念仏宗についての基礎知識 ③ | 中杉 弘の徒然日記

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※東條英機の思い描いた穢土が実現したのです。

それが東京大空襲です。

これが念仏の強信者が思い描いた世界です。

 

 

念仏宗についての基礎知識 ③

 

 念仏宗のお坊さんは、毛が生えています。頭の毛を剃りません。それを「毛坊主」というのです。念仏は、本当に弊害があるのです。

 村中が念仏の信者になると、恐ろしいことになるのです。村が飢饉で食べるものがなくなると、村人全員が「死ぬべ」と言って、海の中に入っていったのです。「なむあみだぼ~、なむあみだぼ~」と念仏を唱えて、集団で入水念仏をしたのです。いわゆる集団自殺です。

 念仏の信者にとって、この世は穢土ですから、早く極楽浄土へ逝きたいのです。念仏の会合を開くと、悪人自慢をしたのです。お坊さんが、「そのような意味ではないのだ」と言っても、いったん民衆に火がつくと悪人自慢をやめません。

 飢饉になると、「阿弥陀様が救ってくれるのだから、入水念仏をするべ」と言って、「なむあみだぼ~、なむあみだぼ~」と唱えて海の中に入っていったのです。様々なところで念仏の弊害が出てきたのです。

 その次に何をやったのかというと、戦争をやったのです。百姓一揆は、念仏宗が起こしたものです。「阿弥陀仏」の旗をつくり、領主に向かっていったのです。「領主が強い?そんなことは関係ない。死ねば極楽へ逝けるのだから、しっかりせいや。極楽へ逝ける日が近いぞ!」と皆を叱咤激励したのです。

念仏の信者は、早く死んで極楽浄土へ逝きたいのですから、強かったのです。念仏の信者は、死ぬことを恐れません。早く死にたいのです。

 そのような連中が、「うわー」と押しかけてくるのですから、領主もたじたじです。北陸3県は、念仏王国になってしまったのです。大阪には石山本願寺があり、織田信長が軍勢で攻めても、攻め落とすことができなかったのです。

 念仏宗は、国を造ってしまったのです。そのような時代を経ていくのです。このような理屈を立てたのです。「阿弥陀様に救ってもらうためには、お坊さんを拝まなければいけない」と言ったのです。

 法然の浄土宗は、お坊さんが出る幕はありません。阿弥陀仏が救ってくれるのです。坊さんは関係ありません。法然の弟子の親鸞が死ぬと、その墓守を留守式と言ったのです。その中から、「中興の祖」と言われている蓮如が現れてくるのです。

 蓮如のお寺は、ものすごく貧乏だったのです。食べるものもなく、暖をとることもできない貧乏寺です。親鸞は、「坊さんが極楽浄土へ連れて逝く」とは言わなかったのです。阿弥陀様が極楽浄土へ連れていってくれるのですから、お坊さんの立場は主張しなかったのです。

 そこで、佛光寺(ぶっこうじ)は、発明をしたのです。阿弥陀仏が直接、民衆を救ったのでは、教団は伸びません。絵系図というものを考えたのです。

百姓の信者さんがお寺に来ると、字が書けません。「お前の名前をここに書くと阿弥陀様が極楽浄土へ連れて逝ってくれるのだ」とお坊さんが言ったのです。「おらは、字が書けないのだよ」と言うと、お坊さんが「私が書いてあげましょう。この絵系図に名前を書くと、お前は間違いなく極楽へ逝けるのだよ」、と言ったのです。

 すると、信者は「ありがたいことだな」と言ったのです。坊さんは「ありがたいだろう? では、お金を置いていきなさい」と言ったのです。もし、逆らったら、絵系図に赤でバツを書いて「背(そむ)き了(おわん)ぬ」と書いたのです。すると、お坊さんは「「背(そむ)き了(おわん)ぬ」と書かれたら、永遠の地獄へ逝くのだ」と言うのです。信者は、「それは大変だ、そんなことは書かないでくださいよ」と言ったのです。これを真似したのが池田大作です。自分の本弟子が裏切ったら「「背(そむ)き了(おわん)ぬ」と書くと、永遠の地獄へ逝く」と脅したのです。

それだけではありません。佛光寺(ぶっこうじ)のお坊さんは、「床の間に飾る掛け軸を、毎年、買っていきなさい」と言ったのです。掛け軸には、無碍光如来(むげこうにょらい)と書いてあるのです。

