仮に、あなたの世界の中に「神さま」がいたとして、
 
あなたがそれを、信じてるとしたら。
 
『私は神さまを信じる』
 
という選択をあなたがしたことになるので、、
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたが『神を作った』とも言える。
 
 
 
 
 
 
 
つまり、
 
『私は神さまを信じてる』と言った瞬間に、あなたは神を作ったことになる。笑。神の生みの親は、あなたなので、神よりあなたはすごいこと。笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
逆に。
 
「私は神さまを信じない」と言った場合、、神を作らないという選択をしたので、
 
「私は神さまを信じない」と言って時点で、、、神を自分の意思で作らないことになるので、またもや神を超えたことになる。笑。
 
 
 
 
 
 
 
神さまがこの世に存在するか、しないのか?の議論より大切なことは。
 
 
 
 
 
あなたの世界に、
あなたは神の存在を、
あなたが許すか許さないか。
あなたが許可するか許可しないかの
決定権があなたにある。
という事実である。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本中の人が「神さまはいるに決まってる」と言っていたとしても、あなたが『いや、私は信じてない(*≧∀≦*)あはん』と言った瞬間、、あなたは神を超えたことになる。

神越えておりますえ〜
 
 
 
 
 
 
 
 
ぎゃくに。しゃっくり。
 
 
 
 
 
 
 
周りの人がだーーれも神さまなど信じてないが『私はいると思う(*≧∀≦*)あはん』と言って瞬間、あなたは神を超えたことになる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたの世界において、決定権はすべてあなたにある。
 
 
 
 
(え、決定権なんて、、そんなないよ、、、(´;Д;`)、、と思ったとしても。それは、「決定権を放棄する」という決定をあなたが下してることになるので、やっぱり決定権はあなたにある)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ナリ心理学のブログを読んで、、
 
「面白い(*≧∀≦*)じゃがりこ!!」と思ったとき。、、あなたは、あなたの世界に「ナリ心理学を面白いと思うことを許します」という許可をしたことになる。
 
その許可なしに、、ナリ心理学はあなたの世界で面白く存在できないのである。
 
なので、、
 
ナリ心理学面白い!!と思った瞬間に、あなたはナリ心理学を超えたことになる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「面白いことをしてる人」よりも先に、「面白いことを受け取れる自分」がいないといけないのよーー。
 
 
 



ナリ(nali)は、このアーティストが大好きなのだが。笑。
「iri」が最高のアーティストである以前に、、「nali」が、、「iri」を最高の音楽であると「理解できる」ことが、「すごい」のだ。笑。
 
iri も当然すごい。が。naliもすごい。笑。受け取れた、おれが。すごい。
 

音楽にはお金使おうぜ!w

 
 
 
 
あなたが好きな音楽は?映画は?漫画は?ブランドは?お店は?なんでもいい。
 
それがすごいのは当然だが、、それを受け入れられたあなたが。すごい。それを忘れないでほしい。
 
 
 
 
 
僕は昔から、ジャン・ミッシェル・バスキアという画家さんが好きなんだけど(zozoの社長さんが買った絵)
 
その流れで、、、、一時期「現代アート」を好きになろうと思って、、、「現代アートにハマろうとした」ことがあるのね。笑。ハマろうした(*≧∀≦*)笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
でもね、結論からいうとおれには現代アートは無理だった。笑。
理解できなかった。笑。まじ、モード学園。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この挑戦と失敗を経験してからさ、、「それを理解し、受け入れられる人はすごい」と本当に思ったんだよね。本当に。
 
 
 
 
 
 
Mr.Childrenがカッコいいのは、当然なんだけど。
それより、「Mr.Childrenをカッコいいと思えるあなたがすごい」のよ。
(桜井さんもきっと、そう言うはずw)
 
米津玄師の才能を受け取れる「あなたがすごい」のよ、まじで。
 
いいものをいいと言えるあなたがすごい。
 
 
 
 
 
 
 
 
知ってると思うけど、スタンリー・四角・キューブリックという映画監督が作った「2001年宇宙の旅」という歴史的名作映画があります。
 
この映画の中には、正直「は?意味不明、退屈だわ」と思えるシーンが結構あります。笑。
 
多すぎるがために、、「つまんねー!!」と思う人もいます。
(それはそれでいいんだけど)
 
けど、その意味不明な映像にも、退屈なシーンにも「意味を感じ、理解しようとする。理解出来る」ことは、
 
観てるあなたの凄さだ。ほんとそう。

見てみて!

「発信側」は、「受け取り側」がいないと存在できないという、絶対的な仕組みがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「発信側がすごい」のは、もはや当然。ただ、発信側がすごくあれるのは、、、それを受け取れる「受け取り側」がすごいからだよ。
 
 
 
 
 
 
 
あなたがなにかを「すごい」と思う時。
 
そのなにかを「許し」「許可し」
 
あなたの世界へ「存在させ」「評価し」「受け入れた時」
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたは、その瞬間、
「あなたの世界の神を超えたことになる」
 
 
 
 
 
 
 
 
今スタバで、ソイラテのトール飲んでるんだけど。
 
頼む時、寒かったから、「トイラテのソールで」って言っちゃった。チュー笑。はず。
スタバはすごいよ。
でも、、スタバの存在を許した。
僕がすごい。
 
 
 
 
 
 
 
スタバを無視し、
スタバを拒否し、
スタバの存在を許さないことも
できる。
(それも、僕が神を超えてるからだからできるわけだが)
 
 
 
 
 
 
 
あなたがNOと言えば、NOだし。あなたがYESと言えば、YESである。あなたが「ちょっと、微妙かなぁ〜」と言えば、ちょっと微妙なのである。
 
 
 
 
 
 
 
「神は本当に存在するかどうか?」という問いよりも、大切なのは。
 
『神の存在を許すか許さないかは、あなたが決められる』という事実である。
 
あなたは、もうとっくに、神を超えている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたが店長なら、神は「高校生のバイトくん」くらいの感覚だ。
 
高校生バイトは助かる。くら寿司は例外、、(おいやめろ、、、ブラックジョークやめろ、w)
 
ただシフトは『あなたが決められる』わけだ。
 
どんなに仕事ができるバイトくんでも、、、シフトに入れなければ、力は発揮できない。
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたが入国審査の人なら、神様は審査される側だわ。笑。あなたが「決める側」で、、神様は「決めてもらう側」なんだよ。笑。そもそも論としてね。
 
よくいう「あなたは神である」ってやつは、正しいけど正しくない。笑。
 
 
 
 
 
正確には「あなたは神以上」なんよ。
 
 
だって、神すらあなたに許可を求める存在なのださら。
 
でも、神以上の言葉がまだこの世界に存在しないから、暫定的に「あなたは神」と言ってるにすぎない。笑。
 
そう言われるとと、おもろいっしょ(*≧∀≦*)ははは。笑。
 
 
 
 
 
あなたは神じゃない。仕組み上。神以上だ。
 
 
 
 
 
 
 
今日の話まとめると|( ̄3 ̄)|笑。
 
あなたの世界は「あなたの許可」で成り立っている。だから、あなたの世界で起きてる「すごいこと」は同時に「あなたのすごさ」だと、
 
 
 
 
 
 
 
「誇っていいぜ!自慢に思っていいぜ!」
ってこと(*≧∀≦*)
なのよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
面白い!!と思えたら、
面白いと思えるあなたがすごいのさ(*≧∀≦*)
 
 
 
 
 
 
 
 
ドヤ顔で生きろ。笑。
 
 
 
 
 
※ここまで読んでくれた人はリブログしてくれると嬉しいです(*≧∀≦*)