生きづらさの正体
今日、久しぶりに駅とは逆方面にあるスーパーに行った。改装中でしばらく休業していた時期があったが、その後行ってなかった。自転車で出かけ、買い物を済ませてから腰に違和感を感じ始めたので、この辺りではまあまあ高級住宅地の分類に入る、古い住宅地の中を自転車を押して歩いていると、向かいから何となく感じ悪いな、と思うような、ちょっと気取った感じの中年女性が歩いてきた。何となく私の方を見ているような気がしたが、私からは目を合わせないようにしていた。しかし、私の横を通り過ぎるとき、じろじろ見ながら通って行って、敵意というか悪意を感じた。正直なところ、少し泣きそうになった。この女性が、このまあまあ高級住宅地の住人なのかはわからないが、何か勘違いしてるのではないかと思った。また、その少し前にはカップルのアジア系外国人女性がじろっと見ながら通って行ったので、またかと思った。私は服装がダサく、太り気味なので、こういったアジア系外国人女性によくじろじろ見られることがある。東南アジアの一部の国では日本以上にルッキズムがひどいという話は聞いたことがある。アジア系外国人の多くは、キラキラしたものを追い求めて(経済的な豊かさなど)日本などの先進国に出稼ぎに来ているのだと思われるので、こういった反応をする女性が多いのだろうと思う。だからといって参〇党を支持する気にはなれない。外国人を制限する政策は必要だと思うが、参〇党の政策を見ていると、子育て世代を優遇するものが多く、老人や障害者、子供がいない人にとっては今以上に厳しい社会になりそうだからだ。日本人同士でも、分断を招くことになるだろう。かといって、中道などの左寄りを支持する気にもなれない。参〇党と、左寄りの、中間がなぜ無いのかと思う。中道など左派は老人や障害者、女性、外国人、全部一緒にしてしまっているのでそれもおかしいと思うし。というわけで、この中間の政策を掲げる党が出てこない限りは私は無党派層であり続けると思う。話がそれた。結局、この国にいると、というか今は世界中どこの国も同じような価値観に陥っているように見えるが、キラキラしたものを追い求めるという生き方を知らず知らずのうちに義務付けられてしまっており、そこから外れた人や、それに対して積極的でない人をばかにする、差別するなどの風潮が蔓延していることが現代の生きづらさにつながっていると私は思っている。何年か前に同タイトルの、ひろさちや氏の本を読んだことがあるが、そこでは生きづらさの正体=世間ということが書かれていた。キラキラしたものを追い求めるという風潮も、世間がそれに染まっているから生きづらいというように考えれば、当たっているとは思う。昔ほど「世間」の力は強くなくなったと思われているが、マスコミやSNSも世間の一種だということができると思う。ちなみに、この本には「世間とはそれを恐れる者だけに見える、幽霊のようなもの」と書かれていた。私も幽霊を恐れているうちの一人なのだと思う。