宇宙の始めはどうであったのか? ② | 中杉 弘の徒然日記

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【量子力学と意識4】量子次元論。意識と肉体と波の関係。量子の世界は高次元説。すべては波である。

 

 

宇宙の始めはどうであったのか? ②

 

 僕の知り合いで、S君という男がいました。その男は、人をだまして借金を繰り返して町から、町へと移り住んでいた詐欺師です。詐欺をして逃げているので、元の町には戻れません。戻ったら、お金を借りた人からボコボコに殴られてしまいます。よい人生ではありません。S君は、そのような人生が好きで、そのような人生を歩んでいたのです。

 或いは、「生活保護を受けたいな、素粒子さん集まってくれよ」というと、生活保護を受けられる素粒子が集まってきて、そのような世界ができてくるのです。人間の想念によって、自分が望んでいる素粒子が集まってきてしまうのです。

 「私は美人だ」と思っている人は、美人になる素粒子が集まってくるのです。「私は皆に好かれているのだ」と思えば、そのような素粒子が集まってくるのです。

 この世界には、素粒子しかありません。素粒子の世界には、「私」などというものはありません。

 創価学会のオバチャンが、「私が、私が、私が、・・・」と言って、我(が)をパンパンに張って、いくら「私」を探しても、無いのです。そんなものはありません。この世界にあるものは、量子だけです。

 ただ、心の働きがあり、心が量子をひきつけるから人生が始まるのです。運がよい人も、悪い人も、運のままに生きていくのです。

 それに凡夫は気が付きません。「自分は、不幸の星の下で生まれて、不幸のままに動いている」と思っているのです。冗談ではありません。貴方が、不幸を呼んだのです。だから、考え方が大事なのです。

 不幸になる考え方が治らないと、どんなによい方法を教えてあげても、幸せにはなれません。

 仏教では、「無量義は一法より生じる」(無量義経)と教えられています。「無量の義」とは、太陽、地球、全ての生命を含みます。これらの全ての「無量の義」は、どうして一法から生まれたのでしょうか?

 「無量の義」の元になるものは、素粒子です。仏様から見ると、この世界は素粒子の世界にしか見えません。素粒子の中には、良い素粒子もあれば、悪い素粒子もあります。「悪い素粒子よ、集まれ!」という人は、暗い人生を歩んでいるのです。

 貴方は素粒子の存在です。私がもっている素粒子と、貴方がもっている素粒子は、同じものです。それなのに、「私は苦しい」「私は大変だ」などという、素粒子が集まってしまっているのです。だから、幸せになれないのです。

 不幸な男が「今度、結婚しよう」と思って、女性と結婚すると、もっと不幸になってしまうのです。もともと悪い運をもっているので、幸せにはなれないのです。運は存在するのです。

 良い素粒子を集めると、福運になるのです。素粒子が全世界を構成しているのですから、その人の考え方に素粒子が集まってくるのです。素粒子の主人は、自分です。良い素粒子が集まっているのか、悪い素粒子が集まっているのか、ということを反省して、考え方を変えていかなければいけません。

 まず、根本的な考え方を、明るくポジティブに変えることです。「私は何という幸せに恵まれた人生なのでしょうか。私は恵まれている。幸せなのだ。健康だ。お金もどんどん集まってくる。今はないかもしれないけれど、お金が集まってくる!」と思えばよいのです。

 そのように思わない人は、仕事をしません。「お金がどんどん集まってくる。早く集まっていらっしゃい」と思えばよいのです。

 このように人生を変えていかなければいけません。「私のようなものが」とか、「私ばかり損をしている」などと愚癡を言っている人は、良い素粒子は集まってきません。悪い素粒子が集ってきて、どんどん不幸になってしまうのです。

 それから、「あの人はいいわね」と、人を羨んでもいけません。自分のことを「幸せだ」と思えない人は、永久に幸せにはなれません。不幸になる素粒子が集ってしまうのです。

 これに気が付くことが、非常に大事です。人間の想いに素粒子が寄ってくるのです。「私は幸せだ」と思っている人には、幸せな素粒子が集ってくるのです。「私は不幸だ」と思っている人には、不幸な素粒子が集まってきてしまうのです。すると、本当に不幸になってしまうのです。

 この世界には、何もありません。自分で集めている素粒子で、人生を生きているのです。幸せの幸福列車など、あるわけがありません。そんなものは、どこにもありません。「ポッポー」と幸福列車が走ってきて、「あれに乗ったら、幸福になれる」というものはありません。

 何もありません。ただ、思いだけがあるのです。その思いによって、素粒子が集まってくるのです。それがわかって、仏道修行をしていくと、人生が変わってくるのです。「私は不幸など呼んでいない。幸せになる素粒子さん、集まってください」と思えば、人生は変わるのです。

 まさに仏陀の言われている通りです。「無量義は一法より生じる」(無量義経)です。「無量の義」は、一法からでてくるのです。「その一法は、何ですか?」と言うと、妙法です。どこにも我(が)は、存在しません。妙法しかありません。この世界には、何もありません。

 ただ、思いだけがあります。我(が)を捨てなければ、幸せにはなれないのです。「私の我(が)を達成する」「私の想いを達成する」などという考え方は、くだらない考え方です。そんなことは、どうでもよいことです。

 この世界には、素粒子しかありません。その中から自分で幸福な素粒子を選び取るのか、不幸な素粒子を選び取っているのかは、貴方次第です。これが、わかると自分の思い込んでいた人生観とは、全く違う人生観です。

 そのように考えている人はいません。普通の人は、運命のままに生きているのです。「私はさあ、このような運命だからうまくいかないのよ」と、愚癡が出るのです。愚癡が出るから、人を恨むのです。人を恨むから、益々不幸な素粒子が集まってくるのです。

 その繰り返しをずっとやっているのです。不幸を断ち切るには、「私は幸せになるのだから、幸せな素粒子が集まってくるのよ」と思えば、そのようになってくるのです。

 その目を養うのは、仏法です。仏法でなければ、養うことはできません。「何が幸せで、何が不幸になるのか?」ということを、きちんとわかっていかなければ、幸せになることはできません。

創価学会員を見ればよくわかります。学会員は、故・池田大作によって、「我(が)をパンパンに張って祈りを叶えるのだ!」と教わっているので、池田大作が死んでも、その考え方は抜けません。

学会員はどこまででも我(が)を張っているので、正しい意見は受け入れません。学会オバチャンに僕が書いた『池田大作の七つの大罪』を読ませて感想を聞くと、「これは真実かどうかわからない」と言うのです。

学会員は、我(が)をパンパンに張って、ウソをつきとおすので、ウソつきの素粒子が集まってきてしまうのです。ウソつきの素粒子が集まると、ますます不幸になってしまうのです。創価学会員には、ウソつきの量子が集まってきてしまうのです。

世界は量子(素粒子)からできているということを、理解していかなければいけません。

 

 

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