三島由紀夫と国家論 ① | 中杉 弘の徒然日記

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三島由紀夫 - 檄

三島由紀夫と国家論 ①

 

 世界的な文豪である三島由紀夫先生は、素晴らしい先生です。どの本を読んでも、スッキリとします。『太陽と鉄』は、素晴らしいエッセイです。『豊饒の海』四部作、その他、『文化防衛論』もあります。

三島由紀夫先生が、一貫して言っていることがあります。三島由紀夫先生は、文士でありながら、体を鍛えたのです。それは、芥川賞を受賞した作家や、谷崎潤一郎などは、着物を着て、猫背で貧弱な身体をしています。やることは、酒を飲んで、エッチなことをやっているのです。谷崎潤一郎は、その連続です。そのような文士が多いのです。

 しかも、太宰治、芥川龍之介、川端康成は自殺したのです。なぜ、文士は自殺するのでしょうか? 文士は非常に退廃的です。行くところもないし、着物を着て家の中にずっと座っていて原稿を書いているのです。暇だから、女が来ると手を出していたのです。そのような生活です。

 文士は、退廃そのものです。三島由紀夫先生は、それが嫌だったのです。「何故、文士の身体は痩せ衰えて、力がないのか? 私は反対の道を選んでみたい。文士であることは、事実であるから、体を鍛えてみたい」と思ったのです。

 このようなことを思う文士はまずいません。「文士は、痩せていて、才能だけだ」と思われていたのです。三島由紀夫先生は、「瘦せ衰えた文士は嫌だ。体を鍛えてみたい」と思って、ボディービルをやりだして、そうとうな自信ができてきたのです。それから、ボクシングをやりだしたのです。

 それから、剣道もやりだしたのです。その頃、「剣道五段になることが、私の願いだ。何もやることがなくなったら、田舎に剣道道場をつくって、剣道に励む」と言っていたのです。それは、「剣道が気に入った」ということでしょう。

国立競技場で汗をながしながら走ったのです。これをつづった小説が『太陽と鉄』です。

 その他、現実的な問題として、自衛隊に体験入隊をしたのです。三島由紀夫先生は、1年くらいの期間、体験入隊をしたのです。普通は、数カ月で終わりです。三島先生は、徹底的にやって、自衛隊の諸君と同じように荒野の中を駆け回ったのです。そこで、自衛隊の諸君と一緒に汗を流したのです。「これくらい満足のいく人生はなかった」と本人も言っていたのです。

 三島由紀夫先生の思想は、一体どのようなものなのでしょうか? 文学というものは、生命を貴び、「生きることを明らかにしよう」ということが、一つの文学的な意味なのです。

 「自分の人生をどのようにしたら、素晴らしい人生にしていけるのだろうか?」と思って、文学の道に入るのです。それがいつの頃からか、途中で「死」の方向へ向かってしまうのです。それと同時に「暴力」というものに、人間の本源的なものを見てしまうのです。

 聖セバスチャンというキリスト教徒が磔になり、弓矢を射られて死ぬという絵を少年の頃、見たのです。聖セバスチャンは、3世紀の頃、ディオクレティアヌスのキリスト教迫害で殺害されたキリスト教徒です。

ディオクレティアヌス帝は、セバスチャンがローマ帝国を裏切り、キリスト教徒を支援したことを責めたのです。そして、皇帝はセバスチャンを草原へ引き立てるよう命じて、杭に縛り付けると、弓の射手たちが、まるで針でいっぱいのハリネズミのように、多くの矢が突き刺さるまで射続けたのです。

聖セバスチャンにハリネズミのように矢が刺さった、その絵が衝撃的で大人になってもぬけなかったので、1988年に『聖セバスチャンの殉教』という本を書いたのです。三島由紀夫先生は、そのようなところに興味があったのです。

 すると、三島先生こそが本当の文学者です。文学者というものは、生を扱い、死を扱い、芸術を扱い、想像を扱うのです。三島先生の文学には、この4つのテーマが入っているのです。

ところが、多くの文学者は、「死」の方向に向かってしまうのです。青白い顔をして原稿を書いていると、精神が病んでくるのです。

三島先生は、それを払拭するために体を鍛えたのです。それが『太陽と鉄』の話です。体を鍛えるごとに、自分の心がどんどんと変わってきたのです。

 「体を鍛えると、どのように心が変わってくるのか?」というと、暴力的になってくるのです。

三島由紀夫先生は、1969年5月に東大駒場キャンパスの900番教室で、東大全共闘の連中と討論会をしたのです。全共闘の学生は、千人くらいいたのです。

 三島先生は、ただ一人です。全共闘とは、左翼です。三島先生は、右翼的な思想をもって対決したのです。1対千人ですから、当然、「ボコボコにされて殺されるかもしれない」と思って、短刀を一本もっていったのです。

 「万が一、辱めを受けて殺されるときには、ただで殺されることはしない。相手を殺してやる!」と思っていたのです。

 現代の人々は、「平和が大事だ、命が大事だ!」と言っているのですが、「死」というものに対しての理解が全くありません。生に偏っているのです。三島由紀夫先生は、それにだんだんと気が付いてきたのです。

 『葉隠(はがくれ)』という小説があります。『葉隠』は、江戸時代中期(1716年頃)に書かれた書物です。肥前国佐賀鍋島藩士の山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(たしろつらもと)が筆録して、まとめた書です。全11巻。

『葉隠(はがくれ)』は、鍋島藩の武士の生き方を書いたものです。その中に、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」と書いてあるのです。武士道とは、「生きること」ではありません。

 人間というものは、「健康で長生きする」ということは、もちろん大事ですが、素晴らしい「死」というものがあってもいいじゃないですか。「死に向かう」ということは、文学には出てきません。

 文学は「いかに生きるか」「いかに恋愛をするのか」ということが、テーマです。そのような話が中心になってしまい、「死」というものを真っ向からとらえられないのです。「死」というものを真っ向からとらえたのは、三島由紀夫先生だけです。(②に続く)

 

 

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