隋の煬帝の運河 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※【中国語】蘇州夜曲 (州夜曲) (日本語字幕)

 

    漢方薬も鍼灸も中国だ!

 

       少林寺拳法の武術も凄いものだ。

 

           中国人は、全て優秀です!

 

 

 2月6日(日曜日)NHKBSで放送していた、中国王朝 英雄たちの伝説「巨大遺産の謎 大運河〜煬帝から永楽帝へ〜」を見ました。この運河は、凄く大きな規模だなと感じました。

 2500キロの運河を隋の煬帝が造ったのです。総延長は、2500キロです。杭州と北京を結んだ京杭大運河です。2~3人の皇帝が運河を掘ったのですが、610年に完成させたのが、隋の煬帝です。

 この運河は長江や黄河を越えています。その目的は、杭州の豊かな作物を北京に運ぶために造った運河です。北京は、中国大陸の内陸部にあり、かなり北にあります。海洋による利益は得られない場所です。

 そこで、煬帝は運河を掘らせたのです。今でもその運河を使っているのです。その運河の主流には、商店街がありますが石造りの立派な商店です。素晴らしい雰囲気で並んでいるのです。

 川の水は高い所から低い所に流れます。低い所から高い所に水は流れません。ところが、隋の煬帝が造った運河は、低い所から高い所へ運河を登っていくのです。スエズ運河もそうです。船が入ると水門を閉めて水を入れるのです。船の水位を上げて運河を進むのです。また水門を閉じて水かさが増すと船の水位が上がります。それを続けると内陸まで船が進むことができるのです。そのような構造になっているのです。

 隋の煬帝の運河は、実によく出来ています。凄い運河です。僕は感心しました。あのような巨大な運河を日本人は造ることはできません。運河の源流には石造りの商店街があり、風情があるのです。それは、塩商人の館です。

 「これこそが中国だ!」と僕は思いました。万里の長城も何千キロもあります。宇宙からも見える唯一の構造物は、万里の長城です。

 人々を従える王がいたのです。その王の命令により、平民が一斉に動くのです。30万人、100万人の平民が運河を造るために、何十年も掘り続けていくのです。すると、運河が出来てしまうのです。王の力は絶大です。

 「王とは何か?」というと、人々をまとめる力です。「俺は隋の煬帝だ。みんな、俺の言うことを聞け」ということです。煬帝が「運河を造れ」と命令すると、30万人の平民が運河を掘るのです。

 運河が出来上がるまでに20年くらいかかったのです。万里の長城を造るために、何十万人が死んでいるのです。それでも万里の長城や、広大な運河も出来てしまうのです。その運河は今でも役に立っているのです。

 この番組を見て僕は、「中国文明について考え直さなければいけないな」と思ったのです。まず、第一番に、中国文明は素晴らしい文明です。これは、認めてもよいでしょう。人民を抑圧しているという話は別の話です。

 ある王様が「ここに運河を造れ!」と命令すると、上海から、北京までの長距離でも運河が出来てしまうのです。すると、物流が盛んになり、世界一の貿易ができるようになるのです。

 北京は大都と言われて、世界的な大貿易が行われていたのです。考えてみると、まだまだあります。絹はどこが発祥の地でしょうか? 絹を生産したのは、中国です。絹織物は中国人がつくって、世界の貿易の最たるものとしていたのです。今では世界中にシルクは広まっています。これは、中国の功績です。

 次に、日本人の精神をつくった四書五経があります。四書とは、論語、大学、中庸、孟子です。五経は、易経、書経、詩経、礼記、春秋です。ほとんどが孔子の教えです。大学中庸もその中にあります。中国でつくった文章を漢籍(かんせき)と言います。漢の国から始まっているから漢籍と言うのです。

