令和5年 2月7日(27)六丁 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

木札が落ちていた、、

「揺がない 心が決める 大師の教え」

大師様を信じているんだ。

僕は、大師様の昔話の全てが、、とは言わないが。

「大師の教え」を支えに進む。

続く。からです。

種が、、不思議な力で芽を出し、育っていく。

なんの力なんだろう。

そこに働く意志、、ってどんなものなんだろう。

 

ここに生まれた。

どうしてここだった?

自分で選んだの?偶然?

偶然なんてあるのだろうか。

 

人は、、赤ちゃんは、、コウノトリが運んできてくれるなんて言った

ものだ。

自分ではない意志だろうか、、

大いなる力だろうか、、

自分で決めたのだろうか。

 

あっちこっちに書いているが、

確かめようもない。

 

ここに不思議な木がある

ねじれて巻いている、、、

こうなりたかったのだろうか。

偶然だろうか。

、、、なんでもない、、、わからない。

木々の声や、昔を見れる人なら、わかるだろう。

不思議な山中に、静かな仏様

「従是岩屋迄八丁」

隣には、、十一丁

何かあって、、ここに集められたのだろうか

仏様が移動した。

出来事、、ひとつのドラマがあったのだろう、、、

息が切れ、、先に進む

仏様の並ぶ道、、

ここは巡礼地、、お寺に向かう道

道々の仏様と、ともに祈る。

 

何を祈る??

良い祈りもあれば、、ただの独りよがりもあるだろう、。

それもいい。

悶え続けて、つまずいて、こけて、、傷ができ、

そして気づくこともある。

いっぱいこけた。

歩きながら、、祈りながら、、

だんだん、、お遍路さんになっていく。

この道が、、遍路道が、そうさせてくれる。

「大師を慕う 遍路道」

大師様の足跡を尋ねて、

大師様の教えを聞きながら、

ただただ、、大師様に祈る。

何かある目

、、、だよね~

(;^ω^)

岩屋寺まで近いのに、全然楽じゃない💦

この道を、逆に歩くと、楽です。

一気には進めない、、。

自分の足で、行くしかない。

行くも、やめるも、決めるのは自分。

 

しんどくなると、、やめたくなる。

こんなところまで来ても、嫌になる。

 

それを繰り返して、先に進む僕。

しんどくても、下ばっかり見ずに、、

見上げる。

札が掛けられている

「大師と共に へんろ道」

そうだった、

「同行二人」

大師様が共に歩いてくださっている。

 

自分がしんどくて、なにも見えなくなっていた。

山の空気を吸い、体を動かす。

うん、 僕はまだいける。

大師様も一緒だ。

金剛の肉体だ。

、、気持ちも、、金剛のようになりたい。

良く周りを見よう、、

感じよう、、

 

、、寒い

、、山の緑の香りや味がする。

、、雨もなく、いい日だな。。

、、、静かで、落ち着いて歩くには、とってもいいし

歩きやすい。

 

いいことがいっぱいだ。

素敵な日じゃないか。

 

しんどいことばっかり言っていたら、なにも見えなくなる。

日々の生活も、そうなんだろう。

 

落ち着いて、まわりを見よう。

いいことがいっぱいなんだ。

な。

「従是岩屋迄六丁」

頑張って歩いて来たんだな

仏様、、心を静めて、札所に向かえますように、、

静かな、、静かな、、仏様

その、御姿が、僕の心を落ち着かせてくださる。

もう六丁だね(*^_^*)

久万高原駅から、歩いて来ることができた。

昨年、二度も、来れなかった道。

この時で良かったんだ。

きっと、良かったんだ。

こんなに穏やかな気持ちになれたんだ。

(実は、、、参ってから、((+_+))となるが、、。)

「南無大師 遍照金剛」の札

お大師様、、ありがとうございます。

m(_ _)m

続く。