 仏像を書いた本尊もあったのです。それを飾るだけならばよいのですが、佛光寺(ぶっこうじ)の坊さんは、頭がよかったのです。「この本尊を拝み倒しなさい。今年、もらった本尊は、1年で破り捨てなさい。来年は新しい本尊を買いなさい。そうしないと、極楽にはいけないぞ」と言ったのです。

佛光寺(ぶっこうじ)は、仏国のごとく繁盛したのです。かたや、蓮如のお寺は、閑古鳥が鳴くくらい貧乏です。飯も食べられません。反対に佛光寺(ぶっこうじ)は、黄金が山のように集まったのです。お金がざくざくと集まったのです。

蓮如は、応永22年2月25日(1415年4月13日)、京都東山の天台宗青蓮院の末寺であった大谷本願寺で、第7世在如の長子として生まれたのです。

母は存如の母に給仕した女性と伝えられているが、詳細は不明です。一説には、信太(現在の大阪府和泉市)の被差別部落出身だったという説もあります。

蓮如のお寺は、親鸞の正当のお寺です。「なぜ、佛光寺(ぶっこうじ)が繁盛するのか?」ということを考えたのです。そこで、蓮如は『御文』という手紙を惣村(そうそん)の3人に出したのです。

惣村の指導者には、乙名(おとな)、沙汰人(さたにん)などがありました。また、惣村の構成員のうち、乙名になる前の若年者を若衆(わかしゅ)といったのです。

 蓮如は、全国の惣村(そうそん)に、『御文』を出したのです。「私は、親鸞聖人の子孫です。第8代の留守式であるけれども、佛光寺(ぶっこうじ)のやっていることは、親鸞聖人の教えとは違う。親鸞聖人の本当の教えはこうだ」と言ったのです。それを手紙に書いて送ったのです。

 すると、「そうか、佛光寺(ぶっこうじ)は、親鸞聖人の教えとは、違うのか。私たちは、親鸞の教えを信じます」と、村ごと改宗したのです。

 「第8代留守式の蓮如様の説法を聞かないと成仏できないのだ」という噂が広まったのです。蓮如は「お前たちの信仰は間違っている」と『御文』に書いたのです。すると、全国の念仏のお寺が、蓮如のお寺に帰依したのです。

 すると、蓮如のお寺がすごい権力になったのです。蓮如が来ると、「蓮如様のお通り~」と言って、駕籠にゆられて通ったのです。「蓮如様のお通り~」と言うと、村人全員でお迎えしたのです。「ありがたいお坊さんが来たぞ」とお出迎えをしたのです。

 蓮如が泊まった家では、蓮如がお風呂に入ります。すると、「蓮如様の入ったお風呂の水だ。これを大事にして、病気になったら飲むべ」と言ったのです。蓮如のお寺には、うなるようなお金が集まり、どんどんと信者が増えたのです。

 ついに蓮如は、一国一城の主になってしまったのです。蓮如は豪傑だったのです。それが念仏宗の流れです。

 天皇家は、平等院を建てた時に観想念仏だったのです。皇族は、ほとんどが念仏宗の信者だと言ってよいでしょう。

 我々は、ここで覚えておかなければいけません。中国の開祖善導は、首つり自殺をしたのです。念仏の信者は、首をつって死ぬ人が多いのです。エックスジャパンのヒデ、沖雅也は、念仏の信者です。最近では、「ファイト、一発!」の渡辺裕之です。教祖と同じ死に方をするのです。

 大東亜戦争時の内閣総理大臣の東條英機は、念仏の強信者です。どのような世界が実現したのでしょうか? 念仏の信者は、「この世は穢土である」と思っているのです。日本国中が焼け野原になり、念仏の穢土の世界が、この世に現れてきたのです。東条英機の思い描く穢土の世界が実現したのです。指導者が念仏の信者になると、日本は焼け野原になってしまうのです。

 宗教と人生は深い関係があるのです。ありもしない形而上学に飛びついた人は、何もないところへ向かって進んでいるのですから、ドボンと落ちて、地獄へ逝ってしまうのです。

 日蓮大聖人様は、四箇格言(しかかくげん)で「念仏無間禅天魔真言亡国律国賊」と言われています。この意味を深く考えていきましょう。念仏は無間地獄へ逝くのです。念仏は、怖いで!

 

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※仏教と神道を学んでいきましょう!

 

 

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