2024年9月3-5日 聖書通読43-45日目
みことばで神様と交わろう
ヨハネ1-21、使徒1-28、ロマ1-16章
池袋の古代オリエント博物館に初めて行く。聖書展を見るために。
小さなところだけれど、見応えがあった(明日9/8まで開催)!
常設展には、あらゆる偶像が並んでいた。人々の家にあった祭壇。いろんなお守り。拝んでいた像。バアル像が棒人間みたいな貧弱な像で驚いたし、蛙やぶどうや人の足など、いろんな小さな偶像に見入った。一番インパクトがあったのは、1cmくらいの蝿のお守り。蝿には厄除けと守護のご利益があるのだそうだ。なんと、紀元前3500年のもの。5900年前???
ああ、これがこの世界の現実だ。地球上、どの地域にももれなく、ジャングルの奥地でさえ、本当にもれなく似たような祭壇があり、グッズがある。ないところがない。
日本も端から端まで似たようなものに埋め尽くされている。古来より人々が拝んできたものに満ちている。神棚や仏壇、各種お守りやラッキーグッズ。見えるものも見えないものも偶像だらけだ。6千年前と何ら変わることはない。
人が集まるところには必ず、五穀豊穣だとか天気の神だとか、人間の願いや欲を満たしてくれる神々が祀られる。それは人間が作った神々だ。「朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしま(ロマ1:23)」い、「神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕え(ロマ1:25)」ているのだ。人の歴史は何千年も前から、この繰り返しだ。
1cmにも満たない蝿の偶像を「こんなもの拝んでたのかー」と冷やかし気味に見ていたが、今朝祈って振り返ったとき、蠅を拝む人、それは私の姿だ、と教えられた。その当時の人々と何ら変わることのない、ただ自分の生活がうまくいきますようにと願い生きる者だった。
「すべて他人をさばく者よ、あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。(ロマ2:1)」アーメン。愚かな姿を見たら、それは自分だと分かっておこう。主よ、蠅を拝む者はまさに私です。そんなところに、主が訪ねてくださったのだ自分の愚かさを知るほど、主が来られた感激が増していく
聖書展では、最古の日本語聖書を見た。すべてカタカナのヨハネの福音書の冒頭はとても大きなインパクトがあった。
「ハジマリニカシコイモノゴザル(ヨハネ1:1)」今の聖書では「初めにことばがあった。(ヨハネ1:1)」
ことばが「カシコイモノ」。つまり、人格を持たれた方ということをはっきり示している。「カシコイモノ」はただ一人。イエス様。初めにイエス様がおられた。
イエス様は言われた。「わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。(ヨハネ17:19)」
蠅のようなもろもろを拝んでいた私を訪ねるために、イエス様はご自身をまず聖め別たれた。それはあまりに大きな犠牲。栄光に満ちた創造主が、ご自分をみことばをもって制限されたのだ。「わたし自身を聖別します(ヨハネ17:19)」と言って、創造主としての栄光を捨てられた。
時間の制限のあるこの世に来られ、からだの制限のある人として来られ、私と同じ姿になってくださった。そして、世と完全に区別された中で「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかった(使徒17:3)」。すべてみことば通りのことをされ「十字架の死にまで従われた(ピリピ2:8)」のだ。
イエス様はよみがえりを前もって、何度もあからさまに語られたけれど、信じることのできた人は一人もいなかった。「これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。(ヨハネ12:16)」
私たちも同じだ。主がすでにみことばによって、何度も何度も語ってくださっている。「これらのことをあなたがたに話したのは、その時が来たとき、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。(ヨハネ16:4)」そして、あるとき、みことばを思い出して、それが真実であることを知るのだ。「イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。(ヨハネ2:22)」
でも、私たちはものすごく恵まれた立場にいる。なぜなら、「助け主(ヨハネ14:26)」すなわち、父がイエスの名で「お遣わしになる聖霊(ヨハネ14:26)」が私たちに「すべてのことを教え(ヨハネ14:26)」イエス様が「話したすべてのことを思い起こさせてくださ(ヨハネ14:26)」るからだ。
ああ、感謝します。2024年9月5日、洗礼9周年の悟りは、蠅を拝む私のところへも「カシコイモノ」イエス様が来てくださったこと。その驚き、その感激は、年を追うごとに増し加わる。ハレルヤ
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろう
Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!