『成吉思汗=義経だったこれだけの理由』② | 中杉 弘の徒然日記

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義經 鎌倉幕府慶典白拍子 靜御前(石原里美飾)

 

 

『成吉思汗=義経だったこれだけの理由』②

 

 安東水軍は、安倍貞任を祖にして、次男の高星丸が安倍姓を改め「安東」と名乗ったのです。安東水軍は十三湊に拠点を置いて、中国から天竺まで貿易を行い、船は200艘以上もっていたのです。

世界中と交易していたので、もちろん大陸の情報、アイヌの情報もすべて安東水軍に入ってきたのです。義経はしっかりと海外の情報を安東水軍から学んでいたので、大陸へ渡る場合、どこに上陸したらよいのかもわかっていたのです。

 義経一行は、北海道へ行き、兵を募ったのです。千人くらいは兵隊ができたのです。北海道では、「判官さま」と言われて尊敬されたのです。判官とは、裁判官という意味です。

 北海道で兵隊を募り、十三湊から船でアムール川を上ったのです。すると、土人がいたのです。「アムール川を上るとどうなるのか?」ということは、安東水軍は交易をしていたので、わかっていたのです。

 アムール川から大陸に上陸すると、北にはモンゴル平原があります。そこには、モンゴル人の部族がいたのですが、一つの部落に20人くらいの人数がいたのです。20人くらいの村をつくり、村長がいたのです。

 安東水軍から聞いて、そのような情報は知っていたので、「モンゴルの部落を攻めるぞ!」と思って、義経は攻めたのです。モンゴル人など一発で攻められます。モンゴル人は、本も読めないし、戦術も知りません。

 ただ羊の草を求めて移動していた民族です。兵法を知っている武将から見たら、一発で家来にできます。義経は、一挙にモンゴルを制圧したのです。

 義経は「どこから来たのですか?」と、モンゴル人から聞かれて、「先祖は天神(テムジン)だ」と答えたのです。百田尚樹さんは、週刊新潮の連載で、「モンゴルには、王族がいた」と書いていますが、それはあり得ません。モンゴル人には、字もなければ王族もありません。20人くらいの集団で住んでいて、部落を形成していたのです。その辺は、外れです。

 僕が書いていることが、当たっていると思います。ジンギスカンが死んで、お墓に埋葬されたのですが、そのお墓はまだ発見されていません。おそらく、ジンギスカンの墓を開けると、日本の鎧がでてくるのです。

 それを必死で隠して、「ジンギスカンの墓は、わからない」と言っているのです。そんなはずがありません。ジンギスカンは、英雄ですから、墓くらいわかっているのです。その墓をあばけばよいのです。国家で発掘調査をやれば、ジンギスカンの墓は、すぐに見つかるでしょう。

 ジンギスカンの墓をあばけば、日本の品物が、ザクザクと出てくるのです。鎧もあれば、日本刀もあるはずです。

 そして、ジンギスカンは、65歳で亡くなっています。臨終の際に残した言葉(辞世の句)が「我、故山に帰りたし」です。故山とは、故郷という意味です。ジンギスカンは、「故郷である日本に帰りたい」と言ったのです。

 義経が京都にいた時の恋人が静御前です。「吉成りて水干を思う」の意味は、「吉野山にいる水干を着た恋人の静を思う」です。水干とは、男子の平安装束の一つです。これは、踊り子の衣装です。これが、成吉思汗(ジンギスカン)の名前です。

 義経は、子供の頃に鞍馬寺にいたのです。鞍馬寺では、静御前の命日9月15日に、義経の命日として法要を行っているのです。

 謎が多すぎるのです。「義経は、ジンギスカンである」という説は、謎、謎、謎だらけです。もっと不思議なことがあります。ジンギスカンの敷いた税制は、源氏のやり方と同じです。

 源氏の武将は、敵から何を奪ってもよいのです。奪ったものの二割を兵隊に与えたのです。八割は源氏に差し出すのです。ジンギスカンの造ったモンゴル帝国も、同じような税制を行ったのです。それは鎌倉幕府の税制とそっくりです。面白いでしょう。

 この話は、これだけで終わりではありません。まだあります。新選組の土方歳三が、函館の地で消えました。蝦夷共和国と新政府軍の最後の戦争で土方歳三が、馬に乗ってきたのです。門の外に兵隊を出して、「俺は入り口で待っている。逃げ帰った者は、斬る!」と言ったのです。

 土方歳三は、刀を抜いて「逃げ帰った者は、斬る!」と言うのです。新選組の鬼の副長ですから、兵隊は逃げ帰れません。「では、前に進むしかない」と思って、兵隊は前に進んだのです。

 箱館戦争は、蝦夷共和国が新政府軍に負けてすぐに終わったのです。「土方歳三は、鉄砲に撃たれて死んだ」という話ですが、その話はウソです。土方歳三の死体があがっていません。「鬼の副長が鉄砲で撃たれて死んだ」という情報はありますが、現場に行ってみると、土方の死体はありません。遺体はどこに行ったのでしょうか?

 これは、歴史常識論で考えれば、すぐにわかるのです。新選組の副長土方歳三は、蝦夷共和国の陸軍奉行です。土方が北海道にいた時は、隣の家は海外の交易を儲けた商人の家だったのです。だから、土方歳三は、大陸の情報を知っていたのです。

 最後の戦争で「俺はやられるな」と思ったのでしょう。榎本武明は、外国帰りで、最新の知識もありますから、生かされるでしょう。「俺はやられる」とわかっていたのです。すると、どうするのでしょうか?

 「俺は逃げるぞ」と思ったのでしょう。土方歳三は、よく逃げてきたのですから、逃げることは平気です。そう思って、部下にいいつけて、「俺はここで死んだことにしろ」と言いくるめて、船に乗って大陸へ渡ったのです。

 ただし、その場合は、決意があったのです。「俺はここまで戦ったのだから、もう二度と、日本には戻らない」という決意があったのです。「俺はロシアへ行く」と決めたのでしょう。

 土方歳三は、34歳です。まだ若く、やり直しのできる年齢です。新しい人生を選んだ場合は、土方歳三の名前は永久にでません。ロシア人になってしまうのです。

 これは、信ぴょう性の高い説です。どうして土方歳三の遺体がないのでしょうか? 「ここで戦死した」と言っているのに、遺体はみつかっていません。

 西郷隆盛もそうです。西郷さんの首を斬ったのですが、遺体も出てきません。首を斬って持ち去ったのです。では、首のない死体が城山にあるはずですが、遺体はありません。未だに見つかっていません。西郷さんの遺体は、どこへ行ったのかわかりません。このようなことを探求すると、ミステリーがたくさん出てくるのです。

 そのようなわけで、『成吉思汗=義経だったこれだけの理由』は、電子ブックで売れています。非常にうれしく思っています。

なにしろ、僕の本は全て面白いです。「どのように面白いのか?」というと、僕の歴史の見方は、「歴史常識論」です。常識で考えて、歴史を見ると、奇想天外なことはありません。

 土方歳三の遺体はみつかっていないのですから、「死んだ」というほうが、おかしいのです。「土方歳三は、どこかへ行ったのだ」と考えるほうが普通です。「歴史常識論」で解釈すると、様々なことがわかってきます。ほとんどの歴史がわかってしまうのです。

 百田尚樹さんも蒙古の歴史を書いていますから、僕の本に興味をもってくれているのだと思います。

 もっと有難いことに、田中英道先生は、やはり義経はチンギス・ハーンだったという本を出されています。これも売れると思いますが、僕の本も読んでくださいね。

 

 

※この本が売れています!

 ぜひ、読んでくださいね!

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