日本古代史の謎 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※縄文時代の真実がヤバイ!教科書は間違いだった!?

 

日本古代史の謎 ①

 

 15年近く前になりますが、「日本の古代史の旅がしたい」と思って、東北を探求したことがあります。その旅は、まず三内丸山遺跡から始まり、西に下り出雲へ行き、奈良平城京、神武天皇の橿原神宮へ参拝し、大阪の大仙古墳で終わりました。

 古代史の旅は僕の心の中で生きているのです。僕は最初に縄文土器に興味を持ったのです。縄文土器は縄目がついている土器です。その土器が三内丸山遺跡からは、大量に出土しています。それを見に行ったのです。

 縄文時代は、山岳信仰をしていて、蛇を神様として祀っていたのです。「どうして、蛇信仰なのか?」というと、縄文人が山に入ると猛獣はいません。虎やライオンはいませんが、蛇はいたのです。

 蛇は恐ろしい生き物です。かまれると人間でも死んでしまうこともあります。「この山は、蛇が守っている山だから、神の山にしよう」と思って蛇信仰が生まれたのです。鳥居をくぐり、神社の本殿へ行くと大きな鏡があります。それがご神体です。

 しめ縄は蛇の交尾を現しています。ヒラヒラと垂れ下がっている白い紙は紙垂(しで)です。それは蛇の喜びの涙を現しているのです。鏡は何かというと、それは蛇の目を現しているのです。

 昔は、蛇のことを「カガ」と言ったのです。「カガの目」とは、蛇の目です。「カガの目」が、カガミです。カガの目の代わりに、鏡を置いたのです。これが、伊勢神宮にも伝わり、三種の神器は、八咫鏡、草薙剣の剣、勾玉です。八咫鏡とは、蛇の目を現しているのです。

 縄文土器には、縄目があります。この縄目の意味を皆、知りません。僕は閃いて、「縄文土器の縄目は蛇を現しているのではないか?」と思ったのです。縄文土器に縄目をつける意味はありません。

 もしかしたら、それは蛇を現しているのです。「縄目で蛇を現していたのではないか?」と思ったのです。これを確かめに三内丸山遺跡へ行ったのです。三内丸山遺跡では、子供が死ぬと甕に入れて、地下に埋めたのです。縄文土器の縄目は、蛇を現しています。すると、その空間が神聖になるのです。「そこに死んだ子供を入れて葬ったのではないかな?」と考えたのです。

 三内丸山遺跡を見学した夜は、青森県の居酒屋へ行き、津軽三味線の演奏を聞いて、ホテルへ泊まりました。2日目に岩手県の花巻温泉に泊まったのですが、この旅館にあった土器のレプリカには、蛇の頭がついていたのです。

 僕の考えも、的外れではありません。蛇を土器に描いたのは、縄文文化の深い信仰があったのです。そのような旅行は楽しいのです。ただ、温泉旅行に行っても楽しくありません。テーマを持って、そのテーマを確かめに行く旅は楽しいのです。

 三内丸山遺跡を歩いてみて、出土品の多さにビックリしました。三内丸山遺跡は、もっと広大です。まだ、4分の1しか発掘されていません。そこには、大集落があったのです。5500年くらい前に縄文人の住居があり、縄文人が住んでいたのです。そこには、貝殻や魚の骨などの化石があり、食生活は豊かだったのです。

 「縄文人は、500人くらい生活していた」と言うのですが、そのような少ない人数ではありません。5500年前から生活をしていたのですから、もっと大人数が住んでいたのに違いありません。三内丸山遺跡が日本の文明の最初です。

 六本柱が建っていて、「あれは掘っ立て小屋だ」などと言われていますが、そこには神社が建っていたのに違いありません。そんな昔に神社があったのではまずいから、六本柱だけ建てて、何もなかったような造り方をしているのです。

