調査日誌194日目 -浪江町の木炭商①- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年5月13日。

 

ここのところ室原についていろいろと『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)から見てみました。近世から幕末ネタが続いたので、近代以降について検証してみたいと思います。

 

浪江町域の近代の産業として、十日市が行われた織物業や大堀村の陶器業がありますが、なんといっても木材や木炭が重要でした。このあたりの一次資料がないかと思っていますが、まずは基礎的なことを押さえておきたいと思います。

 

すでに以前のブログで紹介したように、大正5年(1916)に浪江駅から詰め込まれた貨物のうち、木材は年間11,678トン、木炭は3,212トンでした(石井清巳『現今之浪江町』石井清巳、1918年)。

 

 

では、薪炭新報社編『全国薪炭主要生産地荷主案内誌』(薪炭新報社、1918年)から浪江駅と取り扱った木炭について検証してみたいと思います。同書では以下のように述べられています(48頁)。適宜、新字体に改めます。

 

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◎浪江駅 業界の歴史既に二十年を経たる同駅の木炭年産額は官工民工共に三十二万俵内外を産し、民工十七万内外の中、東京市場に移出するものゝ種類は楢割五万九千四百四十俵、雑割二万九千九百七十一俵、雑丸二万九千七百四十俵の割合にて隅田川、秋葉、錦糸町の順位を示し、残余は埼玉県所沢方面より千葉方面へ移出さる、而して将来の見込に就ては林地暫次入江に進み作業幷に搬出に困難なるも、尚現在の処にては平均五六里を隔つが如し、林積豊多なる為今後三十年は裕に持続し得るなり、此地を代表する荷主に三上惣左衛門氏あり、産出木炭は丸俵正四貫六百匁を標準となすが如し。

 

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浪江駅における木炭輸出は官民合わせて年間32万俵です。周辺の駅の輸出量は追って検証しますが、たぶんこの界隈では一番です。民間で産出した17万俵のうち楢炭が6万俵近くに及んでいます。これらは東京方面に輸出されて、隅田川・秋葉原・錦糸町に届けられたようです。東京の薪炭問屋について先行研究を知らないので、ここに記された地名にどのような問屋があったか、追って確認してみたいと思います。

 

林がある場所は駅からかなり遠いところにあり、5~6里(20キロ~24キロ)を隔てているとのことです。キロ数を踏まえると津島地域のことを述べているものと思われます。そういえば、小丸地域も産出地として著名でトロッコ列車が走っていましたが、津島・小丸などで木材産出・木炭産出の資料とかはあるのでしょうか?? ご存知の方、ご教示ください🤩

 

浪江駅周辺の木炭商として、三上惣左衛門が記されています。

 

で。

 

ここで「三上惣左衛門」について確認しようと思ったところ。

 

すでに西村のブログで『全国薪炭主要生産地荷主案内誌』の記事や三上惣左衛門について書いていることにいま気が付きました😅

 

すっかり自分でも書いたことを忘れていました(+_+)