三島由紀夫と国家論 ② | 中杉 弘の徒然日記

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1969年、カナダのテレビ局による、三島由紀夫の貴重なインタビュー

 

 

三島由紀夫と国家論 ②

 

 『葉隠(はがくれ)』では、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」と、ズバリと言っています。武士道とは、「どのように生きるのか」ではなく、「どのように死ぬのか?」ということです。

 台湾の総統であった、李登輝氏は、日本だった頃の台湾に生まれ、京都帝国大学で学び、武士道がなくなった日本を憂いていました。

「死」の立場に立ってみると、「死」というものは、何でもありません。三島由紀夫先生は、「生きるも、死ぬも、俺が握っている」と考えたのです。普通の人が「死ぬ」ということは、寿命は神様が握っているのです。自分の意志で「死」は、自由にはなりません。

三島先生は、自分の意志で自由にできない「死」というものを、自分の下に置いてしまったのです。「死ぬのが怖い」と逃げていないで、「俺は死の上にいるのだ。生きるか、死ぬかは、俺が選ぶのだ」ということです。これが、三島由紀夫先生の文学の根本です。

「死というものを見つめることによって、人間は生死を克服することができるのではないか?」ということが、三島先生の最終的なテーマだったのだと思います。死というものを自分の下に置いたのです。「老衰でいつ死ぬのかわかならい」というのではなくて、「いつ死ぬのかは、自分が決める」ということです。

「死がいつくるのか、わからない」というのは、恐ろしいでしょう。自分の下に死を置いてしまえば、恐ろしくもありません。そんな問題は簡単なことです。「俺のほうから、死んでやるよ」ということです。

その心境は、すごいものです。そのような心境になるために、文学作品を書き、体を鍛えて、武芸をやって、自衛隊に入隊して、楯の会をつくり、割腹自殺までやって、それを完結させたのです。

割腹自殺とは、「自分の首を斬り落とす」ということです。首を斬られて「怖い」と思ったら、そんなことはできません。それを怖がらなかった人が、吉田松陰です。「早く首を斬りなさい!」と言われたのです。日蓮大聖人様も、そのように言われたのです。偉人は、死を恐れません。

「死」などとうものは、小さいものです。永遠の生命から見ると、そのように言えるのです。「早くやってください。まだ首を斬らないのか? 早くやってよ!」という心境です。そのような心境になると、「死」は軽いのです。

そのためには、「死ぬ大義」とは何でしょうか? 「自分は何のために死ぬのか?」という大義をもっていなければなりません。「自分が生きるか、死ぬか」ではありません。自分は何のために死ぬのでしょうか? 

そのためには、死の大義が必要です。死の大義とは、「何のために死ぬのか?」ということです。「自分が生きるか、死ぬのか」ということではなくて、「何のために死ぬのか?」ということです。

三島由紀夫先生の理論から言うと、「特攻隊の青年は、もっとも幸せだった」と言えるのです。現実は、どうだか知りません。三島先生は、観念論として、そのように思ったのです。

一番肉体が丈夫で、一番輝いているときに、大義をもって国家のために死ぬのですから、「これは、最高だ。まさに生命の充実感を感じたのではないだろうか?」と思ったのです。

そのことが、三島由紀夫先生の自衛隊乱入事件に絡んでいるのです。制服を着て、軍刀を下げて、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の正面玄関から堂々と入っていったのです。すると、門番が、「先生、どこに行くのですか?」と聞くと、「本部に用があるのだよ」と答えたのです。「先生、お腰の軍刀は、何ですか?」と聞くと、「これは指揮刀だよ、君。ウワッハッハッ」と笑ったのです。

三島由紀夫先生は、「これは、指揮刀だ」と言うのですから、門番は何も言えなくなってしまったのです。そこにこそ、人生の最大の生きがいを感じたのです。「俺は死ぬのだ。もはや、警察など関係ないのだ。俺は国家の使命のために死ぬのだ」と思って割腹自殺をしたのですから、気持ちよかったのです。

周りに、配慮などしません。普通は、「こんな軍刀で斬りつけたら、懲役3年かな」と考えるのですが、そんなことは一切、関係ありません。「俺にはそんなことは関係ない。俺はまっすぐに行くのだ」ということです。

三島由紀夫は、総監室に乱入して8人の自衛隊員を斬りつけたのです。やりたいことをやったのです。最高です。何の憂いもありません。それが三島由紀夫先生の生き方であり、死に方です。

東大全共闘の討論会では、「三島先生は、暴力を肯定するのですか?」と聞かれたのです。三島由紀夫は、「君、僕は暴力は肯定するよ」と言われたのです。それなのです。

三島先生の「暴力を肯定するよ」という言葉は、どこから出てきたのでしょうか? すべての国家は、暴力から成り立っているのです。国家というものは、暴力から成り立っているのです。

国家を創る最初は、必ず暴力です。平和に話し合って、「国家を創りましょう」と言って、国家ができたのではありません。話し合いで創られた国家など、一つもありません。全ての国は、革命により、武力によって、大王を殺して自分が天下を取ったのです。

最初から暴力です。国家があるということは、暴力で創られたわけで、暴力によって国が治まっているということです。

「我が国は、2800年の歴史がある」ということは、日本は過去に大きな暴力があり、国家ができたのです。そのような基本は、もう動きません。

国家の中に暴力団ができて、チョロチョロと暴力を使う団体はでてきますが、国家の基本は暴力です。これがわからなければいけません。

だから、暴力のない国家などありません。暴力があって、始めて国家です。そこに悠久の大義を見出すことが、生き甲斐になるのです。これは、文学的な生き甲斐です。文学的な要素をもった生き甲斐であり、平和論ではありません。

「平和的に話し合いで解決するだと? 何を寝言を言っているのだ。この世界の基本は暴力だぞ」ということです。それが、三島由紀夫先生の暴力論です。そこから、三島由紀夫先生は暴力を認めているのです。

全共闘の連中から、「三島先生は暴力を認めているのですか?」と聞かれて、三島先生は「君、僕は暴力を認めるよ。世界は暴力から成り立っているのだ」と言われたのです。これが、すごい見識です。世界は、暴力から成り立っているのです。国家は暴力の上に創られているのです。、今回は、三島由紀夫論のほんの少しを書いてみました。

 

 

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