 実際に六本柱を見ると、一本の柱は太かったのです。それが六本建っているのです。その隣には、300人が入ることのできる大きな集会所があります。それは復元されていたのです。これは、信仰の集会場です。六本柱は神社だったのですから、その隣の集会場で神様について語り合ったのだと思います。

 そして、一番言いたいことは、日本の文化は、こんなものではありません。三内丸山遺跡は、5500年前からあったのです。それどころでは、ありません。縄文文化は、1万7千年くらい前からあったのです。1万7千年前と言ったら、世界に文明などありません。

 エジプトは、5千年前と言われています。縄文文化は、それよりも1万2千年もさかのぼっているのです。世界の何処にも文化などというものではありません。文化というものは日本で出来たのです。日本は文明の始まりの国なのです。

 人間が物を造ったら文明です。「家もなく、洞穴に住んでいて、動物を殺す槍だけがある」というならば、それは文化とは言いません。文明とも言いません。やはり建造物が出来てきて、初めて文明と言えるのです。

 「世界の文明は、何処から始まったのか?」というと、それは日本です。そうなのです。だから、世界中が悔しがるのです。日本は掘ると、1万年前の土器や、縄文遺跡が続々と出てくるのです。

ところが、自分で石器を埋めて「50万年前の石器が出ました」と言って捕まった男がいました。意味がわかっていないのです。その男がいくと必ず遺物が出てきたのです。それは、そうです。自分で埋めていたのです。

 そのようなインチキをしなくても、「何処に人類の文明が生まれたのか?」というと、それはアフリカではなく、日本です。チグリス・ユーフラテス川のメソポタミヤ文明は5千年前です。インダス文明は、4500年前です。黄河文明は、3500年前です。

 日本の文明は、1万7千年前からあるのです。世界の文明の中で、最も古い文明です。田中英道先生(東北大学名誉教授)は、「日本は文明の始まりの国だ」と言われたのです。それは、そうです。日本は一番東にある国ですから、一番に太陽が昇る国です。

 文明も太陽の如く日本から上がって、世界を照らしたのです。西から来るものは闇です。闇が西から東に向かってやってくるのです。世界中の国は、日本の東の明るさに憧れているのです。「東にはどんな国があるのか?」というと、それが日本なのです。

2019年に、田中英道先生が『発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く』という、面白い本を出しています。日本全国には、埴輪があります。いろんな顔の埴輪があります。埴輪には、美豆良(みずら)の髪形をした埴輪があります。その埴輪は、とんがり帽子をかぶり、長いヒゲをはやしています。「これは、ユダヤ人だ。こんな昔から、日本にはユダヤ人が大勢いたのだ。だから、埴輪をつくったのだ」と田中英道先生は言われたのです。

 埴輪は、とんがり帽子をかぶり、美豆良(みずら)の髪形です。まさにユダヤ人の風俗です。その時代にユダヤ人が日本列島には大勢来ていたのです。それを埴輪が証明しているのです。

僕が知識として知っていることは、盛岡、千葉県の一部からも、埴輪が出土しています。その埴輪は、普通の埴輪とは違い、目はたれ目です。目が垂れ下がっているのです。「たれ目は何を物語っているのか?」というと、朝鮮人を現しているのです。

朝鮮人はたれ目が多いのです。あれは朝鮮人の顔です。千葉の一部、岩手の埴輪はたれ目です。「なるほどな」と思ったのです。

日本の古代には、朝鮮人のような連中もいたことが事実です。特に岩手県に多かったのです。それを知っているから、岩手県は韓国と姉妹都市をやっていて、「盛岡冷麺」をやっているのです。それは、「我々は、韓国と近いですよ」という意なの味です。(②に続く)

 

 

※寿ランドでお求めください。

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

 

 ■『中杉弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

(ライブドアがフリーズすることがあるので、『中杉弘の人間の探求』で「法華経入門講義」を第一回から掲載しています。そちらをご覧ください。)

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137   

 

■『中杉弘の人間の探求』にて、「法華経入門講義」を連載しています!

こちらもご覧ください。

    ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi2020