よじ登る、、這い登る、、
力を出すんだ、、元気を出すんだ、、
今までも、乗り越えて来たじゃないか、、。
何度も何度も、越える。
いろんなものを越える。
山も、気持ちも、自分も、、。
のぼったら、、越えたら、、何かある。。
、、、また、同じような道が待っている。
僅かに進んでいる。
越えたら、仏様がいてくださった。
「従是岩屋迄十一丁」
太い木の根に乗っておられた
m(_ _)m
続く。からです。
しんどい時、辛い時、苦しい時、、その時の自分はどうなのか。
本当の自分が顔を出す。
自分のことばっかり考えて、まわりのことなど見えなくなる僕。
人のことなど思えない、、自分が、、自分は、、
僕は、、自分のことしか考えていない。
大師様や、お釈迦様は、違うんだろうな。
苦痛になれば、さらに人のことを思うお方なのだろう。
「まむし注意」
山だからね、、出ることもある。
僕も数回出会っている。
だから、足元は固めておく。
TVなどで、半ズボンやサンダルで山に入る姿を見るが、、
僕からしたら、考えられない。
アスファルト舗装の道などならわかるが、山道は脚を出すことは
考えにくい。
こんなに、見やすい道なら、安全かな。
山より、里に下りて、田畑の水路近くで、ニョロニョロさんを
見ることが多かったな。
寒い時期には、日当たりのいい場所で、日光浴をするニョロニョロ
さんもよく見る。
ヘビさんに近づくと、、生臭い匂いがする、、ことがある。。
ぼくは、お遍路用の靴に、長ズボン、さらに、山では、ゲイターを
使用しています。
この日は寒かったので、カッパも着用しています。
歩いていて、、
足が痛くなったら、、足が痛い人を思い
どこか体に不具合が出たら、、体の不自由な人を思い
心が痛くなったら、、悩んでいる人を思い
身内に不幸が起こったら、、同じ境遇の人を思い
祈る、、願う、、
日の本が、平和でありますように。。
世界のことまで願える自分になりたいが、僕はまだまだだな。
こうして、、歩ける自分の、恵まれた、境遇に
感謝がいっぱい。
来たくても、来れない、歩きたくても歩けない人もいる。
お遍路は安くない。
同じお金と時を使ったら、
他にいっぱい楽しめることがある。
、、、それでも来たいですか?
本気ですか?
自分に問う。。
お~寒う、、、((+_+))
こんなことして、、どうなるの?
歩いて、何か変わるの?
無意味じゃないの?
下りは、下肢がきしみだす。
「お遍路なんて、、いつでもできるさ、、」
「八十八のお寺をまわるだけでしょ?」
「また、、時間ができたら、、いつか行こうかな」
、、、そうですね。
その通りです。
ハイキングや、山登りなどと違うことは、、
歴史のある巡礼地を歩くことは、、いろんな「体験」をすることだ
って思います。
いろんなことが起こります。
いろんな事です。
決して、楽旅や楽しいことばっかりではありません。
何故、、ここに来ているのか、、
何をしたいのか、、突きつけられます。
やり切れない方もいます。
身体を使う仕事のスポーツマン20代の方が、室戸に向かう国道の
道で挫折していました。
どうすれば、??
簡単な事です。
先に進めばいいのです。
気持ちが折れちゃうんです。
小さなつまらないことで、、、。
もう、、やってられない、、、って。
何でこんなことしているんだって、、
何で、、何で、、何で、、、???って。
光り輝く緑の葉
山の中の自然の命に、自分を重ね、、探す。
僕は、どう生きたい?
はぁ~(@_@。
誰も、何かを願い、祈り、歩く。
木札が落ちていた、、
「揺がない 心が決める 大師の教え」
大師様を信じているんだ。
僕は、大師様の昔話の全てが、、とは言わないが。
「大師の教え」を支えに進む。
続く。