『成吉思汗=義経だったこれだけの理由』① | 中杉 弘の徒然日記

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『成吉思汗=義経だったこれだけの理由』①

 

 僕の書いた『成吉思汗=義経だったこれだけの理由』は、2008年に出版した本です。

 最近になって、電子ブックが少しずつ売れています。まあまあ売れているので、嬉しく思っています。皆さん、ありがとうございます。

 「義経=ジンギスカン説」を最初に唱えたのは、シーボルトです。シーボルトは、オランダの医者です。シーボルトは、江戸時代に日本に来日して、日本の歴史を研究していて、「ジンギスカンは、日本人ではないのか?」と言い出したのです。

 「義経は、ジンギスカンではないのか?」と言い出したのは、シーボルトです。そのように言われても、学会ではその話はしかとされたのです。

 その他には、『ジンギスカンの秘密』高木彬光著や、『成吉思汗ハ源義経也』小谷部全一郎著などがありますが、多くの人が疑問に思っていたのです。この源は、シーボルトです。

 シーボルトが日本の歴史を調べてみると、「過去に英雄がいたのだが、その英雄とは、源義経である」ということです。義経は、30歳で死んだことになっていますが、詳しく調べてみると、義経の死因はハッキリとしていません。

 兄の頼朝は義経を京都へ来るように、藤原家に対して、何度も手紙を書いたのです。そこで、謎があります。源義経は、衣川の館で奥さんと共に自殺をしたことになっています。誰かが死体を確認しなければいけません。「義経を殺したら首を送れ」というのが、頼朝の命令です。

藤原家は、「義経を殺して首を出しだします」ということで、鎌倉に義経の首を送ったのですが、40日以上かかっているのです。

 当時、首を送るときには、腐らないように塩漬けにしたのです。塩漬けにすれば、そうとうヒドイ腐敗はありません。ところが、藤原家は40日以上たって腐敗している義経の首を送ったのです。

 奥州平泉から首を送るのに、40日以上もかかるはずがありません。せいぜい15日、伸びたとしても20日あれば十分です。どうして40日もかかったのでしょうか?

 頼朝は、到着した首を見て「これは、義経の首ではない」と言って、鎌倉の海に捨てたのです。頼朝は義経の首だとは、思っていなかったのです。

 「義経は、ジンギスカンであった」という説は、興味深い話です。これは、世界的な大ニュースです。「世界的な大帝国を築いたジンギスカンは、日本人だった」と言うと、世界史が変わってしまうのです。

ジンギスカンは、東ヨーロッパのキリスト教国まで支配したのです。ジンギスカンは、「俺に従う者は、助けてやる。従わない者は、皆殺し(genocide)にする」と言ったのです。「従う」ということは、男は殺されて、女子供は奴隷です。女は犯されて兵士に与えたのです。

 ジンギスカンの有名な話があります。ジンギスカンが、「お前たち、最高の快楽とは何か?」と、部下に訪ねます。部下は、「美味い酒を飲み、肉を食らい、女を犯すことだ」と言ったのです。

 ジンギスカンは、「俺の楽しみは、領土を奪い、泣き叫ぶ女を亭主の前で犯すことだ。これが人生の最大の楽しみだ」と言ったのです。ジンギスカンは、そのような激しい性格だったのです。事実、モンゴル人の子孫は、ロシア、アジア、東ヨーロッパまで広がっているのです。

 

チンギス カーンは、12 世紀後半から 13 世紀初頭にかけて、モンゴル帝国を太平洋からドナウ川まで拡張し、征服の途上で無数の血なまぐさい戦場を残して、驚くべき遺産を残しました。 現在、推定16万人がチンギス・ハーンの子孫です。

2003年にアメリカン・ジャーナル・オブ・ヒューマン・ジェネティックスに発表された研究では、モンゴル人の遺伝的遺産に関する研究で、世界の男性の0,5%がチンギス・ハーンの遺伝子を持ち、彼の古い領土に住む男性の8%がチンギス・ハーンの遺伝子を持っていることが判明した。染色体も同じです。

ジンギスカンには何人の子孫がいますか? - ベトナム.vn (vietnam.vn)

 

 ジンギスカンの紋所は、源氏の笹竜胆と同じです。何故、源氏の紋所を使っているのでしょうか? 

