建立で、

明治の大火でも焼失を免れた。、、、とあります。

茅葺き屋根の屋根は、昭和の中頃にトタンが被せられたとのこと。

 

明治の大火、、というのが、気になります。

屋根の真ん中のお寺のマーク

仁王門の力強い仁王様

門を抜け、振り返り見上げる。

なんと読んだらいいのだろう、、楼だけわかる。

仁王門を抜けると、大師堂、本堂と並んでいます。

仁王門の方を振り返る。

ガラスの案内板

奥に宝篋印塔

(↓2010年2月の写真)

(↓2010年2月の写真)仁王門

(↓2010年2月の写真)仁王門の上部に、鐘があったのだろう

滑車が残っている。

 

本堂へのお参りの前に、本堂前の階段を降り、

清めに向かいました。

階段下、寺坊、納経所前にて、水の清めを行う。

向かいに、正岡子規の句碑

「夏山や 四十五番は 岩屋寺」

、、、、冬山も 四十五番は 岩屋寺(≧▽≦)

鐘を突かせていただきます

鐘楼に俳句の板

愛媛は、、伊予の國は俳句をよく見ます。

本堂に向かおうあし

切り立った大岩山のお寺

本堂は、岩山に一体となっている。

まるで岩山が本堂だ。

第45番札所 海岸山 岩屋寺

本尊 不動明王(伝弘法大師作)

開基 弘法大師

宗派 真言宗豊山派

当地はもと法華仙人の修行地であった。弘仁6年、弘法大師が堂宇を

建立し、本尊を刻み開基した。

異様奇岩に覆われた霊場として印象的であるが、当寺には白山権現を

祀る鎖禅定、不動明王を祀る穴禅定の二つの行場があり、めずらしい

修行体験ができる。

 

(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)

 

 

岩屋寺のホームページには

真言宗豊山派(奈良長谷寺が総本山)に属する標高700mの山岳霊場。
弘仁6年(815)、弘法大師が霊地を探してこの地に入山したところ、

法華仙人と称する土佐の女性に出会います。

大師の修法に深く帰依した仙人は、全山を献上し往生を遂げました。

大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本堂に安置し、石像は

岩窟に秘仏として封じ込め、山全体をご本尊の不動明王としたのです。

大師は「山高き 谷の朝霧海に似て 松ふく風を波にたとえむ」と詠じ、

寺号を海岸山岩屋寺と名づけました。
鎌倉時代中期に一遍上人が参籠・修行したことは、

『一遍聖絵』(国宝・神奈川清浄光寺藏)にも描かれており、古くから

霊場として人々の信仰を集める寺域は、国の名勝、県立自然公園に指定

されています。

とあります。

 

 

岩屋寺 本堂

岩屋寺 大師堂

懺悔十訓 四国霊場にて

弘法大師曰く

一、懺悔して自分の心を反省することにより、初めて仏の心に帰る

  ことができ、信仰の道が開かれ、仏の道に入ることができる。

一、懺悔とは過去の悪を二度と繰り返さないと誓う決意のことなり。

一、懺悔とは人に話すことではなく、仏に対して懺悔することなり。

一、懺悔とは過去の罪を滅ぼし未来の善をつくるきそなり。

一、懺悔はは恥ずかしいことではなく、懺悔する心は尊い心なり。

一、懺悔する心によりて仏に仕える心が出来る。

一、懺悔する心によりて仏に縋る心が出来る。

一、懺悔する心によりて人に親しまれる心ができる。

一、懺悔する心によりて人間としての精神ができる。

一、懺悔だけでも救われ、懺悔によりて御利益を先にもらうことが

  できる。仏への勤めは後からでも可なり。

 

懺悔ができないものは絶対に助からない。懺悔が出来ればいかなる願い

も叶える。懺悔する心の者を弘法大師は助ける。

 

との石碑です。

「古きをたずね 新しきを知る」

続く。