心を師とせざれ ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※心を師とした結果、人心はプーチンから離れていくのです。

 

 

心を師とせざれ ①

 

 天台大師は、このようなことを言っていました。自分の過去が現れたものが現在です。もし、貴方が誰かに褒められたらその因縁は、過去世にあるのです。もし、貴方が殴られたら、その因縁も過去世にあるのです。

 過去世が自分の人生の一心の中に入っているのです。自分の今の姿をよく見てごらんなさい。このあたりのことがわかってくるのは、天台大師の『摩訶止観』です。『摩訶止観』がわかると、人間の見方が変わってきてしまったのです。

 「人間は気の毒だな。どうして生まれてきたのだろうか? 生まれなければよかったのにね」と思うのです。人間が「生まれる」ということは、「成長する」ということです。成長するためには、うなるほどのご飯を食べて運動して、やりたくない勉強や仕事をして、人間は生きていくのです。

 お釈迦様は、「人生は苦である」と言われたのです。これを体験するのです。普通の人は、「自分の人生は苦である」などとは思っていません。僕くらいになると、そのように見えてくるのです。

 人生は苦しいのです。誰もが苦しい世の中を生きているのです。赤ん坊が生まれてくるときに、「オギャー」と泣くのは、苦しいからです。いきなり目も見えない、耳も聞こえない世界に生まれてくるのです。

 すると、いきなり世界が出現するのです。光が目に入り、目が見えるようになってくると、言葉も聞こえてくるようになるのです。赤ちゃんは、お腹が空くと泣くのです。生まれてくるということは、苦しみです。

 人生は苦しみの連続性です。受験勉強をする、運動をするのも苦です。優勝した時は、喜びで舞い上がりますが、普段の練習では重いものをひきずったり、バーベルを持ち上げたり、苦そのものです。

 ボクシングではお互いにぶん殴りあうのです。まさに苦そのものです。何しろ、人生は苦しいことしかありません。それをごまかすために「お誕生日会」や、「お祝い」などをやるのです。

 苦の合間の一瞬の空白だけ、お祝いをするのです。あとは現実の生活に戻るのです。現実に戻ると苦の連続です。サラリーマンになって営業周りをするのも苦です。

 社長になり、多くの社員を生かしていくことも苦しみです。その中で一瞬の安らぎを見出すものが娯楽であり、酒であり、レジャーです。そんなものは、楽しいものではありません。全てが苦そのものです。

 これを見抜く人が仏教徒です。仏教徒以外の人は、「人生は楽だ」と思っているのです。天理教は、“陽気暮らし”を教えますが、陽気な暮らしなど、どこにもありません。人生は苦の連続です。

 その中で、災害がやってくるのです。日本は地震大国です。いつ、地震が来るかわかりません。この瞬間にも地震が来るのかわかりません。

 大きな地震がやってくると、何千人が死ぬのです。或いは、地震の後に津波が来て、親子で海に流されてしまったりすることも苦です。大雨が降ると、米が収穫できなくなります。それも苦です。

 これを宮沢賢治の詩で言っているのです。

 

雨にも負けず(現代語訳)

 

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

 

宮沢賢治の詩「雨にも負けず」は、法華経の精神です。本当にそうなのです。どこを見ても楽な人はどこにもいません。

一生懸命、会社に勤めて、60歳で定年退職して、「陽気暮らしをしましょう」と言っても、今度は体がききません。「足が痛い、肩が痛い、頭が痛い」、そんなことばかりです。これでは、いけません。

 年をとって病院に入ると「死ぬのが怖い」と思うのです。「まだ、死にたくない」と思っても、お迎えがくるのです。「もうご臨終です」と言われて、「まだ終わりではない」と思ってもダメなのです。

 人生というものは、楽しいということはありません。それをごまかすために、一時的な娯楽はたくさんあります。ごまかすためのものがたくさんあっても、全体は苦なのですから、楽しくありません。それを悟ることが大事です。

 それと違って、仏教以外の宗教では、「人生は楽だ」ととらえます。「この世は楽なのだ。楽しいことがたくさん詰まっているのだ。生まれることも楽しいことだ。病気になることも楽しいことだ。受験も勝利すれば楽しいことなのだ」と意識を変えていくのです。

 そんなことを思っても、ダメなのです。人生は苦なのです。苦が集まったものが人生です。それを苦集というのです。

 そのように認識することが、仏教徒の信仰の始まりです。すると、「どのように世界が見えてくるのか?」というと、「可哀そうだな」と見えてくるのです。これを慈悲というのです。人間はみんな可哀そうです。苦の集まった人生を歩んでいるのです。

これがわかると、プーチンのように「原爆を使う」などという言葉はでてきません。プーチンは、「人生は苦だ」ということが、わかっていないのです。

今回の動画を見ると、ロシア駐在大使たちから、そっぽを向かれたということがわかるのです。プーチンが駐在大使に演説した後の拍手はありません。これは、プーチンが心を師としてきた結果です。もう、人心が離れているのです。誰もプーチンの演説を聞いて、感動する人はいません。それを「裸の王様」とも言うのです。(②に続く)

 

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正理会ちゃんねる 第17回 狸祭(たぬきまつ)り事件小笠原 慈聞(おがさわら じもん、1875年 – 1955年)は、日蓮正宗の僧である。戦争中、宗内で反執行部の立場をとり、神本仏迹説を唱え軍部にに迎合。1942年9月14日、宗門から擯斥(僧籍剥奪)処分を受けた。1952年、「宗旨建立七百年慶讃大法要」が営まれていた大石寺の境内で、創価学会 初代会長牧口常三郎の投...リンクwww.youtube.com

 

 

 

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