 そして、ジンギスカンの旗は、9本の白旗です。源氏の旗は、白旗です。義経も、9本の白旗を立てたのです。それが一緒です。

 違う箇所もあります。ジンギスカンは、大男だったと言われています。義経は、日本人ですから、そんなに大きくありません。ジンギスカンは、皆の前に出てきません。弁慶をジンギスカンだと勘違いした人が、「成吉思汗は大男だった」と言っている可能性があります。

 ジンギスカンの名前は、「ジンギスカン=源義経(ゲンギケイ)」です。戦法も一致しているのです。罠に追い込んで敵を討ち取るのです。それが、ジンギスカンの得意技です。義経は鞍馬寺で兵法を学んでいます。教養ある武将だったのです。

 義経は、敵を追い込む場合、二手に分かれて敵を谷に追い込んで討ち取ったのです。このような戦法を使ってきたのです。

 結果論では、モンゴルの力士は強いのです。相撲は、義経が教えたのでしょう。モンゴル人は、実にきれいな日本語をしゃべります。

 朝鮮人のように「カラシのコップでピールを飲むよ」とは、言いません。朝鮮人は濁点が言えませんが、モンゴル人はスムーズな発音で日本語をしゃべります。それだけ文化が近いのです。

北海道に行くと「判官様」の伝説が残っているのです。判官様とは、義経のことです。「九郎判官義経」と言ったのです。今でも北海道には、義経神社があります。

 どうして義経の神社があるのでしょうか? それは、義経が北海道に渡ったということを意味しています。

 義経は、どのような経路をたどったのかというと、奥州平泉から、太平洋の海沿いを歩いて北海道に渡ったというのです。「ここに義経様が来ました」という場所には、お土産を置いていったのです。

 源義経は、青森の龍飛崎から、船を使って北海道に渡ったという伝説が残っているのです。義経が泊まった場所には、お礼の品が残っているのです。北海道に渡るまでに10日間くらいかかっているので、泊まった家にお礼の品を残していったのです。「弁慶が背負った葛籠(つづら)があります」と言っているのです。

 義経が死んでいなかったことは、わかりましたが、どうやって北海道にわたったのでしょうか? 鎌倉から追手がやってくるのですから、偽物を置いていったのです。義経の役割をするおとりがいて、太平洋上を北に進みながら、いろんな品物を置いていったのです。泊まるごとにお土産を置いていったのです。

 鎌倉から来た追手は、「義経はどこに逃げたのだ?」と平泉へ行くと、「東北へ逃げた?」ということです。追手が行くと、「ここに義経がお礼の品を置いていきました」と言えば、それは偽装だとわかります。

 証拠品を太平洋沿いに置いていっているのです。逃げる人間が品物を記念に置いていくのでしょうか? そんなことは、あり得ません。本当の義経は、どちらに行ったのでしょうか? 

 義経は、秋田県の十三湊に行ったのです。太平洋上に進むのではなくて、日本海側に進んだのです。義経がたどり着いたのが、十三湊です。十三湊には、安東水軍がいたのです。それが藤原氏の親戚だったのです。奥州には、十三湊に通じる奥大道ルートがあったのです。これは、鎌倉や西日本にいる鎌倉幕府や朝廷側には、知られていないルートでした。

 安東水軍の先祖は安倍貞任です。安倍貞任の次男の高星丸が安倍を改め「安東」と名乗ったのです。(安倍貞任→安東→秋田となります)
 十三湊の始まりは十三左衛門尉藤原秀栄(とささえもんしょうふじわらひでひさ)が、十三領主安倍氏季(うじすえ)の養子に入り、十三浦に開港したことがきっかけとなっています。
 平泉と十三湊の交通は、厨川(くりやがわ)から七時雨山(ななしぐれさん)をかすめ、鹿角(かづの)で奥羽山脈を越え、比内(ひない)から津軽平野へ抜け、陸奥湾に臨む外ケ浜を通って、津軽半島を北西に抜ける奥大道が利用されたのです。史実では、外ケ浜と十三湊のルートを隠そうとしていますが、奥大道ルートで平泉と十三湊は結び付いていたのです。(②に続く)

 

 

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