マルダの茶粥ランチ(に行きたかった…涙)
今日、元気があれば行きたかったのが、京都は烏丸御池にあるマルダの茶粥ランチだ。
結局、出かけることはできなかった←笑い事ではないのだけれど…
以前、ホテルマルダ(ヨーガンレールの魂が宿っている)に滞在した時、ホテルルームの素晴らしさはもちろんのこと、心尽くしの見事な朝食をいただいてから、すっかり虜になっていたのだ。
せめて、その精神に近づけるような自炊を続けてみよう。
もし、京都に行けていたら、大好きな多角的スポットmumokutekiや真っ白なカフェなどお馴染みの場所でくつろぎたかったし、京セラ美術館まで足を伸ばしたかった。
でも、日帰りでそれらを済ませるには、この暑さはキツい気がする。秋になったらなったで秋の京都は混むんだろうけど。
ただ、予報では残暑も厳しいらしく、四季というよりは夏と冬の二季になりつつある近頃の日本なのだった。
Bon Voyage★
『時々、私は考える』
今、一番行きたいのは東京都現代美術館の高橋龍太郎コレクションなのだけれど(あとワタリウム美術館でのメンバー向けイベントなどetc…)、東京へ気軽に行ける状況ではなく、では、それより近い京都はどうかと言えば、魅惑的なプランはあれど猛暑に対抗できる自信がないのだった。
そんな中、レイチェル・ランバート『時々、私は考える』が、テアトル梅田の8/21(水)9:15〜の回で終映と知り、思い切って大阪へ向けてロケットスタートを切った(ただ、異常な暑さには参った;)。
実は、最初に予告編を観た時に、何だかピンと来ないタイトルだなあと思っていた。
本作の原題は『Sometimes I Think About Dying』なので、『時々、私は死ぬことについて考える』とかでもいいのだけれど、それだとあまりにも直接的すぎる(私は構わないけれど)…と思案したのだろうか?
(映画.comより)
映画「グーニーズ」の舞台としても知られるオレゴン州アストリアの閑散とした港町。人付き合いが苦手な女性フランは、職場と自宅を往復するだけの平穏な日々を過ごしていた。友人も恋人もいない彼女にとって唯一の楽しみは、幻想的な“死”の空想にふけること。そんな彼女の日常が、フレンドリーな新しい同僚ロバートとのささやかな交流をきっかけに、ゆっくりと動きはじめる。ロバートと順調にデートを重ねるフランだったが、心の足かせは外れないままで……。
主人公のフラン(デイジー・リドリー)は友人も恋人も作らず、他人を寄せ付けないくらい自分のささやかなこだわりを大切に、地味に暮らしている。
一応、家と職場の往復はできているが、殻に閉じこもっていると言ってもいいくらい頑ななペースだ。そして、そんな日常生活の中で、死を空想することが密かな趣味のようになっている。
ふとした日常の瞬間、死のイメージがつきまとっている人は、意外といるのではないだろうか(私もそうである)。そういう人は、本作の合わせ鏡のように内省的な作品世界に没入するかもしれない。
全体的に暗めトーンの静かな映画だが、想像力が繊細に、力強く、作品を支え、やがて、いつしか現実と空想が交錯した世界に引き込まれている。
新しい同僚ロバートとの交流のプロセスで、不器用な衝突を繰り返しながらも、フランは少しずつ自分の言葉で気持ちを伝え、歩み寄っていく。
同じ小さな職場だから気まずいかと思いきや、フランはロバートにさりげなく声をかけ、素直にアプローチをする。ただ自分の殻に閉じこもってばかりいるのではなく、積極的に仲良くしたい思いで行動もできるのだ。
フランは自分をつまらない人間だと思っていたかもしれないが、内面に湛えられた無尽蔵の想像力は、他者と関わることで漏れ出で、化学反応を起こし、ベーシックな自分のペースやこだわりがあったとしても、他者との関係性を育てていくことは可能なのだという柔らかな安心に満たされていく。
Sometimes I Think About Dying
監督:レイチェル・ランバート
出演:デイジー・リドリー(主演&プロデュース)、デイヴ・メルヘジ、バーウェシュ・チーナ、マルシア・デボニス…
2023年/アメリカ/93分
とりとめなく書いたので、またちょこちょこ戻って来るかも。
*
台風が来たら、薔薇アーチが吹き飛ばされそうで心配な私…なのだった。
Bon Voyage★
R.I.P. アラン・ドロン
8/18にアラン・ドロンがこの世を去った。
少し前、久しぶりに『太陽がいっぱい』を観て、やはりアラン・ドロンの美貌なしにはあり得ない作品だと改めて認識したばかりだった。
美貌の匙加減は難しい。ドロンの場合、美が下品スレスレの危うさを醸し出す瞬間が、その辺の普通の俳優には太刀打ちできない孤高の魅力になっていたりする。
