お釈迦様の教え ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

笑顔でポーズを決める由美かおる(撮影・会津 智海) ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

※由美かおる「私は年を取らないのよ!」

 

お釈迦様の教え ②

 

 日蓮大聖人様は、鎌倉の寺院をすべて訪ねて、経典を見せてもらい、勉強されたのです。その結果、結論をもって清澄寺(せいちょうじ)に帰られたのが、32歳のときです。それまでかかったのです。

10代の後半で旅に出て、お寺にごやっかいになりながら、「どうか、経典を見せてください」と言って、住み込みで経典を読んだのです。

 今のように辞書はありません。経典は書き写さなければ、ありません。または、暗記しかありません。大事なことは書き写されたのです。日蓮大聖人様は、すべての経典を暗記されたのです。すごい頭脳です。

 そうしないと信者さんに指導ができません。今は辞書があるから、「お釈迦様の教えはここに書いてある」と見せることができます。または、スマホで「ほら、ここに書いてあるでしょう」と言えるのです。

 当時は、辞書もスマホもありません。経典を書き写し、或いは暗記されたのです。お釈迦様の経典を読むということは、正しい法を求めるということにつながります。日蓮大聖人様は、お寺を回って経典を書写し、正しい法を求めたのです。

 「ご利益がある法」を求めたのではありません。そのためには、「お釈迦様の説かれた経典のすべてを読みたい」と思ったのです。その結果、結論が出たのです。仏教は、いろいろとありますが、まず仏教というものを考えてみたのです。

 仏教とは、何を説いたものでしょうか? 最初にお釈迦様が疑問に感じたものは何でしょうか? お釈迦様は、最初に「生老病死」を説いたのです。「生老病死」という4つの苦の中に仏教のすべてが入っています。

 「生老病死」を紐解いていけば、自然に悟りが出てきます。一番、仏教で大事なことは、「生老病死」です。「人間は生まれて、老いて、やがて病気になって死ぬだと? そんなことは当たり前だろう」という人がいます。ところが、大部分の人は、「自分が死ぬ」とは、思っていません。

「生老病死」ということを極めないと、「自分が死ぬ」ということは、本当にはわかりません。「生老病死」という言葉は簡単です。では、それが「本当にわかったのか?」というと、わかっていません。極意を極めなければわかりません。

 人生とは、生老病死です。宇宙も同じで成住壊空(じょじゅうえくう)です。非常に簡単な教えです。お釈迦様は、それを悟ったのです。悟れなくても、人間は、「生老病死」で生きているのです。それを悟ったら、どうなるのでしょうか? それが仏教です。

 すべての教えの根本には、「生老病死」が入っているのです。意外と人間は、「自分は死ぬのだ」などと思って生きていません。

 「何歳までも、永遠に生きる」と思って、生きているのです。「人は死んでも俺は死なない」と考えているのです。そうではありません。いかなる人も死ぬのです。いずれ、貴方も死ぬのです。

 もし、貴方が天下を取っても、太閤秀吉のように死ぬのです。生まれたということは、「死」も入っているのです。生まれた者は、必ず老けていきます。老人になるのです。これもわかっていません。

 女性は、「いつまでも美しく、若くいたい。しわしわの顔になりたくない」と思って、ペタペタと化粧をしているのです。「人間は生まれたら、必ず老けていくのだ」ということがわかっていません。

 70歳、80歳で若々しい女優さんがいます。由美かおる、草笛光子、吉永小百合は年齢を感じさせません。「由美かおるは、水戸黄門が終わってババアになった」、という説もあったのですが、この間テレビで見たら、若々しい姿をしていました。

 由美かおるは、72歳ですが、スタイルが若い頃と変わっていません。体の乱れが全くありません。顔には、しわも、しみもありません。小顔で若々しさがあふれています。とても72歳のお婆さんには見えません。

 他の女優は、年齢が出ていますが、立ち姿もスッとしていて、まるでお嬢さんです。水戸黄門の女忍者とは、全然違います。上品で若さを保っています。すごい人です。年を取ることを忘れたような人です。みんな、由美かおるのように若々しくいたいのでしょう。

 草笛光子さんも若々しい人です。補聴器のコマーシャルに出ていますが、スタイルは若い頃のままです。でも、保っているスタイルも永遠ではありません。いつか、壊れるときがくるのです。ガクッときて、病気になって、お亡くなりになるのです。

 若々しいことはよいことです。「私は老けない。私はいつまでも若々しい」と思っているのです。それは、自然の摂理に反しているのです。

 病気になって、最期はみんな死ぬのです。すると、「私は病気になんか、ならないわよ。毎日、1キロ歩いているのよ」というオバサンがいるのです。あるいは、「サプリをたっぷり飲んで健康には気を使っているのよ」というオバサンもいます、「私は健康のために睡眠を大事にしているの。夜の8時になったら、寝るのよ」そのような人がいます。

 病気にならないようにしているのです。では、死なないのでしょうか? そんなことはありません。どんなに元気なお婆ちゃんでも、やがて死ぬのです。「私の気持ちの中では、永遠に生きると思っているのよ」と思っているのです。

 それは、「生老病死」の否定です。「生老病死」は、生きている者には、必ずやってくるのです。それに逆らっても、限界があるのです。太閤秀吉のように天下を取っても死ぬのです。それが「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」という辞世の句です。

 大会社の社長さんも、「生老病死」です。大金持ちの資産家も「生老病死」です。あるいは、貧乏人の乞食も「生老病死」です。「生老病死」は、誰も逃れられません。生老病死は、簡単な教えのように見えますが、深い教えです。「生老病死を深く知るならば、」という条件がつきます。

 言葉だけ聞いて、「人間は生老病死よ。貴方も私もやがて死ぬんだって」と言ったところで、何も得られるわけではありません。「生老病死」と知ることが始まりです。「生老病死を、どのように深くわかっていくのか?」ということが、お釈迦様の教えです。

 仏教は、いかようにでも深くなっていくのです。今起きている時事問題をわかっていくことも大事なことですが、そのような教えを深くわかっていくことも大事なことなのです。

 

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

 ■『正理会ちゃんねる』
第9回目のお話は、「石田次男先生について」です。
是非、ご覧ください!
     ↓

 

 

■『中杉弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137   

 

 

■『中杉弘の人間の探求』にて、「法華経入門講義」を連載しています!

こちらもご覧ください。

    ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi2020