8月10日はヤドンの日 その2
ヤドンが雨を呼ぶポケモンだからかえらい台風に見舞われてしまい、目出たいだけでは済まなくなった8月10日。いかがお過ごしでしたでしょうか。妙にディープなサイトのコンテンツも全て公開されて、世界中のヤドンファンがこの佳き日を寿いでいることと存じます。
さて。ヤドンパラダイスの目玉であるヤドンクッションプレゼント。爺婆兄弟親戚一同全員ポケモンだいすきクラブに入って応募しようと思ったが、さすがに思いとどまる。もういっそ普通に売って欲しい。
このサイトはポケモンには珍しく「強いヤドラン、ヤドキングの育て方」というトピックがある。ポケモンの三値については公式にはハッキリと取り上げていないのでその辺りはボカしてますが、隠れ特性のつかまえ方や、おすすめの道具や技を載せているのはこれまでに無かったアプローチじゃなかろうか。
そして肝心なのは育てたヤドランをバトルで使って今度のアルファルビー・オメガサファイアに連れて行こう!と書かれていて、コレは・・・コレはホントにあるかもしれない、ヤドランのメガシンカが。だいたい折に触れてヤドン大好きと口にしているワタクシですら今回の唐突なヤドン推しには違和感を感じているくらいなのだから、次回作のプロモーションのためだと言われたほうがシックリする。しかし「ならばヤドン推しでルビサファの売り上げがホントにアップするのか」と言われると・・・そりゃねえ、ヤドンじゃねえ。
結論。「8月10日はヤドンの日」を企画したヤツが相当なヤドンスキーで、今回の件はソイツ一人がドドドドーッと暴走した。いいぞもっとやれ。
さて。ヤドンパラダイスの目玉であるヤドンクッションプレゼント。爺婆兄弟親戚一同全員ポケモンだいすきクラブに入って応募しようと思ったが、さすがに思いとどまる。もういっそ普通に売って欲しい。
このサイトはポケモンには珍しく「強いヤドラン、ヤドキングの育て方」というトピックがある。ポケモンの三値については公式にはハッキリと取り上げていないのでその辺りはボカしてますが、隠れ特性のつかまえ方や、おすすめの道具や技を載せているのはこれまでに無かったアプローチじゃなかろうか。
そして肝心なのは育てたヤドランをバトルで使って今度のアルファルビー・オメガサファイアに連れて行こう!と書かれていて、コレは・・・コレはホントにあるかもしれない、ヤドランのメガシンカが。だいたい折に触れてヤドン大好きと口にしているワタクシですら今回の唐突なヤドン推しには違和感を感じているくらいなのだから、次回作のプロモーションのためだと言われたほうがシックリする。しかし「ならばヤドン推しでルビサファの売り上げがホントにアップするのか」と言われると・・・そりゃねえ、ヤドンじゃねえ。
結論。「8月10日はヤドンの日」を企画したヤツが相当なヤドンスキーで、今回の件はソイツ一人がドドドドーッと暴走した。いいぞもっとやれ。
思い出のマーニー
「借りぐらしのアリエッティ」に続いて、外国の小説を日本を舞台に翻案したジブリの若手監督、米林昌宏氏のアニメーションでございます。
原作は読んでいないのですが、映画を観終わって真っ先に思ったのが「よくこんなアニメ向きじゃない話を選んだなあ」でした。屈折した思春期の少女の心情、彼女の前に姿を現す少女の謎、そして訪れる別れとささやかな成長、どれもこれも繊細すぎてビジュアル化するのが難儀そうだし、主人公が成長すること自体は映画としてそれほど重要ではないと思う。
たとえば「千と千尋の神隠し」も千尋の成長物語だけれど、あの映画を見てだれも「この映画は少女が成長する様こそが素晴らしい」なんて誉め方はしないのである。そもそも宮崎駿でも「耳をすませば」がそれほど当たっていない(これの監督は宮崎駿じゃないが)ことを踏まえれば、似たような路線の「思い出のマーニー」は決して駿引退後のジブリ作品として五尺玉を打ち上げるような企画ではない。アレよ、五尺玉を打ち上げようとしたのに失敗して地上で爆発しちゃったのがゲドよゲド。
