古代ヤマト王朝 ② | 中杉 弘の徒然日記

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アーク伝説の剣山山頂近くの神社で、粟飯原住職は臨死体験者の木内鶴彦氏と凄い物を発見した!そこへドキュメンタリー映画監督を案内。阿波の聖地のパワーに圧倒されながら映画撮影をする。彼が見た凄いものとは?

 

 

 

古代ヤマト王朝 ②

 

 僕には、わかっていることがあります。徐福が第一回目に日本に来たというのは、調査だったのです。日本全国のリサーチの旅をして、日本の地図を始皇帝に差し上げたのです。

 徐福は、「蓬莱国は4つの島からできています。ここには蛮族がいて、ここにはいません」と、始皇帝に調査報告をしたのです。すると、始皇帝は「よくやったぞ、褒めて遣わすぞ」と言ったのです。

 始皇帝の目的は、不老不死の薬を探すことです。徐福は「不老不死の薬は見付かりませんでした」と、始皇帝に報告したのです。それが本当であれば、「徐福の首を斬れ!」と言われて、首を斬られてしまいます。

 それが「よくやったぞ!」と褒められたのです。始皇帝の本当の目的は、日本の地図が欲しかったのです。これが、本当の目的です。

 そして、徐福は第二回目の日本遠征に出かけるのです。始皇帝が日本の国が欲しい場合、日本の地図が非常に大事です。「第二回目の遠征は、日本の国を征服してこい!」ということです。

 日本の地図はあります。始皇帝がいくまでもありません。「お前が行け」と命令されて、徐福は1万人の軍団を任されたのです。

 徐福の第二回目の遠征では、1万人の軍団をまかされたのです。第二回目の遠征は、征服の目的です。日本地図があるのですから、「ここで軍隊を整えて、ここから征服する」という計画がもうできていたのです。

 最初に上陸する土地を探したのですが、四国では大きすぎます。九州には蛮族がいます。本州にも蛮族がいます。淡路島には、豪族の勢力があまりなかったので、最初に上陸するのには、ちょうどよかったのです。徐福の軍団は、淡路島に上陸したのです。

 最初に淡路島に上陸したから、古事記には、「最初に淡路島ができた」と書かれているのです。淡路島で軍勢を整えて、次に四国へ向かったのです。「淡路島は初めにできた島だ」というのは、徐福の軍団が初上陸した地だったからです。

 淡路島から四国へ向かったのです。四国には天皇家が非常に大事にしている三木家があります。三木家は、天皇が大嘗祭で着る麁服(あらたえ)の着物をつくっている一族です。四国に天皇の側近となるべき人を置いてきたのです。

四国は、「死の国」と言って、秘密があるのです。「四国には触るな」ということにしたのです。剣山にしても、不可思議なことがたくさんあります。四国の徳島には、電車が走っていません。地下鉄の電車もありません。

 次に九州へ向かったのですが、九州には蛮族が大勢いたのです。熊襲、土蜘蛛、隼人などです。九州は危険なので、九州は後回しにして中国地方へ向かったのです。出雲地方を通って、和歌山から奈良に入ったのです。それが徐福の考えたルートだったのです。

 四国から、出雲地方へ行き、出雲を恭順させて、和歌山から奈良を目指して、奈良で建国をしたのです。その建国名を「ヤマトの国」と言ったのです。

 ヤマトの国とは、「神の国」です。最初から、ハッキリしています。「ヤマトの国」とは、「ヤ、ウマトの国」です。「ヤ」とは、「ヤハウェ(Yahweh)」の「ヤ」です。だから、日本にはユダヤ人の風習が残っているのです。

 中国人が日本を征服したのではありません。ユダヤ人が日本を征服したのです。すると日本の歴史がわかってきます。日本を建国したのは、ユダヤ人だということをわからないように伏せたのです。

 だから、伊邪那岐、伊邪那美が初めてつくった島は、淡路島だったのです。最初につくった蛭子という島は流産してしまったのです。二回目につったのが淡路島です。それは、「何を物語っているのか?」というと、一回目に日本列島を回ったのは、調査が目的です。それは国を造るのが目的ではありません。だから初めの子供は流れたのです。

二回目に1万人の軍団の実力をもって淡路島に上陸して、奈良盆地にヤマトの国を建国したのです。

 ヤマトの国に建国したのは、神武天皇です。神武天皇がユダヤ人のジョセフ(徐福)であったというのが、僕の説です。

 「第二代の綏靖天皇は、どのような天皇であったのか?」というと、兄弟喧嘩をして、兄を殺してしまうのです。天皇の子供でありながら、自分の兄を殺して、第二代の天皇の地位を奪ったのです。

 南北朝時代に安居院澄憲の子孫によって編まれたとされる「神道集」というものに、そのようなことが書かれているそうです。綏靖天皇は、神武天皇が日向から連れてきた庶兄の(手研耳命(たぎしみみ みこと)を殺して、自分が天皇になったのです。

