Viva アメリカ! | おかんのつぶやき

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けいこおかんの考えたこと、感じたこと、経験したこと、失敗したこと。何でも書いていきます~。

皆様、今日も笑っていらっしゃいますか。

Nalishなお時間へようこそ。

 

改めて言うことかどうか分かりませんが、

私は今、アメリカに住んでいます。

ずっと若い頃から憧れてきて、

いわば自分の好きな場所に住めています。

でも人生で、憧れたから、好きだから、でその場所に住むということは

いつもいつも実現しないかもしれません。

何かここに住んでいるのにも、私には意味があることのように思います。

ある時お友達に聞かれたことがあります。

「アメリカに来るべくして来たと感じる?」と。

その時も今もそれは分からないのですが、

例えば今のレクチンフリーダイエットなんかを考えてみても

ブログはここから

もし日本に居たら

もう今は痛みだけで人生を過ごしていたかもしれないとは思います。

人生を考えると、私をいい方向に向かわせてくれているもの、

私をポジティブにさせてくれているものはいつも「アメリカ」なのです。

あちこちの私のプロフィールにも

「私の人生のキーワードは4つ:摂食障害、鬱、アメリカ、産後鬱」

と書いています(因みにプロフィール)。

時々、全てがアメリカにつながってきたな、

来るべくしてきたかな、と思う時もあります。

私の人生のキーワードで唯一明るめのキーワード、

アメリカを今日は語ってみたいと思います。

 

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私の初めての「海外」との接触は高校生の時。

初めて海外の人と接しました。

それがアメリカ・オレゴン州から来た短期留学生達。

私が通った高校には、姉妹校があったんです。

そんなことも知らず・・・

でも思えば、それが私の人生の「本当の始まり」だったかのように思えます。

何というか開眼したというか、

とにかく「大きいなぁ」と思ったんですよね。

もちろん背や声も大きいんだけど、

同じ高校生とは思えないぐらい大人に見えて、

食べてるものも話す言葉も違って、まるで宇宙人を見るかのように

私は彼らを見ていたように思います。

でも人間だから通じ合うこともあって、それが不思議で仕方なかった。

とにかくその時は「外国」という存在を知ります。

 

そしてその10ヶ月後、

今度は自分が交換留学生になることができました。

これは試験を受けて選ばれたわけですが、

まさか自分がいけるとは夢のまた夢にも思っていなかった。

アメリカ・オレゴン州で3週間の生活体験をすることになります。

その3週間で得たものは人生を180度変えました。

地球の裏側にはこんな世界があるんだ、

私の知らないことはたくさんあるんだ、と思い知らされました。

自分の存在が小さく思え、世界って広いんだ、と実感。

憧れも生まれたし、あの時感じた居心地よさ

今でもはっきり覚えています。

 

居心地よかったといっても

全てが良いことづくめだったわけではありません。

ホストファミリーのお父さんとお母さんは再婚同士で

ホストスチューデントとお父さんは仲が悪かったし、

だから家族で食事をしたことはほとんどなくて

最後は野菜不足で倒れそうになっていました。

英語がほとんど話せないので周りを困らせてもいたし。

自分の不都合や感情を表せず、苦労しました。

でも居心地というのはそういうことでなくて、

空間というか自分のスペースがあるというか、

個人個人が自分の生きたいように生きられるようになっているようで

窮屈さがなかった。

そういうことを肌で感じました。

 

その後、20歳の時、26歳の時、28歳の時もアメリカへ旅行に行きます。

20歳の時は母と一緒に行き、

母に私が見たものを見せました。

いや、それ以上のものがあったと思います。

26歳の時は、本当に自分がアメリカに住めるか試しに行きました。

金銭感覚、街の流れ、言葉の感覚、私の位置づけ。

何かそんなものを垣間見に行きました。

何とかなるかな、と思ったのを覚えています。

 

そして30歳。

もうこれ以上待ったら絶対に私はアメリカには出ないだろうと思って

思い切って飛び出しました。

お金もちょっとあったけどでもそんなにたくさんというわけでもなく、

でも何とか、半年ぐらいは何とかなるだろう、と思って出ました。

お金があるないにかかわらず、

英語が分からないということはとても大変な事でした。

右も左も分からない、こんなとこで迷ったらどうやって帰るんだろう。

バスの乗り方も違うし、

大体アジア人嫌いな運転手が多くて、乗っただけでなじられる。

お店でも買い物の仕方も日本と違うけど、教えてくれる人なんて一人もいない。

銀行に行けば英語が分からなさ過ぎて子ども扱い。

涙が出たこともたくさんありました。

 

それでも、人生がものすごく楽しいという感覚に変わりはありませんでした。

後にも先にもあそこまで楽しい思いをしたことはあれが最後かもしれません。

「自分のやりたいことをやっている」

それだけで生きていました。

ものすごい極貧生活で、

銀行口座に20ドルしかないことが3回ぐらいあります。

明日どうやって食べていこう、って心底感じた焦りと不安。

そしてその前後に必ず送られてくる両親からのお金。

これでどんなに両親の偉大さを感じた事か。

何も言っていないのになぜか私の行動を知っているんですね。

あれがあるから今の私があると、心底思います。

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ちょっと長くなってきたので、またもやシリーズにいたします。

続きは次回。

感謝を込めて…

 

 

私の過去をシリーズで書いています

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