※教わったことを人に教えると、そこで運命が変わります。仏様の説法を聞いて、聞いたことは人に教えていくのです。それで貴方の使命が決まってくるのです。
人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経化城喩品第七』について 76
「在在諸仏の土に 常に師と倶に生ぜん」(続き)
法華経の信心が決定した人は、どんな所に生まれても、自分が法を聞いている立場でもあり、自分が師匠にもなっているのです。この法華経を人々に説く立場になっているのです。
仏道修行は、両面です。法を求めて聞いていく立場と、自分が仏道修行に入りわかってくると法を説く立場になるのですから両面です。聞くだけの姿勢ではいけません。
「教えてください」だけではいけません。聞いたことを咀嚼して、わかったことを人に教えていかないと正法は広がらないし、功徳も受けません。「ください、ください、ください、ギブミーチューインガム!」ではいけません。
仏弟子「私は仏様の法を聞きました。聞いたことは、私がわからなくても下に伝えます。次の法が聞きたいです。お願いします」、仏「そうか、前に教えたことは人々に伝えたのだな。では、説法しましょう」ということです。
仏から法を聞いて、法を伝える時は仏の立場です。聞く時は菩薩の立場です。衆生に向かっては、自分は仏としての振る舞いをしなければいけません。「貴方のやっていることは間違っていますよ。来世はとんでもないことになりますよ」と言うのは、仏の立場です。
仏道修行者は、修行僧という立場と、「自分は仏である」という二面性を持っているのです。だから、聞いているだけではダメなのです。「私はまだ悟っていません。悟っていないから、聞くだけで一生懸命なのです」それではいけません。
自分がわかったことは、人に教えていくのです。「教える」という行為が慈悲の行為になるのです。貴方がもし、誰にも教えないならば、慈悲の行為がどこにもありません。
教わったことを人に教えると、そこで運命が変わります。仏様の説法を聞いて、聞いたことは人に教えていくのです。それで貴方の使命が決まってくるのです。
「是の十六の沙弥 具足して仏道を行じて」
是の十六の沙弥は、具足して仏道を行じて
「今現に十方に在って 各正覚を成ずることを得たまえり」
今現に十方に在って 各正覚を成ずることを得たまえり。ここが大事です。今、現に十方にあって、各々正覚を成ずることを得させたのです。これは仏の立場です。
「爾の時の聞法(もんぽう)の者 各諸仏の所(みもと)に在り」
爾の時の聞法の者、各諸仏の所にあり
「其の声聞に住すること有るは 漸く教うるに仏道を以ってす」
其の声聞に住することあるは、漸く教うるに仏道を以ってす。今の十六の沙弥の姿は、聞いた時は菩薩の立場で、法を説く時は仏の立場です。
「我十六の数に在って 曾て亦汝が為に説きき」
我十六の数にあって、曾て亦汝が為に説きき
「是の故に方便を以って 汝を引いて仏慧に趣(おもむ)かしむ」
是の故に方便を以って、汝を引いて仏慧に趣かしむ。
「是の本因縁を以って 今法華経を説いて」
是の本因縁を以って 今法華経を説いて、
「汝をして仏道に入らしむ 慎んで驚懼(きょうく)を懐くこと勿(なか)れ」
汝をして仏道に入らしむ。慎んで驚懼(驚き恐れ)を懐くこと勿れ。仏の目的は、一仏乗を説くことしかありません。仏の悟る境地は明解になりました。普通の悟りではありません。十二因縁の法門、六波羅蜜は大した法ではありません。座禅を組んで禅定に入るだけではありません。お経を千回読むことでもありません。
仏とは何でしょうか? これは、感でわかることです。もっと言うと、仏が説いている中にしか、法華経はありません。仏と離れて法華経はありません。仏と法華経は別物だと考えているのです。仏が説いている中にしか、法華経はありません。
例えば、ゼロは宇宙には、存在しません。ゼロは、頭の中にしか存在しません。ゼロなどというものを追いかけて、いくら顕微鏡で見ても、ゼロは何処にもありません。
では、ゼロは無いのでしょうか? ゼロは、ゼロを知った人の頭の中にあるのです。このような問題を「智る法」と言うのです。「智る法」の反対を「有る法と」言うのです。有る法だと思うと、「ゼロは何処にあるのだ?」とゼロを追いかけまわすのです。
時間もそうです。時間も智る法です。有る法ではありません。時間など、存在しません。「時間がある」と思う人の心の中に時間はあるのです。時を知らない人には、時はありません。
「時は何処にあるのですか?」というと、知った人の心の中にしか、時はありません。白痴の人には、時はありません。「ああ、30年過ぎたな」とわかっている人には、時があるのです。
白痴で時間がわからない人には、時はありません。時は客観的な事実ではありません。自分が知ろうと思った人の中にしか時はありません。(77に続く)
『妙法蓮華経化城喩品第七』
在在諸仏の土に 常に師と倶に生ぜん(続き)
是の十六の沙弥 具足して仏道を行じて
今現に十方に在って 各正覚を成ずることを得たまえり
爾の時の聞法(もんぽう)の者 各諸仏の所(みもと)に在り
其の声聞に住すること有るは 漸く教うるに仏道を以ってす
我十六の数に在って 曾て亦汝が為に説きき
是の故に方便を以って 汝を引いて仏慧に趣(おもむ)かしむ
是の本因縁を以って 今法華経を説いて
汝をして仏道に入らしむ 慎んで驚懼(きょうく)を懐くこと勿(なか)れ
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