令和5年 2月7日(26)脚と心 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

よじ登る、、這い登る、、

力を出すんだ、、元気を出すんだ、、

今までも、乗り越えて来たじゃないか、、。

何度も何度も、越える。

いろんなものを越える。

山も、気持ちも、自分も、、。

 

のぼったら、、越えたら、、何かある。。

、、、また、同じような道が待っている。

僅かに進んでいる。

越えたら、仏様がいてくださった。

「従是岩屋迄十一丁」

太い木の根に乗っておられた

m(_ _)m

続く。からです。

しんどい時、辛い時、苦しい時、、その時の自分はどうなのか。

本当の自分が顔を出す。

自分のことばっかり考えて、まわりのことなど見えなくなる僕。

人のことなど思えない、、自分が、、自分は、、

僕は、、自分のことしか考えていない。

大師様や、お釈迦様は、違うんだろうな。

 

苦痛になれば、さらに人のことを思うお方なのだろう。

「まむし注意」

山だからね、、出ることもある。

僕も数回出会っている。

だから、足元は固めておく。

TVなどで、半ズボンやサンダルで山に入る姿を見るが、、

僕からしたら、考えられない。

アスファルト舗装の道などならわかるが、山道は脚を出すことは

考えにくい。

こんなに、見やすい道なら、安全かな。

山より、里に下りて、田畑の水路近くで、ニョロニョロさんを

見ることが多かったな。

寒い時期には、日当たりのいい場所で、日光浴をするニョロニョロ

さんもよく見る。

ヘビさんに近づくと、、生臭い匂いがする、、ことがある。。

ぼくは、お遍路用の靴に、長ズボン、さらに、山では、ゲイターを

使用しています。

この日は寒かったので、カッパも着用しています。

歩いていて、、

足が痛くなったら、、足が痛い人を思い

どこか体に不具合が出たら、、体の不自由な人を思い

心が痛くなったら、、悩んでいる人を思い

身内に不幸が起こったら、、同じ境遇の人を思い

 

祈る、、願う、、

日の本が、平和でありますように。。

世界のことまで願える自分になりたいが、僕はまだまだだな。

こうして、、歩ける自分の、恵まれた、境遇に

感謝がいっぱい。

来たくても、来れない、歩きたくても歩けない人もいる。

 

お遍路は安くない。

同じお金と時を使ったら、

他にいっぱい楽しめることがある。

 

、、、それでも来たいですか?

本気ですか?

自分に問う。。

お~寒う、、、((+_+))

こんなことして、、どうなるの?

歩いて、何か変わるの?

 

無意味じゃないの?

 

下りは、下肢がきしみだす。

「お遍路なんて、、いつでもできるさ、、」

「八十八のお寺をまわるだけでしょ?」

「また、、時間ができたら、、いつか行こうかな」

 

、、、そうですね。

その通りです。

ハイキングや、山登りなどと違うことは、、

歴史のある巡礼地を歩くことは、、いろんな「体験」をすることだ

って思います。

いろんなことが起こります。

いろんな事です。

決して、楽旅や楽しいことばっかりではありません。

何故、、ここに来ているのか、、

何をしたいのか、、突きつけられます。

 

やり切れない方もいます。

身体を使う仕事のスポーツマン20代の方が、室戸に向かう国道の

道で挫折していました。

 

どうすれば、??

簡単な事です。

先に進めばいいのです。

気持ちが折れちゃうんです。

小さなつまらないことで、、、。

もう、、やってられない、、、って。

 

何でこんなことしているんだって、、

何で、、何で、、何で、、、???って。

光り輝く緑の葉

山の中の自然の命に、自分を重ね、、探す。

僕は、どう生きたい?

はぁ~(@_@。

 

誰も、何かを願い、祈り、歩く。

木札が落ちていた、、

「揺がない 心が決める 大師の教え」

大師様を信じているんだ。

僕は、大師様の昔話の全てが、、とは言わないが。

「大師の教え」を支えに進む。

続く。