低成長経済における金融財政政策のトリレンマ  (及び 成長批判のトリレンマ再訪) | 批判的頭脳

批判的頭脳

建設的批判を標榜し、以って批判的建設と為す。
創造的破壊を希求し、而して破壊的創造を遂げる。

noteにて、「経済学・経済論」執筆中!

「雇用増加の下でも賃金が停滞する理由」

「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」

「「お金」「通貨」はどこからやってくるのか?」

「なぜ日本は財政破綻しないのか?」などなど……



―――――――――――――――――――――



先日投稿した金融・財政の基礎的理解という記事において、実際の通貨供給は信用創造(銀行融資による預金発行)を通じて民間によって行われている部分もある、ということを指摘した。

また、”自由化されすぎた通貨供給”を国家化すべき理由 ―外部経済性を持つ財としての通貨においては、民間の信用創造による通貨供給は、民間信用の不安定性等により過少になる問題を抱えており、政府信用率を高めるべきなのではないかという提言を行った。

上記を踏まえつつ、少し変わった角度から、現代日本、ひいては現代先進国における金融財政政策について再考したい。

高度経済成長期の日本は、政府の財政赤字が限定的な中でも、民間の設備投資が旺盛であったため、信用創造による通貨供給が恒常的に不足するということは起こらなかった。
キャッチアップ過程にあり、将来に必要な生産資本の大きい国では、政府が直接信用創造を担わなくても、ベースマネーを供給する分だけの国債供給で十分になる。(この時期の国債供給は主に建設国債が担っていた)
また、技術のキャッチアップだけでなく、生産年齢人口の増加それ自体が資本追加の誘因になっただろう。この場合、生産資本だけでなく、住宅資本の追加の誘因にもなる。

さて、技術のキャッチアップが落ち着き、生産年齢人口の増加もおとなしくなる安定成長経済、低成長経済においてはどうなるだろうか。

この場合、民間は十分な信用創造が困難な可能性がある。特に、高成長から低成長への移行過程においては、「現行では生産キャパシティが大きいが、将来的に必要な資本は小さい」という状況が成り立つ危険性が大いにある。この場合、将来に必要な最低限の投資では、完全雇用に十分な信用創造を実現できない可能性がある。

経済が(仮に小さくても)プラス成長を続けている限りは、預金の『純増』が必要になるが、これは資金循環上の赤字をどこかが引き受ける必要があることを意味する。
(※あくまで資金循環上の赤字であり、損益決算上の赤字ではないことに注意したい。設備投資はその時点での借入や支出が損失としては計上されないし、されるべきでもない)

こうして低成長経済においては、何らかの手段によって慢性的に不足する信用創造を補う必要性が出てくるのである。
不足する信用創造を補う方法は大きくわけて三つある。財政赤字の拡大、インフレによる実質金利の引き下げ、そしてバブルである。

ローレンス・サマーズの指摘によると(参考)、リーマンショックよりもずっと昔、1980年代から、アメリカ経済は長期停滞に近い状態に陥っていたとされている。そうした状態では、バブルによる経済厚生改善が求められ、実際リーマンショックまでに起こっていたいくつものバブルにアメリカ経済は助けられていたのである。

このことは日本も同じだ。特に、リーマンショック直前まで続いていた好景気は、アメリカの住宅バブルを中心とする海外バブルに依存していた。日米を主とする世界経済は、既に何十年も前から、以下に提示する低成長経済における金融財政政策のトリレンマにはまっているのである。

低成長経済における金融財政政策のトリレンマ

低成長経済においては、以下の三つのうち、二つしか選択することが出来ない。

①完全雇用を満たす十分な通貨供給の実現
②緊縮政策(財政赤字の縮小、あるいはインフレの回避)
③バブル回避



十分な貨幣供給と緊縮政策を両立するためには、バブルの拡大を容認しなければならない。これは実際に日本、アメリカ双方のバブルにおいて起こっていたことだ。……『たしかにバブルは問題に見える。でも、経済の好調に水を差すのはまずいのではないか』、という具合だ。 

緊縮政策とバブル回避を両立するためには、十分な通貨供給の実現を放棄しなければならない。低成長への移行によって民間の信用創造が基底として低調になる中、あえて刺激するにはバブルを起こすしかないが、バブルを起こさないような政策を取りつつも、信用創造の不足を財政赤字などで補わなかった場合、不完全雇用を甘受するしかなくなる。この選択のよくないところは他にもある……不況が、失業の履歴効果や投資のさらなる過少を引き起こし、将来の生産力を減じたとき、民間の貯蓄性向を高めてより不況を悪化させていく構造があるからだ。


十分な貨幣供給を実現し、バブルも回避するためには、緊縮政策を放棄するしかなくなるだろう。
第一選択肢として順当なのは財政赤字の拡大だ。しかし財政赤字拡大は、累積債務の増加、累積債務の借換(ロールオーバー)による財政過大硬直のリスクがあり、財政政策それ自体の機動性も小さいことから、後々に高インフレになりやすいリスクを抱えている。(ハイパーインフレと呼べるほど大きいものになるとは考えにくいが)
(ただし、政府信用率を高める政策を同時に行う場合は、財政規模をある程度維持しつつ金融を引き締めるという選択肢もあり得るため、上記が致命的な問題にはならない)

財政赤字拡大を避けるなら、もう一つの選択肢としては、あらかじめ一定のインフレを起こし、実質金利を引き下げることによって、民間の安全(だが低収益)な投資を誘発することが挙げられる。(クルーグマンらのインフレ調整論)
現金減価制度付きマイナス金利も、これと似た構図を持つ政策であり、上記2政策では生じてしまうインフレコストはないが、制度調整が難しい(特に、現金減価制度の実施それ自体とその能率的な実行体制の実現が難しい)というのは問題だろう。

(※低金利はバブルを生むのではないかという指摘もあるのだが、低金利それ自体がバブルを生むという論理は明らかではない。バーナンキらも指摘しているように、バブルの醸成は、金利の低さよりも心理効果に依存するところが大きいように思われる。むしろ低金利は、民間の安全低収益の投資を促す不可欠な政策であり、高金利と十分な民間投資を両立するときこそ、バブルによる高収益が必要になってしまう)



ここで、改めて成長批判論者こそ、総需要拡張を主張すべき。を再訪したい。

この記事では、成長批判のトリレンマを取り上げた。これをもう一度厳密な形で記述しなおしてみたい。

成長批判のトリレンマ

以下の三つのうち、二つしか実現できない。

①成長批判(経済成長の希求をやめる)
②総需要拡張の否定(財政赤字の縮小、インフレ回避及びバブル回避)
③完全雇用(を実現する十分な貨幣供給)



低成長を受け入れ、同時に総需要拡張を否定すると、通貨供給の不足から不完全雇用を甘受するしかなくなる。

総需要拡張の否定と完全雇用を両立するには、高度成長による民間の旺盛な投資が不可欠だ。

低成長と完全雇用を実現するには、財政赤字やインフレ調整による総需要政策、あるいはバブルの醸成のどちらかを選択する必要がある。


今の主流派経済学者の多くは、あくまで成長を目指しその実現を前提とした政策を考えようとしているように思う。(構造改革に躍起になりつつ緊縮政策を志向するのは、その顕れとしか思われない)

しかし私は、低成長経済における最適政策を考えるのが、地に足のついた現実的な政策対応であるように思える。



成長批判のトリレンマ、並びに低成長経済のトリレンマを理解することが、現代先進国の政策決定に極めて役立つはずだ、という確信が私にはある。





ブログランキング参加中。よかったら是非↓↓


社会・経済ランキング