オタク的な意見はさておき、この映画は何と言ってもマーニーが可愛い・・というか、大人びた・・とも違い、官能的・・ともちょっと違う。初期のディズニー作品の白雪姫やオーロラ姫の気品にもっと血肉を通わせたような感じ。最初は鬱屈した杏奈とは逆の大人びて凛とした美しさを見せていたが、後半では彼女自身の孤独さや脆さを覗かせる。だいたいが映画のポスターの髪とネグリジェを風になびかせているマーニーの姿からして米林監督ってばマーニーの描写に心血を注ぐ気マンマン。この風の描写、風を受ける少女の姿こそが宮崎駿が下の世代に託した最大の遺産であり、マーニーの長い金髪やフワフワしたネグリジェやドレスは風になびくためにデザインされたのである。そういえば宮崎映画で長髪のヒロインっていなかったな・・・クラリスと風立ちぬの嫁さんくらいじゃないだろうか。あとは長くてもたいてい三つ編みにしてたり。
物語の軸は杏奈にあるのだけれど、監督の演出の軸は絶対マーニーにあるので、二人が別れた後は描写を止めてサッサとストーリーが進んでいくのが残念でした。あの説明を一切省いて、色あせた屋敷の写真だけでも観客に通じたんじゃないかと思う。それで浮いた尺でマーニーと杏奈のエピソードをもう一つでも入れて欲しかったような。
原作は読んでいないのですが、映画を観終わって真っ先に思ったのが「よくこんなアニメ向きじゃない話を選んだなあ」でした。屈折した思春期の少女の心情、彼女の前に姿を現す少女の謎、そして訪れる別れとささやかな成長、どれもこれも繊細すぎてビジュアル化するのが難儀そうだし、主人公が成長すること自体は映画としてそれほど重要ではないと思う。
たとえば「千と千尋の神隠し」も千尋の成長物語だけれど、あの映画を見てだれも「この映画は少女が成長する様こそが素晴らしい」なんて誉め方はしないのである。そもそも宮崎駿でも「耳をすませば」がそれほど当たっていない(これの監督は宮崎駿じゃないが)ことを踏まえれば、似たような路線の「思い出のマーニー」は決して駿引退後のジブリ作品として五尺玉を打ち上げるような企画ではない。アレよ、五尺玉を打ち上げようとしたのに失敗して地上で爆発しちゃったのがゲドよゲド。
オタク的な意見はさておき、この映画は何と言ってもマーニーが可愛い・・というか、大人びた・・とも違い、官能的・・ともちょっと違う。初期のディズニー作品の白雪姫やオーロラ姫の気品にもっと血肉を通わせたような感じ。最初は鬱屈した杏奈とは逆の大人びて凛とした美しさを見せていたが、後半では彼女自身の孤独さや脆さを覗かせる。だいたいが映画のポスターの髪とネグリジェを風になびかせているマーニーの姿からして米林監督ってばマーニーの描写に心血を注ぐ気マンマン。この風の描写、風を受ける少女の姿こそが宮崎駿が下の世代に託した最大の遺産であり、マーニーの長い金髪やフワフワしたネグリジェやドレスは風になびくためにデザインされたのである。そういえば宮崎映画で長髪のヒロインっていなかったな・・・クラリスと風立ちぬの嫁さんくらいじゃないだろうか。あとは長くてもたいてい三つ編みにしてたり。
物語の軸は杏奈にあるのだけれど、監督の演出の軸は絶対マーニーにあるので、二人が別れた後は描写を止めてサッサとストーリーが進んでいくのが残念でした。あの説明を一切省いて、色あせた屋敷の写真だけでも観客に通じたんじゃないかと思う。それで浮いた尺でマーニーと杏奈のエピソードをもう一つでも入れて欲しかったような。
amiibo その4
スマブラの公式サイトにひしめく登場キャラクター達。この冬はこれらのフィギアが一挙に登場するのだな。フフフ。
