調査日誌195日目 -浪江町の木炭商②- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年5月14日。

 

前回から浪江町域の木炭商について見てみようと思って、薪炭新報社編『全国薪炭主要生産地荷主案内誌』(薪炭新報社、1918年)の翻刻をしましたが、実はすでに2年ちょっと前に翻刻や分析していました💦 すっかり忘れてた😅

 

では、その後の浪江町域の木炭商を見てみたいと思います。検証する資料は東京薪炭商報社編『全国薪炭業者名鑑 昭和14年版』(東京薪炭商報社、1939年)です(81頁)。

 

・金子益吉 浪江町 屋号:○金 生産業者・移出業者

・門馬藤太 浪江町 屋号:○ト 生産業者・移出業者

・佐藤秀夫 浪江町 屋号:山サ 生産業者・移出業者

・渡邊勘之助 浪江町 屋号:カネ力 生産業者・移出業者

・西彌助 浪江新町 屋号:山光 生産業者・移出業者

・矢澤松次郎 浪江町 屋号:○や 生産業者・移出業者

・渡邊清綱 苅野村室原 屋号:○サ 生産業者・移出業者

・今野昇 津島村西舘 屋号:○福 生産業者・移出業者

・中野目正次 津島村下津島 販売業者

 

金子益吉は大字権現堂字上柳町の木材・薪炭商なんですが、旅館経営もしていたそうです(旅館研究会編『全国旅館名簿』旅館研究会、1941年、105頁)。

 

門馬藤太は大正7年(1918)創業の木炭・木材移出商である門馬商店で、その販路は全国に及んでおり、昭和12年段階では浜三郡木炭同業組合代議員を務めていました(帝国商工会編『帝国商工録 分冊 昭和12年度版』帝国商工会、1937年、福島県15頁)。

 

西彌助は昭和4年から戦後にいたるまで、浪江町町会議員を務めています。昭和13年段階で大字権現堂字新町16に住しており、保證責任浪江木炭移出商業組合の理事長を務めていました(商業組合中央会編『商業組合一覧』商業組合中央会、1938年、35頁)。なお、保證責任浪江木炭移出商業組合は木炭移出業の組合で、組合員は22名いました。おそらく、当時の浪江町域(苅野村・大堀村・津島村は含まれない)と思われ、多くの木炭移出業がいたようです。

 

今野昇は戦中に大日本翼賛壮年団に加わっていました(総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、282頁)。大日本翼賛壮年団は大政翼賛会傘下の団体です。その後、昭和21年7月5日から12月6日にかけて津島村村長を務めています。