お釈迦様の教え ① | 中杉 弘の徒然日記

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サールナート考古博物館英語版)のブッダ像

生地 コーサラ国カピラヴァストゥ
没地 マッラ国クシナガラ

お釈迦様の教え ①

 

 昔、お釈迦様という人がいたらしいのです。

お釈迦様は、北インドに実在した人物です。歴史上に実在した仏陀であり、仏教の開祖です。ただし、存命していた時代については、紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀など、複数の説があり、正確な生没年は分かっていません。

 釈迦の出身部族は、シャーキヤ族です。釈迦の父は、コーサラ国の属国である、シャーキヤのラージャの王様です。母は隣国コーリアの執政アヌシャーキャの娘マーヤーです。

マーヤーは、出産のための里帰りの途上、カピラヴァストゥ郊外のルンビニで子を産みました。釈迦はマーヤーの右脇から生まれ出て7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、『天上天下唯我独尊』と言ったと物語られています。

お釈迦様は出家されてから、新しい悟りを開かれたのです。そのことを知った人が、「仏教とは何か?」と疑問を持ち、「仏様の教えを聞いてみよう」とおもって、お寺に行ってお坊さんに聞いてみると、各お寺ごとに言っていることがすべて違います。

 禅宗のお寺の言っていること、念仏のお寺が言っていること、真言宗のお寺が言っていること、律宗のお寺が言っていることは、すべて違います。

 これでは、「仏教の入り口はどこだろうか?」と迷ってしまいます。奈良、京都へ行くと、広大な敷地の中に大寺院が建っています。「お釈迦様の教えは何ですか?」ということを、どこのお寺のお坊さんに聞けばよいのだろうか迷ってしまいます。各お寺のお坊さんに聞くと、「当山においては、仏教とはこうです」と言うのです。

 「お釈迦様のお悟りを教えましょう」ということではありません。当山においては、このように考えます」ということですから、各お寺ごとに、考え方が違うのです。仏教とは、なんだかわかりません。

 念仏宗のお寺に行くとお坊さんは、「念仏を唱えればよいのです。すると、西方極楽浄土に阿弥陀仏がいて、救ってくれるのです。それが仏教です」というのです。

 禅宗のお寺に行って、「仏教とは何ですか? ぜひ、教えてもらいたい」と言うと、お坊さんは、「仏教というものは、だまって座るのじゃ。座禅を組むものじゃ。様々な経典があるけれども、そんな経典は捨てろ。大事なことは、経典ではない。自分で座禅を組んで、心を澄ませて、悟っていくことが仏教というものじゃよ。君は仏教を習いに来たのか? では、そこに座ってみなさい。」、と言われるのです。「なるほど、座禅が仏教なのだな」と思ってしまうのです。

 真言宗のお寺に行って、「仏教とは何ですか?」と聞くと、お坊さんは、「大日如来を拝むことなのだ。宇宙には、大日如来という仏様がいます。これが、最高の仏様です。お釈迦様も大日如来から出てきたのです。宇宙大の仏を大日如来と言うのだ」というのです。真言宗の本尊は、大日如来です。「これを拝むことが仏教なのですよ」と言われるのです。

 今度は、律宗のお寺へ行き、「仏教とは何ですか?」と質問します。すると、お坊さんは、「仏教とは、礼儀作法、戒律です。人間はご飯を食べるときに音を立て食べる人がいます。それはいけません。ご飯を食べるのにも作法があります。歩くときでも、バタバタと音を立てて歩く人もいます。静かに歩く人もいます。優雅に歩く人もいます。ガニマタで歩く人もいます。歩き方もすべて違います。歩き方にも作法があります。

 我々在家の守るものは、五戒です。これを守ることが仏教です。在家の守る戒律は以下の通りです。

1.   不殺生戒(ふせっしょうかい)―生き物を故意に殺してはならない。

2.   不偸盗戒(ふちゅうとうかい)―他人の物を盗んではいけない。

3.   不邪淫戒(ふじゃいんかい)―不道徳な性行為を行ってはならない。

4.   不妄語戒(ふもうごかい)―嘘をついてはいけない。

5.   不飲酒戒(ふおんじゅかい)-酒を飲んではならない。

仏教の十戒(じっかい)は、見習いの僧侶・小僧さんが守るべきとされる、十ヶ条の戒律です。在家は五戒、坊さんは、二百五十戒です。これが、戒律から入る仏教です。

律宗では、朝起きた時の顔の洗い方も決められているのです。「顔は3回で洗う」ということです。五戒は、ちょっと努力をすれば守ることができますから、在家信者は、五戒を守ればよいのです。律宗のお坊さんは、「仏様の教えが知りたかったら、戒律を守ることだ」というのです。

 なるほど、様々な仏教があります。阿弥陀仏を拝んだり、座禅を組んだり、大日如来を拝んだり、戒律を守るのが仏教なのですね。どれが本当の仏教なのでしょうか? 当然、疑問に思います。

 「お釈迦様の仏教の教義について勉強しましょう」と思うと、ますます疑問が生じてきます。仏教というものは、大きくわけると、大乗教と小乗教があります。「仏教にそんな種類があるのですか?」、とびっくりしてしまいます。仏教には、小乗教と大乗経があります。

 スリランカや、タイの仏教は、小乗教の仏教です。黄色い袈裟を着て、托鉢して、仏道修行をしているのです。この人たちは、小乗教の仏教を修行しているのです。念仏宗は、大乗経の仏教です。

 小乗教とは、少ない人間を救うから小乗教といいます。多くの衆生を救うのが、大乗経です。この2つの仏教を学ぶことが、仏教の入り口です。「これらを学ぶと何になるのか?」というと、仏陀になるのです。あるいは、西方極楽浄土の阿弥陀仏に救われるのです。

 人間が死んだ先は大変です。地獄もあれば、極楽もあります。閻魔大王もいて、恐ろしい地獄があるのです。恐ろしい地獄に生まれたくなかったら、仏教を学んでいくことです。「これが仏教の目的です」と教わるのです。

 そのように教わると、ますます頭が混乱してしまいます。仏教には教学があります。これに疑問を感じたのが、日蓮大聖人様です。仏教は、八万四千巻も経典があります。何を習ったらよいのかわかりません。「まず、仏教というものの正邪を正そう」と思ったのです。これをやられたのは、日蓮大聖人様ただお一人です。

 他の坊さんがやったことは、自分の宗派の根本を学ぼうとしたのです。「どの経典が正しいのか?」などということは、考えていません。「お釈迦様の教えはみんな正しい。私はこの教えを学ぶのだ」という考え方です。

 日蓮大聖人様の考え方は違います。鎌倉仏教の八大宗派を見て、勉強して、「どの教えが一番正しいのか?」ということを考えられたのです。一番、正しい仏教のことを正法といいます。「それを極めよう」とされたのです。(②に続く)

 

 

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