・・・・・とニタニタしていたらハタと気付いた。コレって、例えばマリオのフィギアを買ったらゲームではマリオのキャラがカスタマイズできるってルールなんだよねえ。
自分としてはゲームではWii Fit トレーナーを使いたいのだけれど、なんかフィギアは地味だから飾るならロゼッタくらい派手なほうがいいなあ、とか。
ピーチの復帰がラクだからこれまでのスマブラではピーチを使っていたのだけれど、ピンクのドレスの女の子のフィギアだと子供達から変に思われそうだから飾るならグリーンのドレスのロゼッタがいいなあ(意味不明)、とか。
ロゼッタってチコも含めてテクニカルな操作を要求されそうだからヘタレには扱い辛そうだけど、とりあえずフィギアはロゼッタが欲しいなあ、とか。
まるでワタクシがロゼッタのフィギアが欲しいような口ぶりですが、まあその通りであります。
子供に頼まれて会社帰りにリザードンのamiiboを買いに来たお父っつあんが、あまりの種類の多さにワケがわからなくなって、思わずキャプテン・ファルコンのamiiboを買い与えてしまった時の子供の落胆たるやいかばかりか。
とりあえず、どんなフィギアでも他のキャラのデータを貯めとけるという仕様だと嬉しいのですが・・・そこんとこどうなんでしょ。
改めてスマブラ公式サイトのキャラ一覧を見ていると、欲しいのばかりで絞り込むのに一苦労。ロゼッタ以外だとルカリオは押さえときたい。カービィとデデデはセットで飾りたい。そうなりゃワドルディも欲しい。ワド出してよワド。ファイアーエムブレムのファンの人はこれを逃すとグッズなんてまず手に入らないからエムブレムのキャラ全部欲しいという人だっているだろうし。
これは・・・年末には子供そっちのけで大きなお友達が薄汚い争奪戦を繰り広げる光景が今から見えまするぞ。
・・・・・とニタニタしていたらハタと気付いた。コレって、例えばマリオのフィギアを買ったらゲームではマリオのキャラがカスタマイズできるってルールなんだよねえ。
自分としてはゲームではWii Fit トレーナーを使いたいのだけれど、なんかフィギアは地味だから飾るならロゼッタくらい派手なほうがいいなあ、とか。
ピーチの復帰がラクだからこれまでのスマブラではピーチを使っていたのだけれど、ピンクのドレスの女の子のフィギアだと子供達から変に思われそうだから飾るならグリーンのドレスのロゼッタがいいなあ(意味不明)、とか。
ロゼッタってチコも含めてテクニカルな操作を要求されそうだからヘタレには扱い辛そうだけど、とりあえずフィギアはロゼッタが欲しいなあ、とか。
まるでワタクシがロゼッタのフィギアが欲しいような口ぶりですが、まあその通りであります。
子供に頼まれて会社帰りにリザードンのamiiboを買いに来たお父っつあんが、あまりの種類の多さにワケがわからなくなって、思わずキャプテン・ファルコンのamiiboを買い与えてしまった時の子供の落胆たるやいかばかりか。
とりあえず、どんなフィギアでも他のキャラのデータを貯めとけるという仕様だと嬉しいのですが・・・そこんとこどうなんでしょ。
改めてスマブラ公式サイトのキャラ一覧を見ていると、欲しいのばかりで絞り込むのに一苦労。ロゼッタ以外だとルカリオは押さえときたい。カービィとデデデはセットで飾りたい。そうなりゃワドルディも欲しい。ワド出してよワド。ファイアーエムブレムのファンの人はこれを逃すとグッズなんてまず手に入らないからエムブレムのキャラ全部欲しいという人だっているだろうし。
これは・・・年末には子供そっちのけで大きなお友達が薄汚い争奪戦を繰り広げる光景が今から見えまするぞ。
amiibo その3
ゲームからこの仕掛けを見た場合は、新手のキャラクターのDLCというイメージを受けるamiiboですが、任天堂はいまのところ安直な課金で儲けるスタンスには慎重です。なので、この冬に出るスマブラ for WiiUで展開される任天堂キャラのamiiboでは、発売当初からの「フィギアを買えば新しいキャラが使える」というDLC商法は流石にやっていなさそう。追加はあるかもしれん。