実は、昨日やっとこさ映画館へ行ったのだけど、その作品のことは後日書くとして、今日はアラン・ドロンについて少しだけ書いてみたい。
おそらく他のシネフィルの方々がアラン・ドロンについて取り上げる出演作とは異なると思うのだが、私がアラン・ドロンと聞いて鮮烈に思い出すのは、3話仕立てのオムニバス『世にも怪奇な物語』(1968)の第2話、ルイ・マルによる『影を殺した男』で演じたウィリアム・ウィルソン役(2役)だ。
この『世にも怪奇な物語』、第1話がロジェ・ヴァディム『黒馬の哭く館』、第2話がルイ・マル『影を殺した男』、第3話がフェデリコ・フェリーニ『悪魔の首飾り』で、子供の頃に日曜洋画劇場で観ては、夜中トイレに行けなくなっていた。
真っ暗がりの階段の下に、『悪魔の首飾り』に登場する女の子が白い鞠を持って佇んでいる幻影が浮かび上がり、幼心に身がすくんでしまうのだった←当時は笑い事ではなかった。
そんな『世にも怪奇な物語』第2話は、エドガー・アラン・ポーの原作『ウィリアム・ウィルソン』で、以下のようなあらすじだ。
(Wikipediaより)
寄宿学校に通う狡猾なサディストのウィリアム・ウィルソン少年(アラン・ドロン)の前に彼と正反対な性格をした同名のうりふたつの少年が現れる。彼は事ある事にウィルソンの悪事を妨害した。のちに士官となったウィルソンは賭博場であった美しい女性のジュセピーナ(ブリジット・バルドー)とカードの勝負をする。ウィルソンはイカサマで勝利をし、ジュセピーナの裸の上半身を鞭で打つ。そこにうりふたつのウィルソンがまた現れ、インチキが暴かれてしまう。怒り狂ったウィルソンは、もう一人のウィルソンを殺害してしまう。
この主人公は華やかに悪を展開したいわけだけれど、自分に瓜二つの善なるドッペルゲンガーから常に妨害されてしまう。通常、良い人の裏の面が悪人というパターンが多い中で、悪を遂行したい存在がA面で苦悩しているのだ。
人間は善と悪だけで成り立っているわけではない。影や光の部分のどちらかを抹殺したら、両方とも立ち行かなくなる。
たとえば、彼が多重人格であるとか、統合失調的な幻覚者であるとか、超空想癖であるという自由な解釈も可能な本作。
いずれの場合も、やはり薄っぺらい美貌の持ち主が主人公である方が強度が高まるのだが(ゴダールがドロンを『ヌーヴェルヴァーグ』で起用した際に「性格俳優ではないから」と理由付けしたように)、ただ、ドロンの場合、薄っぺらく見えるようで実は筋金入りのベースを感じさせるものがあり、作品を際立たせる印象を受ける。
ドロンの出自を少し調べただけで、彼が少年時代ギャングや娼婦と過ごした過去が判明するのだが、どん底の生活から映画俳優へ転身できたのはその美貌ゆえだった…というプロフィールからしても、筋金入りの理由が窺い知れる。
プライベートを地で行く虚構の世界で、絵空事に色を塗り込めてきたドロン。
安らかに!
Bon Voyage★
ZINEのイベント@風文庫
昨日、先日買いそびれた本を買うために、阪急芦屋川駅近の本屋さん「風文庫」へ立ち寄ったら、ちょうど【神戸まちあるきジャンキーズが文学フリマ東京に行ってきた話】というZINEイベントが始まるところだということで、せっかくだから参加することにした。
ジャンキーズのお三方がこれまでに作ったZINEや、文フリで買ってきたユニークなZINEを紹介するだけでなく、様々な思いを熱く語り、ほとんどがZINE製作の強者ばかりという参加者と繰り広げられる濃密な化学反応。
特に、植物から抽出したインクを用いてリソグラフで刷ったZINEなど、こういうこともできるのだという可能性を示していて興味深かった。
盆Voyage★風文庫にてブック部
お盆週間もそろそろ終わろうとしている。
昨日は父のお墓参りに行ってから、芦屋川の風文庫に寄った。
まずは阪急御影駅近くの花屋さんで向日葵を買おうと思っていたのに、花屋さんが休みだったので、墓園で売られていた仏花にした(お盆などのタイミングで出店しているらしい。暑い中、感謝☆)。
じんわりと暑さに蝕まれ、体調が優れないまま風文庫に着いたら、素敵な本との出会いや、店主がくれたガラス細工のような飴が癒してくれてホッとひと息。
この日は懐かしい『こねこのぴっち』をお持ち帰りすることに(出張中のサビ猫チビクロに捧げるため)。
でも、後から他の本も気になってきたので、また近いうちに行こうと思っている。
実は、今日の夕方は塩屋の舫書店でちょいと物色したのだった。そのことについては、また。
*
黒猫コクトーはぐうたら寝てばかりいる
コクトー「夏は昼寝に限るぜ」
お盆ということで、愛猫ルナ氏の写真もね。
植物や動物に囲まれて、暑いけれど幸福な夏が過ぎていく。
明日元気だったら、早朝に出発して遠方の映画館へ行くかもしれない(たぶん起きられない)。
では、
良き週末を!
盆Voyage★