道々にいてくださる仏様。
ほんとは、あらゆるところにいてくださっている。
見えずわからず、、鈍い僕に、わかりやすく示してくださっている。
十一面の観音様でしょうか、、
m(_ _)m
友や、先人、そして自分と共に
お大師様と一緒に
へんろ道を行く。
続く。からです。
1200Kmの旅を、どう行くのか。
人それぞれに、旅の方法が違う。
孫悟空のように、雲に乗るように行く人は、いないと思うが、
一瞬でわかるような旅なら、人の一生も一瞬でいいはずだ。
悩んで、苦しんで、耐えて、繰り返して、、熟成するように歩む。
バネやコイルのように、一周まわってきて、元の位置のように思うが、
僅かに先に進んでいる。
いつしか、少し進んでいる。
一回まわって、何がわかるというのだろう。
百回以上の方もいる。
衛門三郎様ですら、20度廻り、21度目に逆に周ってお大師様に会えた。
20度も祈って、まわって、何かに気付いた。
だから逆にまわれた。
凡人のうえに、たかが8周目のこんなものに、わかることなんて知れている。
ここは、パラダイスではない、天国でもない。
出来ることは、、
この一歩に、気持ちを込めて歩く。
そんな心の内は、誰にも話さない。
みんな、それぞれの心の中にあることだ、話してもわからない。
「四国に参って、御利益はありましたか?」
誰かが聞く、、
僕は、「そんなものはないですよ、、」
という。
話したところで、わからないから。
自分が見つけたものだから。
違う人は違うものを見つけるだろう。
四国巡礼を終え、瀬戸内に入水した歌舞伎役者がいたという。
とんでもないものを見つけたのだろう。
僕の見つけたことなんて、大師様の足の裏の砂粒にもならないが、
それでも、とんでもなく素晴らしいものだ。
お笑いください、、。
愚かなものの記録です。
久万高原町菅生の素鵞神社(そがじんじゃ)から、八丁坂へ向かう、
槙の谷の先。
ばかばかしく見えるだろう、、
忍耐、我慢、、お金と時間の無駄遣い、、
それも、四国歩き遍路だ。
いや、、最高の贅沢な巡礼旅だと思えるから、行けるんだ。
遍路札が掛けられている。
ここを整備し、札を掛けてくださった人達がいる。
昔に通った多くの人もいる。
倒れた人もいるかもしれない。
山、、そのような、、そんな道。
山は厳しい。そして、素晴らしい。
僕は、、引き込まれて迷うこともあった。
、、、迷うことなど無い道でのことだ。
気持ちをしっかりしていないと、いけない。
四国霊場、、巡礼地なんだ。
どうしてこの道を行くのか、、
あなたは、何を求めているのか、、
、、、本当に求めているのか。
自分が試される。
そう、、いつも試される。
石組みに、岩屋
静かな空間に石仏様
向き合う、、、何と?
自分の心
生きてきた自分の道。
まだまだ、、反省ばかり。
祈る。
山中で朽ちていく、、へんろみち保存協力会の立札
、、、なにやかで 歩ける遍路の幸、、
そう、、歩ける。
いつか行こう、、なんて言っていたら、行けなくなる。
歩けるなら、今が、お遍路日和。
歩けなくても、お遍路に行ける。
気持ちがあれば、お遍路日和。
車の人もいる、団体バスの人もいる。
、、、水かな?
今は、止まっていた。
のぼらないと、、足を止めたら、終わってしまう。
諦めない、、、、、
本当は、10mの先にも行くのが苦しい時もある。
諦めない、、そうして、ここまで来たんだ。
何度も、何度も、乗り越えて来た。
、、、それがどうした。
、、、我慢大会\(^o^)/
でも、乗り越えないと、先に行けないんだ。
みんな、あらゆることで、「越える」「超える」を行く。
行けたら、、その先の壁に向かう。
身体で体験し、心もその壁に向かう。
これは、、例えだ、、、
自分の問題。
向かうも、諦めるも、、
行くも、引くも、、
決めるのは、、、、、自分。
行こうよ、、行きたいんだろう?
生きたいんだろう?
しんどい、嫌だ、逃げたい、、、って言っても、
「行きたい」「生きたい」んだろう?
感動したいんだろう?
仏様は、、待ってくれている。
ここに来たから、、ここで出会えた
m(_ _)m
仏様、、僕を、お叱りください。
僕は、なんと恥ずかしい者なのでしょうか、、、、、
人に誇るものなど無いのに、偉そうに生きる僕。
馬鹿だ!!
滑って、、コケてしまえ!!
馬鹿者!!
自分の恥ずかしい生き方に、心が、ただ泣いていた。
いろんなことを教えてくれる、、遍路道。
命の道、、
続く。