秦の始皇帝陵地下宮殿、3D復元図 日本語字幕付き
日本の歴史書は、古事記と日本書紀があります。古事記は和語を漢字で書かれていて、「いろはにほへと」を使っています。古事記に使われている漢字には意味がありません。音だけをとっているのです。
成立の経緯を記す序によれば『古事記』は、天武天皇の命で、稗田阿礼が「誦習」していた上述の『帝皇日継』と『先代旧辞』を太安万侶が書き記し、編纂したものです。
712年に古事記が編纂されて、それから8年経った720年に日本書紀がつくられたのです。これも疑問視されているのです。どうして、日本の歴史書が2つあるのでしょうか?
これは、不思議なことではありません。古事記は日本人のための歴史書ですから、外国は相手にしていません。外国から見ると「日本の歴史とはどんな歴史なのか?」と思います。外国に紹介するために日本書紀は漢文で書かれています。漢文は当時の世界言語であるから、漢文で書かれた日本書紀は、外国向けの歴史書だとわかるのです。
日本の歴史書である古事記にも、大きな謎があります。それは、「建国の謎」です。「日本の建国は、どのようにして行われたのか?」ということは、謎だらけです。未だにハッキリしたことはわかっていません。
古事記では、天照大神は、日本の神話に登場する主神です。高天原を統べる主宰神であり、皇祖神であります。これは、確かめようがありません。それが公的な歴史書に書いてあるのです。そのような伝承の中に真実があるのです。そのように僕は見ています。
僕は、日本はユダヤ人が創った国だと思っています。神武天皇が建国したヤマト王朝の「ヤマト」の、「ヤ」とは、ユダヤ語では「神」という意味です。「ウマト」とは、「民」という意味です。「ヤマト」とは、「神の民」という意味です。
「ヤマトの国」とは、神様が創られた、神の民の国家だという意味です。神武天皇が神の国を建国されたのです。これは、有名な話です。では、どのようにして日本の国が創られたのでしょうか? それは、わかっていません。
古事記によるとわかるのですが、古事記によらないとわからないのです。古事記とは、稗田阿礼が口伝したものを書いたのですから、本当かウソかわかりません。古事記は、天から天照大神が現れた話です。学者たちは、未だにわかっていません。
どうして、「ヤマトの国」と言われたのでしょうか? 「ヤ、ウマト」これは、何語なのでしょうか? それは、ヘブライ語です。神様のことをヘブライ語では「ヤー」と言います。ヘブライ語では、神の名前を「ヤハウェ(Yahweh)」と言います。
日本人は、神の民なのですから、「ヤマト」というのです。これを聞いたら、「なるほど」と思うでしょう。もうすでに日本の建国は、ヘブライ語が入っていたのです。
すると、ヤマト王朝は、今から2700年前に建国したことになっていますが、9代までの天皇は、いたのかどうかわかりません。だから、「欠史八代の天皇は、存在しなかった」と、歴史学者はいうのです。
欠史八代(けっしはちだい)とは、第二代の綏靖天皇から、第九代の開化天皇までは、実在の人物ではない」という話です。
「欠史」とは、「歴史からかけている」ということです。「欠史八代(けっしはちだい)は、フィクションだ」というのです。
そのように言っているから、日本の歴史は、2千年だと言っているのです。古事記の伝承から考えると、日本の歴史は2800年です。
まだ問題があります。神武天皇の没年齢は、137歳です。欠史八代(けっしはちだい)の天皇も長生きをしています。
歴史学者は「そんな長生きしているはずがないだろう。だから、これはウソの歴史だ」と言っているのです。第9代までの天皇は、架空の天皇だと言われているのです。
実際の日本の歴史は、第10代の崇神天皇から始まったのだという理屈です。現代の歴史学者は、皆、その説をとっているのです。「第9代までの天皇は実在しません」と言っているのですが、それはウソです。欠史八代(けっしはちだい)の天皇の中に本当の建国の謎が書いてあるはずです。
「建国の謎とは何か?」というと、「ヤマト王朝を建国した神武天皇は、何物だったのか?」ということです。それはユダヤ人だったのです。
秦の始皇帝は、今から2400年前の時代の人です。すると日本の建国と時代がピタリと合うのです。当時、中国を統一したのは、秦帝国です。秦が6つの国を滅ぼして、初めての統一王朝ができたのです。
兵馬俑からでてきた兵士の人形は8千体です。ところが、兵馬俑の規模は、8千体の人形だけではありません。兵馬俑の全体はまだ発掘されていません。5倍の規模の兵隊の人形がまだ土の中に埋まっているのです。恐ろしい規模です。
秦の始皇帝のお墓も発見されているのです。そこは、中国政府も暴かせません。始皇帝陵を暴くと、何がでてくるのでしょうか? 始皇帝陵には水銀の川が流れているのです。黄金でできた宮殿と空には星が輝いているのです。侵入者がいると、弓矢で殺す装置ができているのです。
それだけ秦の始皇帝には、権力があったのです。6つの国を征服して、統一政府を造ったのですから、巨大な権力を一人で握ったのです。
「この始皇帝は、何人なのか?」というと、ユダヤ人だと言われています。始皇帝は、漢人ではありません。ユダヤ人です。ユダヤ人の一族の中にいたのが、ジョセフです。ジョセフが徐福です。ジョゼフは、ユダヤ人の集団の中にいたのです。
このジョセフは始皇帝と親戚だったのです。始皇帝は中国全土を統一して、万里の長城を造り、「この中が秦であり、この外は化外の地だ」と言ったのです。始皇帝もまだ知らない国があります。
それが海を越えたところにある、蓬莱国です。蓬莱国は、不老不死の薬があるという伝説があったのです。「そこに誰をいかせるのか?」ということになり、徐福に白羽の矢が当たったのです。
始皇帝に「蓬莱国へ行って、不老不死の薬を取ってこい」と命令されて、徐福に何千名の兵隊を任せて、蓬莱山へ向かったのです。蓬莱山とは、日本のことです。第一回は、調査に来たのです。当時、日本地図などありません。
九州から本州を回り、北海道まで調査したのです。「何故、調査をしたのか?」というと、日本には豪族がいたのです。
徐福は、「我々は蓬莱山の不老不死の薬を探しています。貴方方と戦争するつもりはありません。そのような伝説がありませんか?」と聞いて回ったのです。
第一回目の調査では、日本列島をグルリと周回して、日本の地図を作ったのです。だから、「ここに徐福が来た」という伝説が、日本の全国各地にあるのです。九州の宮崎にも徐福伝説があります。青森県にも徐福伝説があります。「ここに徐福が来た」という伝説があり、「何をしに来たのか?」というと、蓬莱国の不老不死の薬を探しにきたというのです。
徐福は四国から周り、全国を回ったのです。ところが不老不死の薬があるはずがありません。ここが大事です。その証拠に秦の始皇帝は、本当に不老不死の薬を探していたのでしょうか? 「自分が死なない」と思ったら、自分のお墓など造りません。始皇帝は永遠に生きると思っていなかったのです。
だから、始皇帝陵を造り、兵馬俑には8千体以上の兵士がお墓を守っていたのです。ということは、自分が死ぬことを知っていたのです。永遠に生き続ける薬などありません。
始皇帝は自分が死ぬことを知っていたのです。自分が永遠に生きる薬などありません。それを知っていて、徐福を日本に送り出したのです。(②に続く)
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