今の所、スマブラでのamiiboの使い方は、これで呼び出したキャラクターはどんどん強くなり、技のカスタマイズも可能になって、どんどん自分の分身のキャラという面持ちになるらしい。しかしこれがオッサンの目で見ると、ものすごくイメージしづらいというか、だからナンなんだというか、「そんなコトしちゃっていいの?」とか思ってしまう。
そもそもこれまでの格闘ゲームというのはキャラごとに性能は同じでした。って、あまりにも当たり前過ぎて何のこっちゃという感じもしますが、同じキャラで対戦する場合はゲーム内のキャラクターのパワーや素早さはどちらも同じで、それを操るプレーヤーの腕前が勝敗を支配する、正々堂々とスポーツマンシップに則ったスタイルであり続けていました。それが、amiibo導入で同じキャラでも強いマリオ、弱いマリオというような性能にバラつきが出てしまう・・というか、そういう仕掛けを持ち込もうとしています。これは、自分のようなヘタレゲーマーはさておき、ストイックに精進する生粋のゲーマーほど理不尽さが募るのではなかろうか。北京オリンピックの水泳で騒がれた、水着の性能がタイムの差に直結するというような。とにかく、amiiboでキャラ性能が変わるというのなら、小さい子供でも分かるようにかなり大きな変化をつけないと育てる意味がないだろうし、そうなるとゲーム自体のバランスがどうにかなってしまいそう。
一方で、同じキャラでも性能が違うゲームの代表格であるポケモンでは、攻撃力や素早さなどのパラメーターを自分なりに振って、自分が育て一緒に戦ってきたポケモンにひときわ愛着を持つようになっている。ゲームボーイアドバンスで出たルビー/サファイアでゲットしたポケモンを、3DSになっても持ち越していまだに手持ちに使っているプレーヤーも多いと思う。格闘ゲームもこれと似た所があって、最初は単に強いという理由だけで使っていても、そのうち自分とキャラとを同一視する感覚が生まれてきて「今更ほかのキャラは使えない」ということが往々にある。スマブラでamiiboがやろうとしているのはそういうコトなんだろうなとも思う。
ワタクシが再三ピンと来ないと感じるのは、こういうアプローチがゲームにプラスなのかマイナスなのかが今ひとつわからない点です。そういう意味では新キャラのDLCのほうがずっと分かりやすく、スマブラに関して言えば無理矢理フィギアとゲームを絡めた感じもあるが、今後より一層キャラクターに親しみを持つような仕掛けにも思える。やはりコレは自分の目で確かめてみなければなりますまいて。
今の所、スマブラでのamiiboの使い方は、これで呼び出したキャラクターはどんどん強くなり、技のカスタマイズも可能になって、どんどん自分の分身のキャラという面持ちになるらしい。しかしこれがオッサンの目で見ると、ものすごくイメージしづらいというか、だからナンなんだというか、「そんなコトしちゃっていいの?」とか思ってしまう。
そもそもこれまでの格闘ゲームというのはキャラごとに性能は同じでした。って、あまりにも当たり前過ぎて何のこっちゃという感じもしますが、同じキャラで対戦する場合はゲーム内のキャラクターのパワーや素早さはどちらも同じで、それを操るプレーヤーの腕前が勝敗を支配する、正々堂々とスポーツマンシップに則ったスタイルであり続けていました。それが、amiibo導入で同じキャラでも強いマリオ、弱いマリオというような性能にバラつきが出てしまう・・というか、そういう仕掛けを持ち込もうとしています。これは、自分のようなヘタレゲーマーはさておき、ストイックに精進する生粋のゲーマーほど理不尽さが募るのではなかろうか。北京オリンピックの水泳で騒がれた、水着の性能がタイムの差に直結するというような。とにかく、amiiboでキャラ性能が変わるというのなら、小さい子供でも分かるようにかなり大きな変化をつけないと育てる意味がないだろうし、そうなるとゲーム自体のバランスがどうにかなってしまいそう。