 日本の江戸時代の武士たちは、漢籍を学んだのです。現代の学問で言うと、歴史や文化などです。孔子の四書五経を習ったのです。それで立派な人格の武士が出来てきたのです。

 武士はみんな立派だったのです。その精神構造は、四書五経です。漢文を習って、立派な人材になったのです。渋沢栄一も、四書五経を片時も離さないで、読んでいたのです。明治の偉大な人物は、四書五経を学んでいたのです。

 中国にも四書五経があったのです。官学の試験に合格すると、科挙になれたのです。日本人は四書五経を学んで立派な人間が出てきたのです。

 吉田松陰が学んだものは、四書五経です。日本人が勉強するということは、四書五経を学ぶとしか思っていません。その中の大学中庸は有名です。

 「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う(ととのう)。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。知を致すは物に格る(いたる)に在り。」(大学・中庸)

「天下を治めようとする者は、まずその家を整えよ。家を整えようとする者は、その身を修めよ。その身を修める者は、心を正しくしなさい。」という教えです。

家がまとまらないのに、天下国家のことなど考える必要はありません。家をまとめることに全力をあげればよいのです。

 これが、大学・中庸の教えです。まず、政治家になろうとする者は、まずその家を治めなさい。それから、誰からも突かれないように、身を固めるのです。それで欲望を持たないで、きちんと政治をやるのです。そのようなことを言っているのです。

 心がいい加減だと天下などとれません。自分の家をととのえることが先です。そうすれば、自動的に天下が取れてくるのです。これらは、人格論から言っているのです。「このような技術を教える」というものではありません。技術など教えません。人間の根本の考え方を教えていくのです。

 今でも儒教は、有用な教えです。使い方によっては、立派な人格をつくるのです。立派な人格をつくるならば、儒教を学ばなければいけません。

 この儒教に基づいてつくったのが明治の憲法です。教育勅語は、儒教から引用したのです。教育勅語は儒教そのものです。教育勅語をやっていればよかったのです。「何がよかったのか?」というと、儒教が良かったということです。

 ところが、そのように考えて勉強しても、日本は大国論と小国論が出てくる国なのです。漢籍を勉強した連中は、「日本は小国だよ」と言うのです。「日本には誇るものがあるのか?」というと、「天皇の歴史は2万年」と言うのです。広大無辺な話になってしまうのです。

 或は仏教徒は、「仏教は中国から来た。日本の文化は全て中国から来たのだ」と考えて「日本は小国だ」という人もいます。「日本小国論」に反発して出てきたのが、山鹿素行です。

 山鹿素行は、江戸時代前期の儒学者、軍学者です。山鹿流兵法、古学派の祖です。大石内蔵助が学んだ軍学者です。武士は、そのような兵法を習ったのです。大石内蔵助の師匠が山鹿素行です。山鹿素行の書いた本が『中朝事実』です。中国は大国です。「日本は中国のお世話になっているのだけれども、本当は日本のほうが優れているのではないか?」ということを言ったのです。

 その理由は、現在続いている天皇陛下の歴史を見ても、2800年は続いているのです。中国の歴史はコロコロと変わっています。王朝が変わる度に殺し合いをしているのです。これを見ると中国人のやっていることと、言っていることは違います。「中国は立派な国ではなく、野蛮国ではないのか?」と、山鹿素行は思ったのです。山鹿素行は中国人をよく見ていたのです。「中国の文章は立派だけれども、中国人の本質は違うのではないか?」と気が付いたのです。それが山鹿素行の『中朝事実』という本です。

 凄い本です。「天皇の歴史は3万年」と言っているのです。様々な資料をつかって、そのように言っているのです。(②に続く)

 

 

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

 

 ■『中杉弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

(ライブドアがフリーズすることがあるので、『中杉弘の人間の探求』で「法華経入門講義」を第一回から掲載しています。そちらをご覧ください。)

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137   

 

■『中杉弘の人間の探求』にて、「法華経入門講義」を連載しています!

こちらもご覧ください。

    ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi2020