本日は 無関心の人のお話
月子は昔
愛の反対語は無関心だと思っていた
なぜかというと
学校の先生に
「いじめや、悪口を言うのは、それは相手に関心があると言うことなの、関心があるから嫉妬や悪口を言ってしまうのです。一番愛のないのは無関心です。」
と、言われて
「そうなのか?」とずーっと思っていた
いじめの方が無関心よりも愛があるの?
ヒドイことしてるのに
それを見て見ぬふりしている人の方が
愛のない人なのか??
う~ん?
なーんか腑に落ちなくて
年月が過ぎて行った
ナリくんが
「愛の反対語は排除だよ」
と、教えてくれたとき
心のなかで
おー!スッキリした!!!
で、思ったの。
排除!排除!か
いじめは排除だもんね
愛とは全然反対のものよね
こういうところが
わかりやすくて
サイコーだよね ナリ心理学☺️
さて
本日のお題に入ります
無関心の人って
一見いい人に見えるんだよね
悪口を言わないし
人に愚痴も言わないし
優しそうに見える
でもねそれは
人に興味ない
からなんだよね
実は………月子母も、その一人
子供に無関心だった
勉強しろとか人生で一度も言われなかったし
心配もされないし
怒られることもあまりなかった
そしてうるさくない
だから楽な母親だなって
親の事、嫌いにはなれなかった
でもね、月子は子供時代
下着とか買ってもらえてなかったの
これは普通の事だと思ってたけど
普通じゃないんだって!
(中1の時に、女子だけ保健の授業で、生徒全員半強制的にスポーツブラを購入するというお知らせがきて二枚購入した、それで三年間過ごした、今思うとあの制度に感謝している)
でもね、本当にそれが普通だと思ってた
パツパツボロボロの下着
爪の痛い小さな靴
小さくてピチピチの制服
ちょっと恥ずかしかった
私が買って欲しいと言えば買ってくれたと思うけれど
子供の頃の私はそんなに裕福ではない家庭の懐事情も知っていたので
早く高校生になってバイトして買おう!
と思ってた。
でも、こちらが言えば買ってくれたのかな?
たぶん………
そして母は 子供に無関心だったんだと
自分自身が親になって気がついた。
かなしいかな、
自分が親になって気がつくって
毎日洗濯していて
子供の下着、上履き、靴下
我が子のために
買い換えてあげなくては、と気がつく
こんなに小さな靴、足が痛くて歩けないよね
友達の手前 恥ずかしいよね
自分が子供の頃そうだったからだと思うけれど
そんな事を考えると、早く買いかえてあげなくてはと気がつく
そんなこと、気がつく度に
別の気持ちに気がつく!!
あれ?
うちの母
子供に無関心だったんだと
他人に興味ない人って
感情が他人に向かないので
うるさくないの
何も言われないけれど
何もしてくれない
いい人風でいられるんだよね
それに気がついた時
ああ、だからあの時!
という
子供の頃の伏せん回収がはじまった
うるさくない=無関心
うるさくない=いい人風
でも何も気がついてくれない
助けて欲しい時に逃げる
だからか!と思うことが沢山あったな
でもね
無関心だからこそ
彼女(母)は
今、生きてるんだと思う
あの頃の母の生活を考えると
それが彼女(母)の処世術だったんだと思うよ
自分と母と色々向き合って私自身が納得したこと。
母というよりも
一人の人間というか
一人の女としての人生をみる
同情とかではなくて事実だけをみた。
そして、許すというよりも
納得!という気持ちが大きかった
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