人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経化城喩品第七』について 77 | 中杉弘の人間の探求

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03 ※平らな真っ直ぐの道が仏様まで続いていると思ったら大間違いです。道は、険悪道です。毒獣が多くいるのです。毒獣とは、恐ろしい怪物です。この話に似た話が、孫悟空の『西遊記』です。三蔵法師(玄奘三蔵)が天竺に行き、有難い経典を取りに行くお話です。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経化城喩品第七』について 77

 

 「汝をして仏道に入らしむ 慎んで驚懼(きょうく)を懐くこと勿れ」(続き)

「驚懼を懐くこと勿れ」とは、どのようなことなのでしょうか? 仏道を聞いたならば、ビックリ仰天して飛びあがってしまうのです。「驚懼(きょうく)」とは、「驚き恐れることです。驚いてビックリして立ち上がってしまうのです。そのくらい凄い内容です。

お釈迦様は「これが仏教だよ」と言って、様々な方便を用いて教えてくれたのです。「私はそれをみんな修行してきました。ようやく仏道を得たのだ!」と思ったところで、かなり高慢になっているのです。

仏に「お前達、何もわかっていないだろう!」と言われたら、ビックリしてしまいます。「お前達は何もわかっていないのだ」と仏様は言われたのです。

疑い無きを無疑曰信(むぎわっしん)と言います。大事なことは、仏の説法を疑いの心なく聞くことです。「何がわかっていないと言うのですか? 私はお釈迦様の教えに従い修行してきました。何がわかっていないのですか?」と修行してきた人達が言うのです。それが「わかっていない」ということです。

仏教の悟りは、1~9まで順番に「悟りました」というものではありません。貴方が得た悟りは、最高の悟りではないとわかっているのです。それがわかったところが悟りです。

これが天台大師の言われた、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)です。名字とは、凡夫の位です。妙覚とは、妙を悟った位です。すると、なぜ凡夫のことを「名字即」と言うのかというと、仏道修行の始まりは名前しかありません。

仏教とは、お釈迦様のお悟りを学ぶのです。仏「貴方は、仏道修行をしてお悟りが得たいのですか?」、仏道修行初心者「はい、得たいのです」、仏「でも、貴方はまだ凡夫です」、仏道修行初心者「はい、私はまだ凡夫です。いつかは、仏道修行をしてお釈迦様のような悟りを得たいのです」、仏「では、お前は仏と言っても名ばかりじゃないか」と言うのです。これが「名字即」の位です。
 「一切衆生は仏だ」と聞いても、最初は名ばかりです。修行が進んできて、一番上にあるのが妙覚の位です。妙覚とは、「妙を悟る」という位です。天台大師の修行が進むと、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)になるのです。名字即の位から、ひっくり返って妙覚の位になり、「私は凡夫ですが、仏だったのですね」とわかると驚愕するのです。

名字即から、どんどん登っていって仏界に行くと思っているのですが、それは違います。ある日、突然悟るのです。等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)です。

貴方は凡夫であることが、即妙覚ですが、そんなことは自覚できません。ハッキリと妙覚と自覚したいのですが、最初の段階で教わった時点ではわかりません。ところが、実は最初の段階で悟っているのです。それを言われると、わけがわからなくなってしまうのです。

名字即から徐々に登っていくと妙覚があるのではありません。最初の入り口を極めたことにより、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)と悟るのです。だから、仏教はわかりにくいのです。

凡夫は、「仏に成る」と言うと、自分と違う別のものになると思っているのです。そうではありません。貴方そのものが仏です。では、何故、そのように言えるのかというと、貴方の本性を知ったらそれでよいのです。それ以上の悟りなど、あるはずがありません。

「私とは、このようなものだったのか」と自分の本性がわかったところが妙覚です。仏は、「仏道に入るのだから、何があっても恐れるのではない」と言われました。
 「譬えば険悪道の 迥(はる)かに絶えて毒獣(どくじゅ)多く」
 譬えば、仏道に入ったということは、仏の道を進むのです。険悪道を迥かに絶えて、毒獣が多くいるのです。仏になるための道は、平らな道ではありません。「この道を行くのは止めろ」とY子のような魔が出てくるのです。衆魔・群道の邪魔者が出てきて、道は険しく、石がゴロゴロと落ちていて、真っ直ぐ進むことはできません。

この道は悪道ですが、進むのです。平らな真っ直ぐの道が仏様まで続いていると思ったら大間違いです。道は、険悪道です。毒獣が多くいるのです。毒獣とは、恐ろしい怪物です。この話に似た話が、孫悟空の『西遊記』です。三蔵法師(玄奘三蔵)が天竺に行き、有難い経典を取りに行くお話です。

三蔵法師の家来は人間ではありません。孫悟空は猿の化け物、猪八戒は豚の化け物、沙悟浄は河童の化け物です。何故かというと、険悪道を通り、新しい経典を天竺まで取りにいくのです。そこには化け物が大勢住んでいるのです。化け物が出てくるのですから、それを退治して、三蔵法師を守るのが孫悟空、沙悟浄、猪八戒という化け物です。それは、法華経の険悪道とよく似ています。

三蔵法師の家来は化け物です。険悪道を通って、様々な化け物が出てくる中で、天竺の新しいお経を取りにいくのです。法華経の悟りを得ようとする者の道は、険悪道です。毒獣も多く出てくるのですが、恐れることはありません。(78に続く)

 

 

『妙法蓮華経化城喩品第七』

汝をして仏道に入らしむ 慎んで驚懼(きょうく)を懐くこと勿れ(続き)

譬えば険悪道の 迥(はる)かに絶えて毒獣(どくじゅ)多く

 

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