Viva アメリカ!② | おかんのつぶやき

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けいこおかんの考えたこと、感じたこと、経験したこと、失敗したこと。何でも書いていきます~。

皆様、今日も笑っていらっしゃいますか。

Nalishなお時間へようこそ。

 

私の人生はアメリカで花開いたという話しを書いています

前回はここから)。

 

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30歳で日本を飛び出し、極貧生活を1年やりました。

その時はカリフォルニアのロサンゼルスに居ましたが、

もう日本に帰らないといけないか、という本当に最後のあがきの時、

26歳の時に訪れたシリコンバレーに住んでみたいと思いました。

ここに移動して気持ちの整理が付いたら帰ろう、と思いました。

シリコンバレー。

とても素敵な場所です。

私が一番憧れた、そしてこの目で確かめて、住める、と思った場所です。

そこでまた言語学校に入り、そこで3か月過ごすことにします。

 

この学校では何故か生徒が皆、私の半分ぐらいの年齢の子ばかりで

ほぼ全員が地域のコミュニティーカレッジ(短大みたいなもの)に入っていくのです。

しかもみんな好きなことしてるんですが、

キラキラ輝いていて、私、この仲間に入りたいなぁと心底思いました。

ロサンゼルスの時もみんな好きなことしていましたが、

ちょっと種類が違う。

私は全く仲間に入れなかったし、入りたいとも思わなかったのです。

でもここの子たちは純粋で、

一生懸命勉強して、目的を持っている。

その姿に感動しました。

 

だからそれに押されてというかどうしても一緒に居たくて、

彼らと一緒にコミュニティーカレッジに入ってしまいます。

アメリカの大学は入学はとてもハードルが低いので

私達も英語さえ何とかクリアすれば入れました。

 

とはいえ、やっぱり英語漬け。

結局大学で勉強するだけの英語力は語学学校では身に付いていなかったということで

ほぼ一年はESL(英語の集中授業)を受けていました。

 

その一年の間に日本に帰ってお金を貯めたりしました。

さすがに親にばかり頼っていては駄目だ、何とかしよう、と思ったんですね。

これまでの借りは多すぎる。

返せないけど、これからは何とかしよう、とようやく行動に移せました。

そうやって何とかESLも終わりそうだという頃、

友達に連れていかれたパーティで今の旦那様と出会います。

旦那様の家で開かれたパーティで、

来ている人は皆社会人。

でも外国人。

アメリカに来てこの年齢層のパーティに行ったのは初めてでした。

 

緊張もしているし実はホームパーティも初めてで、

何が何だか分からない。

英語も話せないから誰とも話せない。

そんな中、旦那様が

「僕は日本に行ったことがあるよ」とかなんとか言って

ずっと話しかけてきてくれたのを覚えています。

ずっと付いてくるな、と思ったけど爆  笑

でも優しいな、と思ったのを覚えています。

 

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ちょっとアメリカに住む経験をするだけのはずが、

カリフォルニアを南から北へ移動し、

何となくコミュニティーカレッジに入って旦那様と出会い、

トルコってどこ?って最初は思っていたのにそんな人と結婚。

2人の息子に恵まれ、今の生活があります。

決して住み着こうと思って計画を立てたわけではなく、

何となーく自然の流れに乗っているうちにそうなりました。

互いに外国人である私達は、

自分に国に帰りたいような帰りたくないような、

自分の国を恋しく思う気持ちは持っているけれど、

程よい距離が心地いい、と暗黙に思っているようでもあります。

 

人生で暗い感じになっている時、

助けてくれるのはいつもアメリカの存在でした。

アメリカに行くと元気が出る。

アメリカに行くと全てが小さい悩みに思える。

そして飛び出した後の開放感、やりたいことができている実感、

それは初めて自分で掴んだ「人生を自分で生きている瞬間」だったようにも思います。

 

それでも今、アメリカの全てが大好き💕というわけでもありません。

やっぱり文化の違いはあるし、心底理解できないこともあるし、

今でも「日本だったらこうなのに」

「トルコならこうさ」と比べることも多々あります。

でもそれは、

どこにいても一緒、どの場所にいても生き難さ、困難はあるわけで、

じゃぁ何を基準に自分の生きる場所を作っているのか。

それはやっぱり、

自分の好きなように生きられる場所を求めて定まっている、と思うのです。

逆に言うと、ここに住みなさい、と言われた時は、

自分の好きなように生きられるように場所作りをしていると思うのです。

できない人は移動する。

できない人はできるように努力する。

何かしら「自分の場所」を作らないと、人は生きられない。

そう思います。

 

ある日友達にいきなり、

「啓子はものすごく旦那を愛しているんだね」と言われました。

「は??」というと、彼は最近日本に行ってきて、

日本は素晴らしい国だ、美しい国だと思ったというのです。

そしてその国を捨ててアメリカにこの人と生きているというのは、

よっぽど彼の事(旦那様)が好きなんだろう、というのです。

いやいや、違います、日本が素敵な国だと気付いたのは

自分がアメリカに出てきたからです、

私はその素晴らしい国を誇りに思い、

その国を恋しく思い、その国に貢献したいと思います、

そう思い続けるためにここにいるのです、と言いました。

そしたら!

先日観ていたYoutube(また観とったんかい…)で

何とあのX JapanのYoshikiさんが、そんなことを言っていました!!

 

(12分50秒前後を観てください)

 

あのYoshikiさんが私と同じことを思っている!と思うと震えました。

そう、外国に出てきた日本人なら、本当にみんなそう思っているよね…

ものすごく共感しました。

 

日本は素晴らしい国です。

だから忘れられないし、いつでも帰りたい国です。

だからこそ日本のために何かをしたいし、

日本の国に恥じない行為をしたい、と心底思います。

 

昔アメリカ人の友達に、

日本人は戦争でどうしてお国のために死んだの?と聞かれました。

アメリカ人は死なないの?と聞くと、

アメリカ人は生きる、と言いました。

そうか、根底が違うな、と思いました。

お国のため、というほど大したことはできませんが、

でもそこに向かって「生きていきたい」と思います。

 

感謝を込めて…

 

 

私の過去をシリーズで書いています

こちらから