一方で、同じキャラでも性能が違うゲームの代表格であるポケモンでは、攻撃力や素早さなどのパラメーターを自分なりに振って、自分が育て一緒に戦ってきたポケモンにひときわ愛着を持つようになっている。ゲームボーイアドバンスで出たルビー/サファイアでゲットしたポケモンを、3DSになっても持ち越していまだに手持ちに使っているプレーヤーも多いと思う。格闘ゲームもこれと似た所があって、最初は単に強いという理由だけで使っていても、そのうち自分とキャラとを同一視する感覚が生まれてきて「今更ほかのキャラは使えない」ということが往々にある。スマブラでamiiboがやろうとしているのはそういうコトなんだろうなとも思う。
ワタクシが再三ピンと来ないと感じるのは、こういうアプローチがゲームにプラスなのかマイナスなのかが今ひとつわからない点です。そういう意味では新キャラのDLCのほうがずっと分かりやすく、スマブラに関して言えば無理矢理フィギアとゲームを絡めた感じもあるが、今後より一層キャラクターに親しみを持つような仕掛けにも思える。やはりコレは自分の目で確かめてみなければなりますまいて。
複製された男
その昔、ジュリエット・ビノシュが出演している「隠された記憶」という映画を見たのだが、「衝撃のラスト」とか言いながら学校の入り口の階段で子供たちがワイワイやっているシーンの何が衝撃かサッパリわからず、ついでに映画の内容もサッパリわからず。「複製された男」を見た感じがソレに似ていたものだから先ほど「隠された記憶」のあらすじをwikiで確認したのですが・・・あの映画がサッパリわからなかった理由が今わかった。ほとんど寝てたわ、俺。
「複製された男」のほうは寝た訳ではないのだけれど、なんだか唐突に映画が終わってしまい。公式サイトにあるネタバレインタビューを読んでも分かったような、分からんような。とりあえず、冒頭のストリップを見ていたジェイク・ギレンホールが結婚指輪をしているのは気がついた。「一回目は悲劇で二回目は笑劇」というセリフは、この映画を二回見て頂戴ね、という監督からのメッセージなのかもしれない。
しかしまあ、この映画を「謎を解いてやる」と意気込んで観るのもいいのですが、映像の乾き具合だったり、闇の色の暗さだったり、ジェイク・ギレンホールの二役の演じ分けだ ったり、この映画における蜘蛛のメタファーは原作にはない映画オリジナルの解釈だそうですが、これがまたビジュアル的に妙な説得力がありました。・・・などなど、ストーリーの解釈は置いといて妙に目に残るシーンを見ているだけで割と満足できました。負け惜しみじゃあないんよホント。
「複製された男」のほうは寝た訳ではないのだけれど、なんだか唐突に映画が終わってしまい。公式サイトにあるネタバレインタビューを読んでも分かったような、分からんような。とりあえず、冒頭のストリップを見ていたジェイク・ギレンホールが結婚指輪をしているのは気がついた。「一回目は悲劇で二回目は笑劇」というセリフは、この映画を二回見て頂戴ね、という監督からのメッセージなのかもしれない。
しかしまあ、この映画を「謎を解いてやる」と意気込んで観るのもいいのですが、映像の乾き具合だったり、闇の色の暗さだったり、ジェイク・ギレンホールの二役の演じ分けだ ったり、この映画における蜘蛛のメタファーは原作にはない映画オリジナルの解釈だそうですが、これがまたビジュアル的に妙な説得力がありました。・・・などなど、ストーリーの解釈は置いといて妙に目に残るシーンを見ているだけで割と満足できました。負け惜しみじゃあないんよホント。