新年に何を教えるのか? | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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仁義なき戦いのテーマ

 

   「パパ、ヤクザと結婚したい」と言っても、ダメなものはダメ!

 

 新年に僕は、毎年「子供会」をやることにしています。その時に僕は孫に「お年玉」を配るのですが、孫が9人いるので大変です。「貧乏はしていられないな」と思いました。お金を配らないと孫は僕に会いにきません。これは冗談です。

 お正月にお金がないと気の毒だと思います。9人の孫がお年玉をもらいに来たら参ってしまいます。孫から逃げ回ることになってしまいます。僕はそんなことはありません。

 一つ気が付いたことがあります。孫に対して、「新年に何を教えるのか?」ということです。これは、成功したと思います。

 まず、人間は何が大事かというと、「信用が大事だ」ということを教えなければいけません。信用は何処から生まれるのかというと、ウソをつかないところから生まれます。「ウソをつかない」という教えは非常に大事です。

 今の子供達は、ウソをついてもいいように思っているのです。政治家は皆、ペラペラとウソをつきます。ウソをついて舌の根の乾かぬ内に、「書類を作りなおせ」と官僚に言うのです。

 書類とは、今までやってきたことの集大成です。それを作り変えるとは、どのようなことなのでしょうか? 国土交通省にしても、書類を10年間も作り変えていたのです。それでは、今までやってきたことの意味がありません。

 書類を作り変えるというのは、ウソなのです。このようなウソつきばかり国会議員に集まってしまったのです。「ウソをつくな」ということは、当たり前のことです。僕は子供の頃から嫌というほど教わってきました。

 「ウソをついてはいけない」ということは、何も難しい事ではありません。当たり前のことです。

 上田秋成の『雨月物語』にもありますが、「菊花の約」という小説です。契りを交わした義兄弟との再会の約束を守るため、約束の日の夜、自刃した男が幽霊となって現れる話です。

 「約束して「また会おう」と言ったのだから、どうしても会いに行かなければいけない」と思い、自殺して幽霊になって約束を果たしたのです。

 そのくらい約束とは、大事なものであり、「もし、叶えられない場合は、自分の命に代えて約束を果たす」ということが、昔の武士の考え方です。でも、これは武士だけではなくて、今でも同じです。

 ダメ男はウソをつきまくるのです。「ウソをつくことが、要領よく出世する術だ」と考えている子供がいたとしたら、とんでもない子供です。そんな子供がいたら、叱り飛ばさなければいけません。

 ウソを1回でもついたら、お終いです。「お前はウソつきだ」と言われるのです。「ウソつき」と言われたら最後、もう仕事も回ってこないし、人も信用してくれません。「あいつはウソつきだ」という一言で終わってしまうのです。

 だから、注意しなければいけません。「絶対にウソはつかない」と決めて、「ウソつきだ」という人がいたら、「何処がウソつきなのだ?」と懇切丁寧に言えばよいのです。現代人は、こんな当たり前のことがわからなくなってしまっているのです。恐ろしいことです。

 親は子供達に「受験勉強をやって、よい学校へ行きなさい」ということは教えているけれども、たった一つの「ウソをつくな」ということを教えていないのです。子供に何を教育しているのでしょうか? 塾へ行かせるのもよいでしょうが、一番大事なことは「ウソをつくな」ということです。

 このようなことを僕が子供会で話すと孫たちは目を輝かせて聞いていたのです。この話は子供達とって新鮮です。こんな当たり前で単純な話を大人が教えていないのです。だから、頭でっかちの東大卒の官僚が出来上がり、ウソをつきまくって平気な顔をしているのです。

 みんな出世のために、ウソで固めていくのです。このザマは「ウソをつくな」ということを教えてこなかったからです。安倍さんもウソつきです。

 南スーダンで死者が出ているのに、死んでいないことにして、「危険な仕事に従事している警察官、自衛隊員に敬礼!」と言って誤魔化したのです。

 イラク戦争では、28人が死んでいるのに、「全員無事で帰ってきました」とヒゲの隊長が言ったのです。それもウソっぱちです。どうしてこんなにウソつきばかりになったのでしょうか?

