「姿勢」の源流 | HAPPYオフィシャルブログ 『三重県ヨガインストラクターHAPPYのHAPPY DAYS♪』〜三度の飯よりヨガが好き〜 Powered by Ameba

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「姿勢」という言葉は実は古語辞典には掲載されていいません。「姿勢」という言葉が登場したのは明治以降になります。


古語の中では「居ずまひ」(態度に近い意味)や「姿かたち」(容姿や身なりに近い)が表現としては近いのですが、ここでいう「姿勢」とは意味合いが違うかもしれません。


江戸時代までの日本人の身体意識は自由奔放で、姿勢や動作の仕方を統御するような、身体に対する社会的拘束力は非常に緩やかだったように思われます。個々の人の身体に表情があり、身体が豊かな表現力、可能性を持っていました。そのことにおいて、江戸時代の日本人は世界中でもっとも自由で豊かな身体性や文化を持っていたのです。


江戸時代の日本人には、それぞれに個性的な身体の特徴や、とくに「立ち振る舞い」によって、その人が何処の人か、どういう身分の人か、何をしている人かが、一目でわかりました。


ところが明治になると事情は一変しました。個人の表像であった身体が「富国強兵」「殖産興業」として近代化を急いだ国家の必要によって一元的に統制、管理されるようになり、日本人の身体は、伝統社会の暮らしの中でずっと続いていたひとつの文脈から切り離されて記号化し、まったく抽象的になってしまいました。


伝統的な生活動作の中にあった「あそび」やリズムをすべて取り除いて、機械のように働ける人間だけを作ろうとしたのです。


徴兵や義務教育の制度化とともに青少年の体位や体格が規格化され、身体運動の様式と姿勢の標準化も行われました。とくに学校体育や軍隊での教訓よって、それまでの農耕民的な動作に代わって、組織的で機敏な軍事行動や工場での機能的な労働作業ができるように、ふさわしいものに作り替えるという、徹底的な国民の「身体改造」が推し進められたのです。