神武朝は、終わるのかな? ① | 中杉 弘の徒然日記

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※弾正家は、最高の家柄です。織田信長の家は、弾正家だったのです。織田信長は、下剋上でのし上がった武将ではなく、昔からの弾正家ですから、血筋が正しいのです。そのような権力を持っていたから武将達は、織田家を恐れたのです。

 

 

神武朝は、終わるのかな? ①

『結び大学』「教科書に載らない「徳川家康の闇」小名木善行」を見ました。

「何故、家康は、妻の築山御前を殺したのか?」という話です。

 この中で、「弾正台(だんじょうだい)」の話をしていました。これは、非常に新しい言葉で、知らない人が多いのではないかと思いました。

弾正台(だんじょうだい)についてコメントしたいと思って、ペンをとりました。「弾正台(だんじょうだい)」という言葉は、余り聞きなれない言葉です。古代の政治の主体は、神祈官と、太政官です。この2つで天皇は政治を動かしていたのです。

 今の役人と同じで図に乗ってしまったのです。政治の中枢には、お金がスパスパと入ってきます。篠原常一郎先生も言っていましたが、外務省は課長のサインで、3億円の経費がパッと出てくるのです。その使い道は問われません。お金を使った報告書をあげる必要もありません。

 課長で3億円の予算を自由に使うことができるのです。外交官を接待するという名目でお金を自由に使うことができて、「経費の内訳は?」ということは、言われません。使った領収書もいりません。

 結局、役人というものは、そのようになってしまうのです。財務省もそうです。「赤字だから、増税だ」と言っているのですが、財務省は、税金を下げることは、絶対にしません。取った税金は全て財務省のものです。

 「所得税は、福祉や年金にしか使いません」という名目で、三党合意で納得して増税したのです。今はどうでしょうか? 福祉などには全然使われていません。介護にも福祉にもそのお金は回されていません。そのようなウソをついて、平気でやるのです。

 最初は「お金が足りないから増税します」と言います。お金が集まると、税金を集めた目的も忘れて、使いたい放題です。福祉や介護のために集めたお金を、どんどん他の予算に回してしまうのです。

 これが役人の手口です。役人は、絶対に減税しません。税金は多く取ったほうがよいのです。だから、財務省の中で一番、出世する人は、「新しい税制をつくった人だ」と言われています。

 「この税制を僕はつくりました」と言うと、「おおやったな、お前は偉くしてやるぞ」ということです。局長になり、どんどん偉くなるのです。「税金を下げるべきです」などと言ったら、「お前は何をバカなことを言っているのだ。お前は左遷だ」と言われて終わりです。

 昔からそうなのです。右大臣、左大臣がいて、政治が行われていくのですが、だんだん自分の権力にしてしまうのです。終いには、始末に負えなくなってしまうのです。

 左大臣や右大臣が悪いことをしても、捕まえる人はいません。天皇直属ですから、誰も捕まえることはできません。A宮のように、手がつけられないのです。A宮も、あんなデタラメなことをやっていても、捜査の手は及びません。警視庁、検察庁の手が及ばないのです。A宮の捜査をしようとすると、上から「ストップ!」をかけられてしまうのです。

 それは、昔も同じだったのです。役人が汚職をやっていることはわかっていても、手がつけられなかったのです。それで、天皇は、弾正台(だんじょうだい)という位をつくったのです。この位は、誰でも捕まえることができるのです。「斬り殺してもよい」と言われているのです。太政大臣や、神祈官を弾正という位を持った人は、斬り殺してもよかったのです。大臣クラスを「斬り捨てご免!」です。

 天皇は、そのような位をつくったのです。これは、戦前も同じです。戦前も汚職ばかりだったのです。官僚が汚職をしても、取り締まることはできません。権力を持っているからです。上層階にいるので、逮捕することはできません。だから、汚職だらけになってしまうのです。

 「俺のことには触れるな。おれが3億使おうと、10億円使おうと、俺のことには触れるな」と権力で抑え込んでしまうのです。警察が「捜査をやりますよ」と言えば、「やったら、お前はクビだ!」と脅してくるのです。権力者は上につながっているから、捜査を止めることができるのですから、どうしようもなりません。

 天皇陛下が、弾正台(だんじょうだい)という位をつくり、どんな高級官僚でも弾正が取り締まる権限を与えたのです。「不正があった場合は、斬り殺してもよろしい」と言われたのです。

 鎌倉時代は、それを「検非違使(けびいし)」と言ったのです。検察の役割をしたのですが、一般庶民を取り締まる検察ではなくて、権力者を取り締まるのが検非違使の役割だったのです。

 弾正家は、最高の家柄です。織田信長の家は、弾正家だったのです。織田信長は、下剋上でのし上がった武将ではなく、昔からの弾正家ですから、血筋が正しいのです。そのような権力を持っていたから武将達は、織田家を恐れたのです。

 信長の天下布武も弾正家の役割を果たしてのことです。信長は武力があるから、「弾正としてお前を成敗する!」と言われたら、ブルッてしまうのです。相手も武力があるから、「信長と一戦やるぞ」となるのです。

 信長が若くして、天下を統一できたのは、弾正家ということも関係しているのです。信長は、「戦で勢力を拡大してきて、天下を統一した。邪魔な者は天皇だから、天皇をはいつくばらせてみせる」と言っている作家もいます。それは、全然違ったのです。

 織田家は、弾正家です。天皇から信任されている家です。それが、天皇を捕まえたりするはずがありません。信長の安土桃山城も「天皇を幽閉するために造った城だ」という人がいますが、そんな話はウソだとわかるのです。信長は、非常に天皇を大事にしていたのです。それは、自分の家の権威の源だからです。

全国に弾正は、大勢いたのです。それは偽物です。天皇から、弾正という位が与えられていないのに、「●●の弾正だ」と勝手に名乗っていたのです。

 織田家は、本物の弾正です。織田弾正信長です。そこらの武将とは、意識が全然違います。天皇家を守ってきたのが、織田家です。

 ねずさんによると、「信長の天下布武は、天下に武を引くのではありません。天下を正すのが、天下布武だ」と言っていました。我々の「正理会(しょうりかい)」もそうです。道理を正す、正しい理を教えるのが、正理会の役割です。

信長は天下を正そうとするから、争いが起きてきたのです。武家は、自分で勝手に弾正を名乗りたかったのですが、弾正にはなれません。ほとんどの弾正は偽物ですが、織田家だけは、本物の弾正だったのです。そのような見方をすると、「信長は、うつけ者だ」と言われていましたが、うつけ者ではありません。しっかりと弾正家としての自覚を持っていたのです。

 信長の権力の源は、そこにあったのです。それを忘れると、「単なる武将が天下を統一した」となってしまいますが、それは間違いです。信長は、弾正として、天下を統一したのです。

 信長が「お前、逆らうな。天下布武だぞ!」と言っても、生意気な奴は、「信長よりも、俺のほうが兵力はあるぞ。織田は千名もいないだろう。俺は、3万の兵力があるぞ。何が弾正だ。小僧、やるならば、やってみろ!」と今川義元は思ったのです。

 今川義元は、「信長が弾正だと、ふざけるな! 俺こそが弾正だ!」と言いたかったのでしょう。弾正家の家柄に秀吉も、家康も参ったのです。出世コースが全く違います。信長は、弾正家の侍大将だったので、意外と早く天下統一が出来たのだと思います。(②に続く)

 

 

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