間もなく終戦記念日です。 ① | 中杉 弘の徒然日記

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間もなく終戦記念日です。 ①

 

間もなく終戦記念日ですが、日本は終戦したのではありません。日本は、敗戦国です。どうして「終戦記念日」などというウソを言うのでしょうか?

 戦後は、GHQがガッチリと実権を握り、教育改革、華族改革、地主改革など、あらゆる改革を行ったのです。改革が終わると、皇族を減らしたのです。貴族議員をなくして、参議院議員にしたのです。日本の政治システムを変えて、滅茶苦茶なことをやってきたのです。

その極めつけが、憲法を押し付けてきたのです。どうして、GHQは日本に憲法を押し付けてきたのでしょうか? 当時の人達は、この憲法に反対したのです。こんな憲法をつくられたら、日本は侵略されるがままです。それに対して逆らうことのできない憲法です。

日本政府は、憲法第9条に対して反対したのです。その時にGHQは、「もし、この憲法を通さないと、天皇を処刑する!」と言って脅したのです。この脅し文句があったのです。これに対して日本政府の側は誰も文句が言えなくなってしまったのです。憲法に反対すると、「天皇を処刑するぞ!」と言うのです。

武田邦彦先生が最近、言っていることがあります。それは、「戦争と虐殺の違い」です。「戦争はいくらやっても構いません。その代わり、戦争をやりたい人間は軍服を着なさい」と言っているのです。

軍服を着ていないのは、市民です。市民の虐殺はしてはいけないことになっているのです。敵国の兵隊をいくら殺しても罪にはなりません。そのように武田邦彦教授は言われています。

では、虐殺とは、一体なんでしょうか? 戦争の意志のない武器を持たない市民を殺すことです。これを虐殺というのです。

ハーグ陸戦条約では、明確な区別がされています。「これは、戦争なのか、虐殺なのか」ということがきちんと分けられているのです。

戦争はやりたい者同士でやればよいのですが、市民は殺してはいけません。国際法には戦争の規則がかかれています。「これ以上、戦闘はできない」と思った人が白旗を掲げて、「私たちは捕虜になります」と言ったら、これはもう戦闘要員ではありません。捕虜は殺してはいけません。捕虜を殺したら、虐殺です。

戦争はお互いの国の意見がぶつかるのですから、やむを得ません。戦争での攻撃対象を明確にしなければいけません。武田邦彦教授も「戦争はいくらやってもいいのです。どんどん殺し合いをすればよいのだ」と言われています。戦争をするのは、国同士のかってですが、市民まで巻き込んではいけません。捕虜は、人道的に扱わなければいけません。捕虜の虐待は一番罪が重いのです。

ところが、アメリカ人は、国際法など守りません。全ての戦争で、背後を襲うのです。正義の戦いなどありはしません。アメリカがやった最初の虐殺は、インディアンの虐殺です。インディアンを1億人も殺したのです。

「1億人も殺せるのか?」と疑問に思う人もいるかもしれませんが、「100年間に1億人のインディアンを殺した」ということです。10年間で10万人殺していたら、100年間で1億人を殺すことはできるのです。

アメリカに最初に到着した白人は、プロテスタントです。プロテスタントは、カトリック教会に虐殺されてきたのです。102人がメイフラワー号に乗って新大陸へ逃げてきたのです。新大陸へ到着すると、食べ物もなく、半数の白人は餓死したのです。

そんな白人を気の毒に思って、インディアンは白人たちにご飯を食べさせてあげたのです。それで生きのこった白人のプロテスタントは、餓死を免れたのです。2年目になると、インディアンの助けを借りて自分達で作物を収穫できるようになり、感謝祭を行ったのです。今でもアメリカの白人は、「感謝祭」を行っています。それは、メイフラワー号のプロテスタントの白人が新大陸で生き延びることができたお祝いです。

メイフラワー号が到着してから、ヨーロッパにいるプロテスタントが続々とアメリカ大陸に逃げてきたのです。西部開拓時代に入ると、幌馬車に乗り西部を目指したのです。その途中でインディアンが畑で作業をしていると、「おい、あれはインディアンだ」と言って、ダーンと銃で撃つとインディアンは、コロッと死んだのです。

「俺もやりてえ」と言って、「バーン」と銃で撃って、インディアンを面白がって殺したのです。白人は西部に向かうにつれて、インディアンを殺しだしたのです。目的は、インディアンの土地を奪うことです。

そのうち、インディアンと白人は、本格的な戦争になってしまったのです。インディアンは、銃などもっていません。弓矢とライフルが戦ったら、まるっきり敵いません。インディアンのアパッチは勇敢だったのです。西部劇では、インディアンが白人の幌馬車隊を襲ったことになっていますが、事実は逆です。幌馬車隊は、インディアンの村へ行って、虐殺したのです。

村に残っていたインディアンの女、子供を虐殺したのです。これがアメリカ人の戦争のやり方です。背後を襲うのです。日本もそれでやられたのです。「無辜の市民を殺してはいけない」と国際法には書いてあるのに、カーチス・ルメイのやったことは、日本人の市民の大虐殺です。

アメリカは、日本の町の模型を作り、「どうやったら、木造の家を効果的に燃やすことができるのか?」という実験を行ったのです。東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲、福岡大空襲をやって、市民を皆殺し(genocide)にしたのです。それだけ、日本人が怖かったのです。

白人は日本人が怖かったのです。硫黄島の戦いを見てもわかります。多くの艦船を従えて、11万人の軍隊で硫黄島を取り囲んだのです。その戦いは、どうなったのでしょうか? 結果は、日本軍の死傷者(19,900人)の数のほうが少なかったのです。米軍の死傷者(26,038人)の数のほうが多かったのです。あまりにも、激戦のため、多くの米軍の兵士には、ストレス症候群(2,648人)に陥ったのです。

アメリカは、「本土決戦になったら、米軍の兵士が何百万人も死ぬ」ということを計算したのです。日本軍は長野県の松代に大本営を移して、「徹底的に戦えば、米軍に勝てる」とふんだのです。それは、勝てるでしょう。

日本軍は、300万人の兵隊が無傷で残っていたのです。塹壕戦で地下に潜ってしまえば、米軍は攻撃のしようがありません。日本軍は、本土に飛んでくる米軍の飛行機を、何百機も撃ち落としたのです。やろうと思えば戦争は、まだやれたのです。

アメリカは本土決戦を恐れて、徹底的に絨毯爆撃を行ったのです。東京、大阪、名古屋、横浜も火の海にしたのです。それでもまだ日本人が恐ろしかったのです。(②に続く)

 

 

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