もっと恐ろしいことが書いてあります。綏靖天皇は、「兄を殺して皇位を乗っ取り、1日7人を殺して人肉を食べていた」というのです。

「これは一体どのようなことなのか?」というと、始皇帝の時代に返ってみると、中国は人肉食の国だったのです。満漢全席で中華料理をふるまうときには、人肉料理がでてきたのです。中国人にとって人肉料理は、当たり前のことです。宴会で堂々と人肉を食べていたのです。中国では、そのくらい人肉食は当たり前だったのです。

 孔子(紀元前552年―479年)は、始皇帝(紀元前259―210年)よりも、220年くらい前の人です。孔子は偉そうなことをたくさん書いていますが、孔子の大好物は人肉です。人肉の塩辛を醤(ジャン)と言ったのです。人間をサイコロサイズに刻んで、甕に入れて、塩を振って、2~3年付け込むのです。

 要するに塩辛です。醤(ジャン)は、塩辛と同じような味だったのだと思います。孔子は、醤(ジャン)が大好物だったのです。毎食ごとに醤(ジャン)を食べていたのです。醤(ジャン)がないと機嫌が悪かったのです。

 孔子は「今日は、醤(ジャン)がないじゃないか!」と怒ると、召使が「孔子様、今日は醤(ジャン)がありません」というと、そこに贈り物が届いたのです。開けてみると、孔子の大好物の醤(ジャン)だったのです。

 「これは上手いな」と孔子が醤(ジャン)を食べると、「孔子様、誰の醤(ジャン)だと思いますか?」と聞かれたのです。「誰の醤(ジャン)だ?」と孔子が聞くと、「貴方の十大弟子の顔回の醤(ジャン)です」と言われたのです。

 「うえ~、あの顔回が殺されたのか?」と言ったのです。それから、孔子は、ピタリと醤(ジャン)を食べなくなったのです。「孔子は人肉食を止めた」ということが、記録に残っているのです。

 始皇帝の時代も人肉食は、当たり前だったのです。ユダヤ人の徐福が日本に来て、天皇になったのです。その子供に人肉食の血が出てきたのです。神武天皇は人肉食などしていませんが、子供の綏靖天皇に人肉食が出てきたのです。

 綏靖天皇は、「人肉食は美味いのだ」とわかっていたので、1日7人を殺して食べたのです。それは何を食べたのかというと、肝を食べていたのでしょう。7人の人間の肉など食べられません。

 人間を殺して腹を裂いて、肝を取り出して食べたのだと思います。レバーならば、7人分でも食べられるのです。綏靖天皇は家臣に向かって「おい、今度はお前の肝を食べるぞ」というと、「うわ~、勘弁してください」と言って、逃げたのです。

 木の上に逃げた家臣もいたのです。「助けてくれ~」と言っているのに、綏靖天皇は、弓矢を持ってきて、射殺したのです。天皇が人肉を食べていたというのは、都合が悪いのです。

 「第二代綏靖天皇は、人肉を食べていた」というのは、事実だから書けません。古事記にも、日本書紀にもそのようなことは書かれていません。天皇と言っても、ロクなことをやっていない天皇もいたのです。

 第10代目の崇神天皇から天皇らしくなってきたから、「欠史八代(けっしはちだい)は存在しない」と言ったのです。ようするに「欠史八代(けっしはちだい)は、見なくてよい」ということです。歴史学者は、「欠史八代(けっしはちだい)の天皇は、ウソだ」と決めつけているのです。

 それは違うでしょう。欠史八代(けっしはちだい)の中にこそ、本当の日本建国の歴史があるのです。どうして「ヤマトの国と言ったのか、誰が建国したのか?」というと、ユダヤ人であるジョセフ(徐福)が建国したのです。

 この国を「ヤウマトの国」=「神の民の国」と名付けたのです。欠史八代(けっしはちだい)の中に真実が隠されているのです。

始皇帝の兵馬俑の兵隊の鎧を見るとわかりますが、日本の鎧とは違います。中国の鎧は、小札(こざね)という四角い金属を糸で縫ってつないで鎧をつくったのです。

 神武天皇の鎧は、小札でできていたのです。すると綏靖天皇は、「人間ではない、ウロコがあった」というのですが、ウロコというのが、小札の鎧を着ていたということです。すると、神武天皇から欠史八代(けっしはちだい)の流れがよくわかるのです。

 神武天皇は、中国式の鎧を着ていて、日本語の中には多くのヘブライ語がつかわれたのです。すると、日本建国の謎がよくわかるのです。誰がこの国を創ったのかというと、徐福です。始皇帝の親戚である徐福が日本を建国したのです。ユダヤ人の徐福が、神武天皇となり、ヤマト王朝を建国したのです。これが僕の推理です!

 

 

 

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