 人間を見る基準は簡単です。「この人は良い人か、悪い人か」ということは、「ウソつきか、どうか」ということを見るのです。一つウソをついたら、信用はおけません。

 人間は「ウソをつかない」ということを守っていくことが大事です。「あいつはウソをつかない人間だ」と言われたらもう成功です。何だって任せてくれるようになるのです。

すると、「お前に会社の経営を任せる」と言われるようになるのです。ウソをつかないのですから、安心して任せられるのです。すると社長になる芽も出てくるのです。反対に「あいつはウソつきだ」と言われたら、社長どころか係長にもなれません。

人生の成功の秘訣は「ウソをつかない」ということです。この一点につきるのです。すると「信用のおける人間だ」と言われるようになるのです。

すると大きな地位も回ってくるのです。お金にも困らなくなるのです。これが、ウソばかりついていたらお金に困ってしまうのです。お金に困っているので、またペラペラとウソをつきまくるのです。

すると「お金をちょっと貸してくれないかな」と言うのです。そのお金は借りたら、返せないのですから、永遠に借りることになるのです。そこからして、ウソなのです。「1万円をちょっと貸してくれないかな」と言っても返せないのですから、そこからしてまたウソがあるのです。これもウソつきからくるのです。

子供をウソつきにしてはなりません。これは親の義務です。すると子供はみんな立派になってきます。「何を守らなければいけないのか?」ということが子供達はわかっていません。そのようなことを学校で教えていないからです。学校では一番大事な倫理というものを教えなければいけません。

僕の孫には女の子もいるので、「誰と結婚するのも自由ではないぞ。お父さん、お母さんは何を見ているのかと言うと、お前達が困らないように将来のことを考えてみているのだよ」と言って教えたのです。孫娘が好きな人が出来て、無職の男とくっついたらどうなるのでしょうか?

幸せになれるのでしょうか? 幸せになれるわけがありません。親はパッと見て「これはダメだよ」とわかるのです。子供には判断基準がありませんから、無職の男でもはまってしまうのです。

本当に怖いことなのです。「誰とでも好きな人と自由に結婚すればよいのよ」と言っている親がいたら、それは親の無智です。親は「娘が選んだ男をどのように見るのか?」というと、「頭が良いか、悪いか」ではありません。

「この男はウソつきか、ウソつきではない男か」ということです。どんなに頭がよくても、ウソつきはいけません。ウソつきは、人間社会では生きておられませんから、途中で挫折してしまうのです。

親は「あの男はウソつきだから、やめなさい。結婚してはいけませんよ」と言えばよいのです。

ヤクザを連れてきて「私、この人と一緒になりたいの」というのもダメです。そのようなことを明確に言える親がいないのです。それがわかったのです。ヤクザとは結婚してはいけないのです。

ヤクザというのは、「反社」と言われているのです。「反社」ということは、「社会に反する」という意味です。どんなに良い人でも、反社の人間とは結婚してはいけません。結婚生活とは、「社会を営む」ということです。

「社会の営みは全てやらねえぞ。俺は仁義で突っ走るのだ。社会の法律は関係ない。俺たちを拘束するのは、仁義だけだ。仁義は守るぞ」と言うのがヤクザです。

ヤクザは仁義を守らないと、親分に殺されてしまいます。仁義は守るけれども、社会の法律は守りません。これがヤクザです。だから、こんな相手と結婚してはダメなのです。親は、このようなことをすぐに言えないといけません。

そうでないと、「何故、ヤクザを好きになってはいけないの? ヤクザだって、良い人もいれば、悪い人もいる」となってしまうのです。ヤクザには一人も良い人はいません。「反社会」の旗印を出しているのですから、良い人は一人もいません。

そのような明確な論理を子供達に教えなければいけません。「あんた、その人と結婚してご飯を食べていけるの? その人の職業は何をやっているの? 無職? あんた、プー太郎と結婚するの? よしなさい、そんな人とは結婚できません!」と言うのが親です。

魔子ちゃんはどうでしょうか? 連れてきた男はどのような男でしょうか? 無職のプー太郎でしょう。何故、「ダメ!」ということが言えないのでしょうか? 皇族の身分たる者が無職の男を連れてきて、結婚したのです。

KKは、もうニューヨークでマリファナを吸っているのです。それが見つかって写真も撮られているのです。するとKKは、「ニューヨークでは、マリファナは合法ですよ」と言ったのです。ニューヨークでマリファナを吸うのは合法です。

合法だからと言って、皇族と結婚した男が外でプカプカとマリファナを吸うなど、そんなバカ男がどこにいるのでしょうか? では、魔子と二人でマリファナをプカプカと吸っているのでしょうか? そのように思ってしまいます。

魔子ももう廃人です。なんであっても、ダメなものはダメなのです! 指が無いのもダメ、まして片腕が無いのもダメ、事故ならばともかく事故でないのに片腕が無いのは、ダメなのです。

前科持ちもダメです。何故いけないのかというと、また犯罪をするからです。犯罪者は繰り返すのです。だから、ダメなのです。異民族も、朝鮮人もダメです。朝鮮人を夫に持つと嫁さんは、ぶん殴られているのです。

ダメなものはダメなのです。良いものは良いのです。もっとしっかりとこのことを子供に教えていかないと、魔子とKKのようになってしまうのです。ウソをつきまくったから、魔子とA宮は国民からの信用を失ってしまったのです。ウソつき皇族は、二度と国民から信用されることはありません。

 

 

 

 

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