知覚 | HAPPYオフィシャルブログ 『三重県ヨガインストラクターHAPPYのHAPPY DAYS♪』〜三度の飯よりヨガが好き〜 Powered by Ameba

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波乗りやヨガ、環境、遊びなど興味をもった事を書き込んでいきます(^^)
しょーもないことをばかり書くので悪しからず(^_−)−☆


知覚】(ちかく)
  1. 《名・ス他》
    感覚器官を通じて、外界の事物を見分け、とらえる働き。視覚・聴覚・嗅覚(きゅうかく)・味覚・触覚など。
     「―神経」

人はそれぞれ、クセというものがあります。それは無意識に行なってしまう。
丁寧に行うにはそのクセ取りから始めないといけない。
字のクセはを治すのは簡単だ。それは、「字を見ながら」練習が出来るから。
身体の動きのクセは別で、身体運動、身体操作ということになると、ざんねんながらそれはできない。それは、身体の中に頭があるからである。たとえ、箸の持ち方が間違っており、それを修正しようとしても相当の時間がかかる。それがクセ化された箸の持ち方の意味だ。歩く姿勢、立つ姿勢、話し方、所作全て、つまり、よほど特殊な世界か習い事の厳しい世界にいなければ、クセ化された身体ということに気づかない。その無自覚さが、修正を困難にさせる。
匠や人間国宝と呼ばれるレベルへのクセ抜きは、文字通り至難の技である。
それを厳密な身体感覚を要求することで、体重を移動させたり、身体を連動させる。身体操作は、全て「知覚」という動きを使う。
意識が邪魔をしない身体を作り上げ、状況に反応変化に即応できる自分自身に成長させる。
「肘がこうなって、足がこうなっている」的な言葉は、それだけにしか注意が向かなくなる。言語化したが故に、そのことが記憶に残ってしまい、そこから離れることがまた至難の業になる。


『考えるな、体にきけ!』

もっともそれが重要だ。

「分かった気になる」そのことと「できること」は全く関係がない。それどころか、その分かった気になることこそ、「できる」は実現しないことになる。

HAPPY